第10話 日野朱里 その1
言い忘れていたことがある。
俺が付き合っている七人の彼女には、それぞれ人には言えないある秘密を抱えている。だからこそ、大日本帝国憲法も驚きの内容の鉄の掟が成立している訳で、その秘密もまた、俺が七股というとんでもない秘密を抱えているのと同じように、彼女たちにとってもその秘密が大きな錨のように心に突き刺さっている。
「なんか、ごめんね」
「別に、いいよ」
日野が天王寺には必死に隠し通した部屋に向かって、二人で階段を上がっていく。
彼女が帰った後、俺は日野にあらかたの事情を説明した。
もちろん、七股のことを省いたので少々無理のある説明にはなってしまったが、日野は俺の言葉を信じ、「なら仕方ないね」と笑ってくれた。
「浮気とか、疑わなかった?」
思い切って聞いてみると、日野は苦笑いを浮かべて「申し訳ないけど、さすがに無かったかな」と恐らく天王寺の姿を頭に浮かべながら正直に言った。
「それに、信じてるから」
真っすぐな目で見つめられ、胸が苦しくなる。
こんな想いを、この2年間で何度も経験してきたのに、未だに慣れない。
それに、この痛みには絶対に慣れちゃダメだ。とも、思う。
日野の部屋の前に来る。
この部屋こそが、彼女が抱える秘密そのもの。
その秘密が、彼女の手によって解き放たれる。
その一瞬で、視界が黒に染まる。
目を瞑ったわけでも、目隠ししたわけでもない。
その部屋自体が、漆黒そのものなのだ。
「相変わらず、何度見ても凄い部屋だな」
俺は日野の部屋を眺め、そう感想を口にする。
四方八方黒で染められた壁に、ゲームのキャラクターと見られるポスターが、スペースを埋め尽くす。
そして部屋の角には俺の勉強机の三倍近くはあるとみられる机のスペースに、大きなパソコンのモニターが二つ。そして空いているスペースには、何種類ものゲーム機が綺麗に並べられている。
「まさかどこにでもいそうなクラスの女の子が、国内でも指折りのゲーマーだなんて、誰が想像つくでしょうね」
自虐的な笑みを浮かべて、パソコンのキーボードを撫でる日野。
そして、その机のモニターのそばには、木の写真立てに入った一枚の写真。
そこには、俺と日野ともう一人の日野。
同じ顔に挟まれた俺が、居心地悪そうに笑っている。
「やっぱり、これからもずっと普通にこだわり続けるのか?」
俺は家にいる時間の大半をゲームに捧げる普通ではない幼馴染に向かって尋ねる。
日野はその写真立てを眺め、頷いた。
「うん。だって璃暗が、そう望んだんだもの。外に居る時くらいは、叶えてやらないと」
写真に写るもう一人の日野の名前は、璃暗という。
朱里と璃暗。双子として生まれてきた彼女たちは、「反対姉妹」と近所の人から言われていた。
「あかり」なのに、いつも暗いところで引きこもってゲームをしている朱里と、「暗」が名前に入っているのに外で一日中走り回るほど活発だった璃暗。
本人たちですら「私たち、逆の名前だったらね」とよく笑い合っていた。
まさに、陰と陽の二人。けれど、お互いがお互いのないものを認め合っており姉妹の仲は良好そのものだった。
そんな二人に悲劇が起こったのは、小学生の時だった。
璃暗がある病気に罹り、余命一年を宣告されたのだ。
そして、実際のところは一年という期間を大きく下回る僅か半年の期間で璃暗はあっという間に命を落とした。
その時に、朱里に璃暗が言った最後の言葉が「普通で平凡な人生を生きたかった」だというのだ。
それ以降、朱里は憑りつかれたように「普通」を求めるようになった。
そして彼女は今、どちらかというと根暗だったイメージを払拭して「平凡だけど明るい女の子」の地位を外では確立している。
「双子である朱里がそうすることで、なんだか璃暗も生きているような気がするから」
俺と話すときの日野の一人称は「朱里」だ。ずっと前からそう呼んでいた名残なのかもしれないが、昔の記憶はあまり覚えていないので断言できない。
哀しげな表情で話す日野を、俺は思い切り抱きしめた。
「すごい奴だよ。頑張ってるよ。お前は」
これが正しいことなのかは分からない。けれど俺は、天王寺みたいに自分の考えを強くは持てないし、まず正解も分からない。
だから、日野の全てを肯定し、受け入れ、背中を押してやるのだ。
出来ないことはどうあがいても出来ない。だけど出来ることは、すべてやる。そこに迷いなど、生じてはいけない。
「こうやってたーくんに抱きしめられてる時が一番幸せだけど、同時に申し訳なくも感じるな」
「いいんじゃないか。朱里が幸せなら、きっと璃暗も喜ぶよ」
「うん、そうだね。あの璃暗だもんね」
私は璃暗にはなれない。だけど、彼女の望む普通の最低限を生き方をすることに、諦めたくない。
これは璃暗が亡くなった一ヵ月後に、朱里が俺に言った言葉である。
そして、反対に今から一ヵ月前に朱里が言った言葉。
「普通じゃなくちゃいけない。それは分かってるんだけど、どうしても私は隣でずっと支え続けてくれたたーくんの特別になりたい。璃暗を理由にして、たーくんに想いを伝えるのを諦めたくない」
ずっと前から、貴方が好きでした。
そう言った彼女の表情から、声から、何から何まで俺は鮮明に覚えている。
どうか、朱里は朱里の思うままに。
そんな願いを込めて、俺は朱里の小さくて華奢な身体をさらに思い切り強く抱きしめた。
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