第13話 土屋志穂 その1

4月10日。日曜日。とあるレストランにて、事件は起きた。


「ねえ、太郎。あなた、七股してるでしょ」


悲劇とは、時に突然現れる。歩道を歩いていたら暴走したトラックが突っ込んでくるように。あるいは何の前触れもなく、害悪なウイルスが世界中に蔓延し、多くの人を死や苦しみに至らせるなど、対策を講じる間もなく身の上に降りかかる。


「黙ってないで、何か言いなさいよ」

3年1組所属。そして、2年連続でうちの高校の文化祭のミスコンで2位と圧倒的な差をつけての優勝を成し遂げている「高嶺の花」土屋志穂が、その容姿端麗な外見からは似ても似つかぬほどの鋭い視線を、俺に向けている。


「そ、それは・・・」


どうしてこうなった。一体どこでバレた。

全身が汗で滲む。ああ、こんなにも早く、俺の七股学園ライフが終焉を迎えるなんて。骨は広大な太平洋に蒔いてくれ・・・。








「っていう演技を次のオーディションでやらなくちゃいけないんだけど、今のどうだった?」


良かったです皆さん。まだこの物語、続きます。


「よ、良かったんじゃないかな」


あまりにホッとしすぎて、ほんの少しではあるけれど小便が漏れてしまった。

良かった、今日黒のボクサーで。これで白のブリーフだったら、捨てなければいけないところだった。


「でしょでしょ?!迫真の演技だったでしょ?昨日、一日中鏡の前で表情の練習したんだから」


芸能事務所に所属する土屋は、芸能界で一華咲かせることを夢見る芸能人の卵だ。

今は小さな雑誌でモデルなどをこなしつつ、舞台やドラマ、映画、バラエティー、アイドルなど、とにかくがむしゃらに色んなオーディションを受けているらしい。


それにしても土屋が次に受けるドラマのオーディションが七股男の彼女役とは、何という皮肉であろうか。そのドラマ、土屋のオーディションの合否関係なく、絶対に見よう。


「七股男とか、設定がぶっ飛び過ぎてイマイチ役に入りきれないというか、所詮ドラマだな~って思っちゃうというか。こっちは真剣に怒らなきゃいけない場面でも状況がありえな過ぎて逆に笑いそうになるのよね」


いや、君、役に入る入らないとかじゃなく、元々七股男の彼女だぞ。

所詮ドラマだと思ってるその設定が、今君の身に現実として降りかかってるからな。全部、俺のせいではあるのだけれど。


「今回は、受かるといいね」

正直、今回だけは受からないで欲しい。土屋の演技を、演技として見れずに心をえぐられてしまう。


彼女は「ありがと」と笑って、残り一口になったハンバーグをパクンと食べた。


「これで350円。圧倒的コスパ。これだからサロゼはやめられない」

土屋は指で掴んだ伝票を広げ、不気味な笑みを浮かべる。


「そーゆうところが全面的に出ちゃってるからなかなかオーディション受からないんじゃない?」


「おお!凄い!うちの事務所のスタッフと同じようなこと言ってる。『外見は申し分ないんだけど、どこか芋臭さを感じるんだよね~。素人には気づかれないかもしれないけど、毎日腐るほどの美人を相手にしてる偉い人達には見抜かれちゃうよ~?』って」

土屋は日頃からよく愚痴の対象にしている中年のスタッフの声真似をしながら、不満げに口にする。


「だってしょうがないじゃんね。実際私、芋臭いんだし。オーディションだって、お母さんがうるさいから受けてるだけで、私、芸能界に憧れとかないのよね~」


土屋はそう言いながら、すれ違った男の8割を二度見させるその整い過ぎた容姿で、皿についたハンバーグのソースを犬のように舐め回す。


「まだ皿の上にあるもの全てを胃に入れようとする癖直ってなかったのか。みっともないからやめてくれ」


「いいじゃん!普段は美人で優しくて品がある完璧美少女な高嶺の花を演じてる訳なんだから。太郎の前くらいは本来のみっともないケチな私で居させてよ」


さあ、そろそろ俺の彼女・土屋志穂について説明しますか。


彼女は男どころか同性である女をも憧れさせる高嶺の花であり、流行りの超人気若手女優とも引けを取らないルックスを持っている美少女である。

普通のラブコメならば、主人公が最終回でようやく付き合える、最難関のヒロインポジション。


だが土屋志穂の本性を知る俺としては、彼女が学校中の男子の憧れの的と聞いて、思わず噴き出してしまいそうになる。


彼女の家庭は、超がつくほどの貧困生活を強いられており、一日二食は当たり前。週に4度は道端に生えた葉っぱが副菜として出てくるほどの貧困ぶりである。


一度彼女の家に行ったことがあるが、シングルマザーである母親と共に家賃3万のボロアパートで暮らしていた。


母親は若い頃、芸能界入りに強い憧れがあったらしく、その叶わなかった夢に憑りつかれたように、自分の代わりに圧倒的なビジュアルを持つ娘である土屋に芸能界でデビューさせようと画策しているようだ。


あまり我が強くない土屋は、母親の言いつけ通り、日々オーディションに勤しんでいる訳なのだが、なかなか一旗揚げられない状況が続いている、


そりゃあ、激安レストランで頼んだ360円のハンバーグで大満足をしている挙句、動物のようにソースを舐め回しているような女が成功できるほど、芸能界は安いところではないだろう。


けれど、オーディションに落ちた次の日の土屋はやはりどこか悲しげな雰囲気をにじませているので、本人はああ言うが、全く興味がないわけではないのだろう。


いつも学校や外で見る土屋は本当に美しく、普段の姿を知っているからこそ、彼女の頑張りがよく分かるので、本人の努力に免じて少しぐらいのみっともなさは目を瞑ってやるか。


「仕方ないな。俺の前だけだぞ」


そう言った直後、土屋は目を輝かせて、「じゃあこの会計終わったらこの伝票ちょーだい!鼻かんだりする用に使うから」ととんでもないことを言い出した。


でもまあ、これでも成長したほうである。

付き合った当初は、食べ放題の店に行った際に食べ物をラップやタッパーに包んで持ち帰ろうとしたり、俺の家に遊びに来た際に俺が中学生の頃の履けなくなった下着やTシャツを貰おうとしたり、散々だった。


食べ放題に関しては「どうせ同じ胃の中に入るんだから一緒じゃん」と駄々をこね始めたので、説得するのが大変だった。


下着に関しても、彼女が中学生の時に履いていた自分の下着を学校で履いていると思ったら、落ち着かないではないか。Tシャツくらいなら、あるかもしれないけれど。


これ以上店の中に居たら、テーブルに置かれている調味料まで持ち帰り兼ねないので(入店からずっと睨みつけていた)早々に会計を済ませ、外に出る。


ちなみに会計は、もちろん俺が全て出している。男だからとか関係なく、彼女の普段の生活を目の当たりにしていれば、奢る奢らないとかではなく、彼女にきちんとしたものを食べさせなければならないという使命感が湧く。


本当は芸能活動にこだわってる場合ではなく、もう少し人間的な生活のためにお金を使うべきだと思うのだが、ここだけの話彼女の母親はその辺の感覚がもうイかれてしまっているので、俺がどうこう言ったところで無駄な話である。



「そういえば、今日会うはずだった人はどうなったの?天王寺さんだっけ?」


街をぶらぶらと歩きながら土屋が訊ねてきたので、俺は「ああ」と今回の本来の目的だったことについて思い出す。

天王寺との関わりの詳細は、もう土屋には説明済みである。もちろん、七股は除いて。


『ダチの男がダチを泣かせたからよ。ちょっと半殺しにしてくっから明日の予定は無し。わりぃな』


メッセージを見せると「私も半殺しにされたら慰謝料貰えるかな」と何やら不穏な目つきで俺を睨みつける。


おい、土屋。多分俺を泣かせても、天王寺は爆笑するだけで何も手を出さんと思うぞ。あと、しれっと自販機の釣銭のところを漁るのも、やめろ。






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