第17話 入学式(日野視点)

私の彼氏は、浮気している。

相手は、今日の入学式でも意気揚々と祝辞を読んでいた生徒会長の優等生。

木原澪音だ。


疑いの根拠は、あの新入生が言葉を放った直後の木原と太郎の表情だ。私の女の勘が告げる。あれは絶対に、何かあると。


「どうしたの?朱里。食べないの?」


隣で一緒に食事をする、火野円佳が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ううん。食べる食べる!入学式に参加したらさ、新入生たちが若く見えて。私も年取ったな~って」


「朱里。それ、すごい分かる」


それ、分かる。その相槌は、私にとって最高の誉め言葉だ。

良かった。今回もちゃんと、普通を演じられた。


本当はそんなこと、微塵も思わなかったけど円佳が笑ってくれたのなら何よりだ。


私と円佳が、名前で呼び合おうと決めたのは、今朝の話である。


未だ朱里と呼ばれるのは、慣れない。

かといって名前で呼び合う話が出た以上、苗字がいいと提案するのも、普通ではないし、これはもう受け入れるのが普通なのかなと思う。


ねえ。あなたなら、こういうとき、どうするの?

このモヤモヤした気持ちさえ、しまい込んでしまうの?

それとも直接、太郎に問い詰めたりするの?


分からない。早くロッカーに入ってあるスマホで検索して「普通」を知りたい。


いっそのこと、円佳に打ち明けてしまおうか。

いいや、やめておこう。今は大会のことで頭がいっぱいの円佳に、余計な心配はさせたくない。


「ねえ、天王寺さんってさ。ヤバいよね。どうしてプロレスラーみたいなヤンキーが、3年になって今更やる気出して登校なんてしてるんだろう」


「しー!!聞こえたらどうするの」


入学式が終わり、お昼休憩の時に天王寺さんが教室に入ってきてから、このクラスはずっと変だ。


いくらハチャメチャな天王寺さんと言えど、ここでは一人の生徒に過ぎない。

クラスのほぼ全員から恐れられ、避けられ、腫れ物扱いされている様子は、太郎を通して多少の関わりを持っている私なので、心が痛む。


イジメや無視、とは全く別種類であるけれど、この状況が気持ちの良いものではないことは私ですら気づいているのだから、きっとクラスのみんなも思っているはずだ。


「なんか、ヤな感じだね」


円佳も、クラスの異様な雰囲気を察して、苦い表情を浮かべる。

しかし、自ら声を掛ける気はないらしく、他人事のように遠い目で天王寺さんを見つめながら、何か考え事をしているっぽかった。


天王寺さんは、お昼休憩中だというのに、一枚の原稿用紙と対峙して、難しい顔をしている。恐らく、弁当を食べたいけれど一人で食べる状況を作りたくないので、あえて原稿用紙と対峙することで、「私、今、忙しいので。弁当どころじゃないんです。だから別に、ぼっちとかじゃないから(泣)」といった雰囲気を出しているだろう(違う)。


きっとそうだ(だから違う)。普通なら、そう思う(彼女を普通の括りにまとめるな)。


こんな時にこそ、謎に最近仲が良い太郎が居てくれればいいのだが、教室中を見渡しても姿は無かった。


もしかしたら、木原澪音と一緒にお昼を食べているのかもしれない。

ああ、もう色んな感情がごちゃ混ぜになって、もう自分でも、よく分からない。


どうしたらいいんだろう、私。

普通だったら、この状況は見て見ぬふりをするのが正解だろう。


だけどこんな時、妹なら。RPGの主人公なら。木原澪音なら。


ちょっと、どうしてここで木原澪音が出てくるのよ。

何も関係ないじゃないのよ・・・。


乱暴に唐揚げを口に運んだ瞬間、頭の中に電流が走ったような衝撃を感じる。


「木原なら、きっとここで声を掛ける・・・」


「え?なんか言った?」


どうやら声に出ていたらしい。円佳が不思議な顔をして訊ねてくる。


「円佳。私って、普通のJKだと思う?」


私の突然の質問に、円佳は明らかに戸惑いながら「お、おう・・。それはそれでしょ」と答える。


やっぱりそうだ。私は今まで「普通」を演じていた。


少しでも璃暗に近づくために、璃暗として生きるために。


だけど、それは大きな間違いだった。

私が「普通」を追求し続けたのは、双子の妹のためでもあるけど、それだけじゃない。太郎のそばに、居たいから。太郎が好きだから。


太郎が私じゃなくて妹のことを好きなことは分かっていた。

だから妹が死んで、私が妹のように振舞えば、私のことを好きになってくれると思っていた。実際、私のその望みは、叶った。と、思っていた。


けれど今、太郎の周りに居る女の子は、私だけじゃない。

木原だって、天王寺さんだって、それに、円佳だって。太郎と交流がある女の子なのだ。私と妹と太郎の三人で遊んでいた時代は、もうとっくに過ぎていたんだ。


そして太郎は恐らく今、木原とどこまでいっているかは分からないが、ただならぬ関係を持っていることは間違いない。


生徒会長で優等生で学校をしょって立つ「特別」な女の子と、今一緒に弁当を食べているかもしれない。


「やっぱ、普通だよね」


半分円佳に、半分自分に向けて、その言葉を発する。


妹になっても、太郎がいつまでも私を見てくれる保障なんて、どこにもなかったんだ。それに私じゃどんなに頑張っても、「妹」にはなれない。


じゃあ「朱里」は、どこに向かえばいい。私と木原じゃ、見た目、成績、スペック、どこを取っても私に勝ち目なんてない。


天王寺さんが一人ぼっちで居るのを、ただ見ている事しか出来ない「普通」の私が、木原や太郎を咎める資格なんて・・・無い。


「朱里?」

箸の動きが止まった私を見て、不審そうに首を傾げる円佳。


円佳だってそうだ。いつだって部活で一生懸命で全力で汗を流して走っている彼女を見て、好きになった男の子もたくさんいると聞く。それに、誰にでもフレンドリーなその性格は、『普通』のJKではない。今は彼女も部活のことだろうか、悩みがあるらしくてぼんやりしているけれど、通常だったら、真っ先に天王寺さんに声を掛けに行くはずだ。


そんな円佳を、今後太郎が好きにならない保障なんて、どこにもない。


こんな『普通』の私じゃ、木原はおろか円佳にだって、勝てる気がしない。


じゃあ、私はどうすればいい。

こんな時こそゲームに置き換えろ。どうしても欲しいアイテムがあって、それを手に入れるには今の自分では叶わない強敵と戦わなければならない。


さて、この場合、私はどうする・・・。


「お前が『普通』であろうが、なかろうが、わっちはお前のこと普通に好きになったぜ」


その時、あの時の天王寺さんの言葉が、私の脳内に流れて来た。


そうだ。天王寺さんは、璃暗でも朱里でも、あるいはまったく違う「私」でも、普通に好きと言ってくれた。


なんだ。

目的も、動機も、やるべきことも、もうはっきりしているではないか。

もはや私は、璃暗にも、朱里にもなれる。


ならばあとは、やるべきことを実行し、レベルアップする。

普通じゃ、もうダメなんだ。


「私」は、「私」を越える。今、ここで。



私は勢いよく立ち上がり、全身に力を込める。

そして、たどたどしい足取りで、天王寺さんの元へ行く。


「あ、あの!」


難しい顔をした天王寺さんが、ポカンと口を開き、こちらを見上げる。

その場にいるクラス全員の視線が、私に集中しているのが感じる。


「普通」じゃない、この状況。だけど木原は今日、全校生徒の視線を浴びたんだ。


この程度で動じていては、太郎の隣に立つ資格などない。



「お昼、一緒に食べない?!!」


その声を発した瞬間、クラス中が静まり返った。


静寂に包まれる中、全員の視線が今度は天王寺さんに集中する。

一体彼女は、何と答えるか。


「悪い。さっき立野にラーメン奢らせたから、腹いっぱいなんだ」


テレッテテレレレー。


赤と青の服を着た髭のおじさんが登場する某大人気ゲームのゲームオーバー音が、頭の中で流れる。


よく見たら、原稿用紙も、空いている隙間に「反省文」と書かれており、どうやら彼女は真剣に悩んでいるようだったらしい。


静まり返った教室と、佇む私を見て何かを察したのか「ホントに、ごめんな」と再び謝る天王寺さん。


トホホ。普通じゃないことをするって、意外と難しい・・・。


「じゃあさ、私たちがお弁当食べるとこ、見ててよ!」


いつの間にか円佳が、自分の机を近づけて、天王寺に親しげに話しかける。


「おう。それならいいぜ。しっかりと口の中に収まるところを見届けてやんよ」


こうして、危うく大事故を起こすところだった私は救われたのだが、救ってくれた二人に対して謎のジェラシーを感じてしまい、新学期初の昼食の味は、よく分からなかった。


だけど、胸の中に包まれた充実感だけは、それから一週間経っても、消えることはなかった。

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