第34話 地区総体前日 (月島と火野)
遂に明日、地区総体が始まってしまう。
誰も居ない部室の片隅で、私はうずくまるように座っていた。
正直、この日が来てほしくなかった。
クラスのみんなからの激励も、部活のみんなとの励まし合いも、全部明日が本番であると私のことを煽ってきているようで辛かった。
本来勇気を貰えるはずの「頑張れ」が今は重い。
あまりのプレッシャーと不安で、胸が締め付けられそうになる。
今まではそのたびに、タローがハンバーガーを食べている様子を思い出して平常を保ってきたけど、本番前日となると気持ちも高ぶっているためか全く効果が無い。
それに、明日からの大会のプログラムを見てしまったことも大きい。
想像はついていたけど、いざそれが現実になってみるとあの時の感情が胸から溢れ出てしまいそうになるほどいっぱいになってきて、足も手も震えてくる。
「落ち着け、落ち着け私」
暗い部室の中で、何度も何度も念じる。
けれど、本番が明日に迫っているという実感がその念を無効化して、私の感情は一向に落ち着きそうになかった。
また、逃げ出しちゃおうかな。
そう思った瞬間、暗闇の部室に光が差し込んできた。
開かれた扉の前にいたのは、あろうことか、私が今この学校で一番会いたくない人物であった。
「何しに来たんだよ」
「あなたに会いに来たに決まってるでしょ~?」
月島小百合は微笑みながら堂々と部室内に入ってくる。
「閉めた方がいい?」
平然した様子で訊ねてきたので無視すると、彼女はしばらく私を見つめた後、ゆっくりと扉を閉めた。
「内側からじゃなくて、外側から閉めて欲しかったんだけど」
「だったらそう言えば良かったじゃないの。想いはね、言葉にしないと伝わらないのよ。ほら、えっちしてる時も女性の方が喘いだりするでしょ?あれは貴方を愛してますよ~。きもちいいですよ~って合図で―」
「ホント、何しに来たの」
「だから、円佳ちゃんに会いに」
「どーせ笑いに来たんでしょ!!!」
私は勢いよく立ち上がり、小百合の胸倉を掴んだ。
ちくしょう。なんだよこの胸。こういうところは抜け目なく立派になりやがって。
「どうして私が、あなたを笑わなくちゃいけないの?」
興奮する私に対して、全く怖気づくこともない小百合。
その態度も、なんだか腹立たしい。
「惚けんなよ!昔の私を知っておきながら、今の私を見て笑わない方が不自然でしょ。明日だって、妹に負けた私をつまみにアレするんだろ?まったく。なんでここにアンタがいるんだよ」
言い終え、胸倉を話すと、小百合は神妙な面持ちでしばらく黙っていた。
そして思いついたように表情をパッと明るくさせるとゆっくりと何度も頷いた。
「もしかしてアレって、オn―」
せっかく上手く誤魔化した言葉を、小百合がストレートに口に出そうとしたので、すぐに私は彼女の口元を強引に塞ぐ。
小百合は封じられた口で「うーうー」と呻きながらも、嬉しそうに目を細めている。
どうやら昔と比べて彼女の性癖の幅も成長しているらしい。
「このどうしようもない変態がっ!もういい。私が出てく」
手を離し、部室から出ようとすると、今度は小百合の方が力強く私の腕を掴んできた。
「待って円佳ちゃん。私は別に、円佳ちゃんを笑いにきたわけでもないし、今晩のオカズを探しに来たわけでもないの。ただ、妹の伝言を伝えにきただけ」
今晩のオカズにされることへの嫌悪感はあったが、妹の伝言というものが気になって、私は立ち止まる。
「何よ。有紀からの伝言って」
月島有紀。今朝配られたプログラムを見たら、この名前が400mハードルに出場する選手一覧に記されていた。
予選の組は違ったが、恐らく何事もなければ決勝で彼女と当たることになる。
そんなわざわざ同じ県同じ地区を選び、種目まで揃えてきてまで私を潰そうとしている有紀が、姉を通して私にどんなことを伝えたいのか。
有紀のせいで、私はここまで追い詰められているというのに。
小百合は大きく深呼吸をしたあと、ゆっくりと口を開いた。
妹の伝言に、一言一句想いを込めるように。
「良いレースにしましょう」
なんだよ、それ。
私は舌打ちを飛ばし、小百合の腕を振り切って部室を出ようとした。
後ろから「待って」と呼び止める声が聴こえるが、当然無視する。
「ご両親やお兄さんお姉さんは、明日応援に来るの?」
そのまま外に出て、小百合を取り残して部室の扉を閉めようとした瞬間だった。
自分にとって一番触れられたくない部分を、触れられた。
想いが溢れすぎてどうしていいか分からなくなった私はとりあえず下を向き、涙がこぼれないように必死に堪えた。
「来るわけないだろ!!!馬鹿!!!」
感情のままに私は叫び、腕で涙を拭いながら走り出す。
ただでさえ不安になっている時に、こんなことを思い出させないでくれよ。
心の中で何度も小百合を責めたが、それが間違っていることは自分でも気づいていた。
思い出すとかではなく、小百合が口にした家族や有紀は、ずっと私の心の奥底に根を張って、トラウマとして生き続けていたのだ。
それを私が、今まで必死に見て見ぬふりをしていただけ。
彼らから逃げて、逃げて、逃げて、その逃げた先が「今」だ。
明日は本番だというのに、一体私は何をしているんだ。
ごちゃ混ぜになった感情を、とにかくどうにかしたい。
もうここまで来たら、誰かにこのトラウマを全て晒してしまいたい。
その「誰か」を考えた時、思い浮かぶ人物は一人しかいなかった。
「タロー」
私はその人物の名を呟き、走るスピードを更に加速させる。
明日のレースのコンディションのことなど、頭からはすっかり抜け落ちていた。
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