第23話 火野円佳 その1

春になり、すっかり日も長くなってきて、午後の6時を過ぎてもオレンジ色の空が広がっている。

一度天王寺と帰宅した後、俺は何となく地区総体を間近に控えた火野のことが気になり、彼女の部活が終わる時間を見計らって校門のすぐそばの電柱にもたれかかって待ち構えていた。


いや、地区総体だけじゃない。日野と同じように、近頃は火野も、俺の知らない表情を時折教室でするようになった。


ただの緊張やレース目前の不安だけとも思えないような、その意味深な表情の裏に隠された彼女の気持ちを知りたい。


そしてその気持ちに、少しでも寄り添えてあげることが出来たら。

そんな下心から、俺はこうして彼女のストーカーのように電柱で待ち構えている。


こうして隠れて観察していると、部活帰りの生徒らしき人がぽつぽつとみられる。

その中には陸上部のジャージを着ている生徒もいるため、練習はすでに終わっているようだ。


そこで勇気を出して、本物のストーカーのように姿を木や校舎の陰に隠しながらグラウンドが見える位置まで移動してみる。


火野は練習熱心ではあるが、無謀な練習はしない。そのため、長々と居残りで無理して自主練をするようなタイプではないのだが、そこには一人、数人のチームメイトに見守られながら、オレンジ色のグラウンドで走り込みをする火野の姿があった。


「円佳~。もうそのあたりにしておいたら~?!」


チームメイトの火野を呼ぶ声が、グラウンド中に響き渡る。

この甲高い声には、聞き覚えがある。確か同じ2組のクラスメイトだったはずだ。


今日の係決めの際に、生物係を決めるじゃんけんに負け「ちくしょー!!」と嘆いていた。

名前は大曾根星花、だったような気がする。


大曾根の気遣いに、大きく手を振って応えた火野が、こちらに駆け寄ってくる。


まずいと思って、その場からそそくさと逃げ出した俺は、元の電柱の位置まで移動した。


そこで隠れていること3分。


「何してんの」


と、練習を終えた火野が電柱に向かって話しかけてきた。


「よくここが分かったな」


秘密の基地を突き止められた悪役のような言い方をして、電柱から姿を現す俺。


「さっき見つけた時からずっと目で追ってたもの。初めはストーカーだと勘違いして気持ち悪いな~って思ってたけど、目を凝らしてよく見たら彼氏なんだもん。彼氏をストーカーだと勘違いする日が、まさか来るとは思わなかったんだけど」


「良かったね。彼氏で」


「調子に乗るな。バツとして家まで送ってもらうから」


「はいはい。よろこんで~」


こうして火野と並んで一緒に帰るのは、とても久しぶりな気がする。


彼女の足が自然と、遠回りにはなるけれど人目にはつかない通学路を選ぶ。

待っててくれてた大曾根たちをまいてきたせいか、彼女の息が少し上がっている。


大曾根たちには、悪いことをした。お詫びに今度、生物係の仕事をサポートしてあげよう。もちろん、6月以降になるけれど。


「わざわざ、ありがとね」

それが、火野と一緒に帰るため、ここまで来たことに対する礼であることはすぐに理解できた。


俺は「いやいや」と謙遜して、ちょっと日に焼けた彼女の横顔を見る。


「珍しいね。残って自主練なんて」


「ちょっと、色々あって」


色々とは。訊きたい衝動に駆られたが、言葉をグッと飲み込む。


訊かなくても、言いたいのであればこの長い帰り道の間に彼女が言ってくれるはずだ。それを急かすような真似をするのは、良くない。


しばらくしたら予想通り、彼女の方から口を開いた。


「以前あたしが、一度本気で陸上を辞めようとした話をしたのは覚えてる?」


「もちろん。覚えてるよ」


火野が新人戦で涙を流したその日の通話で、打ち明けてくれた。

詳しい詳細は教えてくれなかったけど、何かのレースに負けてそれが原因でそのような考えに至ったことがあると、話してくれたのをはっきり覚えている。


「そのキッカケになったレースで私が負けた子がさ。地区総体に出てくるかもしれないんだよね」


「そっか、じゃあ、リベンジだね」


「リベンジ・・・か」


いつもなら、ここで闘志を燃やして夕陽に向かって叫びながら走る火野であったが、今回は様子が違った。

勝ち負けではなく、レースそのものを怖がっているような、そんな感じ。


「うん。そうだよね。やっぱり、勝つしかないよね」


自分に言い聞かせるように呟きながら、手の平で頬をぺちぺちと叩く。


「ここで折れたら、今までの全てが無駄になる。うん。勝つしかないんだ。勝つしか・・・」


俺は火野の、引き締まった肉体を見渡す。

去年の秋と比べると、随分とアスリートっぽくなったその身体は、彼女の努力そのものだ。

俺はそんな細くてすらっとした彼女の腕を掴んで、突然走り出した。


「ちょっと!いきなりどうしたの??」


「なんか俺、急にハンバーガー食べたくなってきた。一人で店に入るの恥ずかしいから、ちょっと付き合ってよ。奢るからさ!」


「何言ってるの?!あたし、ファストフードは食べれないって・・・」


「関係ねえよ。練習終わりで疲れてようが、食事には付き合って貰うし、妥協物は食べないとかほざいてようが、お前の大好きなハンバーガーを俺は目の前で平気で食べる。ポテトだって、一本もくれてやるものか」


「急に最低になるじゃん。どうしたの?」


「だから円佳がレースに負けることがあるようなら、俺のせいだ」


「えっ?!」


俺の腕を軽く引っ張って立ち止まらせる火野。

俺は目の前にあるオレンジの夕陽を見ながら、言った。


「円佳は今まで、完璧な努力をしてきた。たくさん汗と涙を流して、貴重なBカップをも犠牲にして、ストイックに練習に励んできた。だとしたら、負ける理由がもしあるのだとすれば、俺だ。頑張る彼女の目の前でハンバーガーを食べて、コーラを飲んで、ポテトを譲らない、俺のせい。だからもし、負けた時は、全力で俺のことを呪ってくれていいよ。このクソ彼氏がって!!」


それに、七股もしてるしな。


火野は、クスクスと笑い、俺の手を取り、その指と自分の指を絡めた。


「この、クソ彼氏っ!」

いたずらっぽく笑いながら言うと、火野はピョンとジャンプして俺の前に立つと、もう片方の手も繋ぎ合わせて、顔を近づけ俺の目を見た。


彼女のベリーショートの髪が、春風になびいて、ほんわかな彼女の汗の香りが、鼻腔を流れ込んだ。


「でもあたし、絶対勝つから。タローを負けの理由なんて、絶対にさせない」


火野は力強くそう言うと、練習終わりとは感じさせないスピードで俺の腕を引いて走った。


やっぱり、火野が負ける理由なんて、ない。

あるとするならば、それはきっと、このクソみたいな彼氏ぐらいだ。






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