第35話 Aカップの来訪者

「そういえばよ。陸上の大会って何すんだ?」


自宅のベッドでいつものようにスマホを眺めながらゴロゴロしていたら、カーペットに胡坐をかいている天王寺が、ポテチをぼりぼり食べながら、アホみたいな質問をしてくる。


「何するって。そりゃ走ったり、跳んだり投げたり・・」


「何だそれ。おもしれえのか」


「お前、もしかして世界陸上とか見たことない?」


「何だそれ。おもしれえのか」


「織田裕二さんの『キターーーーーー』とか、ご存じでない?」


「何だそれ。めっちゃ面白そうだな」


彼女が食いつくポイントはさておき、こいつが陸上というスポーツに関しての知識が全くない事だけは分かった。


一体、今までどんな育ち方をしてきたのだろう。

まったく。親の顔が見てみたい。


「運動会はさすがに知ってるだろ?」


「知ってるに決まってんだろ。舐めんな。蹴り飛ばすぞ」


天王寺の常識の範囲が、どこまでなのか分からないので一応訪ねてみたが、運動会は知っているようで少しほっとした。


「小学以来行事ごとには参加してねぇから懐かしいな運動会。何か直線を走るやつやったな」


「そうだ。世間ではあれを徒競走と呼ぶんだ」


「あと、あとはなんか、細長い棒を持たされて、カーブを走らされたな」


「そうだ。世間ではあれをリレーと呼ぶんだ」


「あとはなんか、果物の種みたいなやつを口に含んで遠くに飛ばした奴が優勝みたいなのもやったな」


「すまん。それは知らん。なんだそれ。本当に運動会の記憶か?」


「あとはあとは―」


幼き頃の運動会の記憶がよみがえってきたようで、天王寺はウキウキしながら記憶を遡っている。


よしよし、段々とイメージがついてきたな。

俺はタイミングを見計らい、彼女が一番目を輝かせている時に「天王寺」と呼び掛けた。


「明日観戦する陸上というのは、その運動会の強化版だ」


「きょ、強化版?!!」


天王寺はさらに表情を輝かせて、まるで少年のようなリアクションを取る。


「そうだ。なんか凄そうだろ?」


「やべえな。めっちゃ楽しみになってきたぜ!!」


一から100m走だのハードル走だの説明するのはかなり面倒なので、運動会の強化版というざっくり過ぎる説明で納得してくれたのは良かった。


まあ別に嘘をついている訳ではないし。

百聞は一見に如かず、明日実際に見せた方が、早いだろう。



「そんじゃ太郎、おやつ買わねえとだな」


「は?」


「だってよ、運動会の強化版だろ?小学んときはおやつは500円までとか舐めた規則設けられてたからな。その強化版といったら、もう金額は無制限だろ?」


いや、それは遠足・・・。


「あとは芝居も練習しねえとな。わっち、セリフ覚えるのは得意なんだぜ」


えっと、それは文化祭・・・。


「すげえな。楽しみだな。運動会」


天王寺のイメージが、あまりにもぶっ飛び過ぎていて、明日実物を見た時に「話と違う」と騒ぎ出しそうな雰囲気まであったので、結局俺はその後、一時間くらいかけて陸上の種目から何まで、基礎的な知識をみっちり講義することになった。



その講義が、終盤に差し掛かってきた時だった。


突然の来訪者が家に訪ねて来たのは。


「お前。なんでそこでわざわざハードルっつーもんを越えなきゃいけねえんだ?無意味だろそんなん」


「いやだからそれは、そういう種目だからで・・・」


「太郎ー!彼女さんよ~」


なぜハードルを越えねばいけないかについて議論を交わしていた時、下の階から母親である町子の声が聴こえて来た。


彼女と言われただけじゃ、誰か分からないじゃないか。七人もいるんだから。


誰だろうと疑問を覚えながら天王寺と共に下の玄関へ向かうと、そこには俯いたまま肩で息をしている火野の姿があった。


「どうしたんだよ、明日大会だろ?!」


まさか大会を目前に控えた火野だとは思わなかったので、俺は慌てて彼女に駆け寄り、家に入るように促す。


しかし、彼女は家に上がろうとする素振りは一切見せずに、俯いたままゆっくりと口を開いた。


「あのさ。太郎にどうしても聞いて欲しい話があるんだ」


火野にしてはかなり低いトーンで放たれたその言葉に俺は頷き、彼女の肩に手を置いた。


「分かった。聞く」


その尋常ならざる火野の様子に、天王寺も何か察したのか「じゃあ、わっちはそろそろ帰るわ」と火野とは入れ違いで靴を履き始める。


「おい、オトコ女。こいつの部屋にポテチの残りがあるから自由に食べてきな」


「ありがと、天王寺さん」


俺が最後に確認したときには、もうカスしか残っていないように見えたが、天王寺にとってはあのカスもまだポテチの残りだったらしい。


天王寺が家を出る際、しっかりやれよと言わんばかりに視線を投げつけられる。



「それじゃ、行こうか」


気合を入れてそう言い二階に上がる階段を目で示すと、火野は小さく頷いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る