第32話 雨と傘
ざあざあと降る雨に向かって、俺は心の中で軽く舌打ちをした。
昔から、雨は嫌いだ。
濡れると冷たいし、なんだか気分が下がるし。
傘だって、挿している間はいいが、駅やコンビニなどの室内に寄った際、わざわざずぶ濡れのそれを丁寧に折りたたんでたった二つしかない手の片方を防がれてしまうのだから、面倒にもほどがある。
しかし、そんな雨の帰り道の中でもご機嫌に鼻歌を歌っている人間が同じ傘の中に一人。
「レクの閉会式の時、結衣ちゃんと何話してたの?」
この狭い空間で、土屋が雨音に負けないように大きな声で言った。
ここまで密着しているのだから、そこまで大きな声でなくとも聞こえる。
だが質問が質問だったので、そんなことをツッコむ余裕など持ち合わせてはいなかった。
「な、ナニモハナシテナイヨ」
「うーそ。この名探偵志穂の目を誤魔化せると思ったら大間違いだよワソソン君」
別に土屋の助手となった覚えはないが、やはりこの片言では欺けるはずもないか。
あと、ワソソンって誰だ。
どうすればいいか困ったので、強硬手段として傘をずらし、名探偵の全身を雨で濡らす。
「ちょっと!!」と、慌てて土屋はさらに体を密着させてきて無理やり傘の中に入ると上目遣いに威嚇的な目を向けてきた。
「こんな美少女を故意に雨に打たせるなんてとんだ犯罪者だね。現行犯逮捕。私と相合傘なんて、本来最高のご褒美のはずでしょう?」
決して小さくはない胸を押し付けながら、土屋は俺をじわじわと傘から追い出そうとする。
だが、所詮は女の力。その程度では俺の重心は崩れることはなく、その寄せられた体はただのご褒美でしかない。特に、胸。
「だったら自分で傘を持ってきなよ。今日の午後、雨の予報だったでしょ?」
「私、家に傘ないもん」
「ええ?!だったら買いなさいよ。そのくらいのお金はさすがにあるでしょ」
「あるけど、勿体ないから買わな~い。だって傘って雨の日しか使わないじゃん。大体コンビニとかで買える傘が一番安いやつで500円くらいだとして、元を取るには五百回使わないとでしょ?そう考えると一年で百回使ったとしても五年かかる計算になるから、だったら買わない方が得じゃない?」
傘を挿すといういう行為を一回一円の価値しかないのは流石にケチ過ぎるのでは思ったが、彼女は大真面目な顔をして話しているので、本当にそのくらいの価値しかないのではと錯覚してしまう。
「それにさ、そもそもの話、私に傘なんて要らないでしょ?」
え?と首を傾げると、土屋は傘を握る俺の拳にそっと自分の手を重ね、全身をゆっくりと預けてきた。
「だって、太郎が居れば濡れないも~ん」
あまりにドキッとし、全身が硬直してしまう。
今まで、雨は嫌いだった。だけど、今、たったこの瞬間から雨は大好きだ。
ごちそう様です。
「んで、結衣ちゃんとは何話してたの?」
天国から地獄に落とされるというのは、こういうことを言うのだろう。
上手くかわせたと思ってたんだろうけど、甘いんだからね。
と、笑う土屋。
「別に、大した話じゃないよ」
二回目なので、さすがに下手ではあるが誤魔化す俺。
追及されるかと思ったが、土屋は「そっか。じゃあ、そういうことにしとくよ」と呟き、再び小さな頭を俺の肩にそっと置いた。
言えるはずがないだろう。
町田はあの後、予想通り激しく動揺していた。
結局グループが解散するまで、一度も口を開くことはなく、俺の方を見ようともしなかった。
彼女とは、それっきりだ。
自分を好きだと言ってくれた人にあんな顔をされ、あからさまに拒絶されるのは、自業自得とはいえさすがに堪えるものがある。
けれど、これは俺が受けなければならない罰なのだ。
今、こうして隣に居てくれている土屋も、きっと俺の七股を知ったら町田以上に悲しませることになる。
俺が嫌われるのは構わない。いくらでも、嫌ったり汚物扱いして貰っていい。
だけど、彼女たちの悲しい表情を見るのは、絶対に嫌だ。
やっぱり俺は、この秘密を守り通すしかないんだ。
今回二股を暴露したときの町田を見て、改めてそう思った。
傘を挿して、真実の雨を弾き、嘘を積み重ねて、彼女たちが濡れないように、精一杯。
やっぱり俺は、雨が嫌いかもしれない。
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