第5話 火野円佳 その0

恋人と一緒に下校。それは、高校生ならば誰もが憧れるシチュエーションである。お互いに成績や部活、人間関係などの愚痴を言い合ったり、途中で寄り道なんかもしてちゃって。そんな青春を彩る貴重なイベントであるが、七股の俺からすれば

縁のない話である。


帰り道に一緒に帰るなど、裏を返せば「私たちは付き合ってますよ」と世間に公表することと同じ。つまり、そんなことをしてしまったら、すぐにその噂は広まり、七股がバレるリスクが増えるというものだ。


恋人と一緒に下校することの幸せと、七股がバレるリスクを天秤にかけたところ、圧倒的な差で後者が勝った。だから俺はいつも、帰り道はボッチだ。


3年間皆勤賞の帰宅部の俺は、キラキラと部活をしている連中に合わせる顔、いいや、合わせる背中がないのでいつもグラウンドがある正門ではなく裏門から下校している。


学校を象徴する場所として、盛大で派手な正門とは違って、裏門は周りに職員用の駐車場と物置小屋と化している名ばかりの各部活動の部室があるのみでいつもひっそりと佇んでいる。


だけど俺は、この地味で陽か陰であったら、明らかに陰であるこの雰囲気が好きだ。七股という錘のせいで日向では生きられない自分に通ずるものがあるからだ。

ま、仮に七股がなくとも、俺が日陰者である事実は変わらないのだが。



「タロー」

突然、名前を呼ばれる。寂しい背中に、親しげに声を掛ける女性の声。

振り返ると、本日晴れて同じクラスとなった火野円佳が陸上部の部室からひょっこりと顔を覗かせていた。


俺が首を傾げると、だいじょうぶ、と口パクで言い手招きをする。

俺は周りを見て誰も居ないことを確認すると、忍者のように素早く火野のいる部室へと侵入した。


「相変わらずジメジメしてるねここは」


「小屋がもう古いから、雨水を吸うんだよ。それに、遠征や大会の時くらいしか空気も入れ替えないしね」


人が5人入れるかくらいの狭いスペースに、テントやらハードルやらが強引に詰め込まれている。古いとはいえ、電気はついているが、明かりを付けても照明が壊れているのかジジジと音がする上薄暗い。


この狭い空間では、火野の息遣いから額に浮かぶ汗、シャンプーの甘い香りが混じった火野の匂いがはっきりと確認できるほど接近せざる負えない。


身長159センチの細身体形で髪型はベリーショートという外見の火野は、まさに体育会系女子といった感じである。一見すると色気がないように感じられるが、彼女の気持ちが良いほどの人の良さと愛嬌、そしてチャームポイントの二重まぶたを軸とした活発さだけでなく気品さも漂わせるその整った顔立ちがあらゆる体育会系男子のツボを刺激し、そっちの界隈ではかなり人気なのだという。

これでは褒め過ぎなので、あえてウィークポイントも上げるならば、圧倒的な貧乳であることくらいか。まあ人によってはそこすらも好みに変わってしまう場合もあると思うが。


「ごめんな。ちょっと大胆なことしちゃって」


鉄の掟3条。人がいる時間帯の校内では絶対に話しかけてはいけない。


火野とは付き合って一年半になるため、本人もそのことを重々承知しているはずなのだが、こうしてわざわざ部室で俺を待ち構えてまで話す機会を設けたのはそれなりの事情があるのだろう。


「全然いいよ。春休み中も円佳は部活頑張っててなかなか会えてなかったもんね」


「おう。ありがと。えっと・・どうしても、タローと話したくてさ。その・・・、クラスも一緒になれたし、つい舞い上がっちゃって」


指をモジモジさせながら、照れ笑いを浮かべる火野。


「で、部活は順調なの?」


「あったりめえよ!オフにバリバリ体を仕上げたからね。自己ベストも練習だけど何度も更新してるし。もう絶好調。明日大会でもいいくらい」


前の発言の照れを掻く消すように、あえて威勢よく喋り、(平らな)胸に拳を重ねた。


「良かったじゃん。これは2週間後、期待だね」


陸上の地区総体は、他の部活動と比べると時期が早い。そのため、新学期明けて早々、今までの努力を賭けた本番が始まるのだ。


2週間後と、具体的な日時を出してしまったから、火野の表情が一気に硬くなり、呼吸が早まる。


この光景は、前に見たことがある。去年の秋、県新人の東北出場を賭けた決勝のレース前。応援に来ていた俺に「会いたい」と連絡し、駆けつけた時にしていた彼女の顔。確かその時も、こんな顔をしていた。


「正直、不安なの」

秋の悔しさから立ち直り、より一層キツイ練習に打ち込んだ冬。その努力の成果は、辛うじて盾状火山ぐらいまであった胸が、今は筋肉で断崖絶壁になっていることから十分に分かる。デートだって、休日の部活後に軽くファストフード店に行くくらいでほとんどしていない。それにハンバーガーが大好きな彼女が食生活にも気を配り、お茶とナゲットしか頼まなかった時はあまりの衝撃に俺まで何故か同じものを注文してしまった。



そんな努力を積み重ねたからこそ、秋での失敗が頭をよぎり本番間近に迫ったこの時期に、不安や重圧で押しつぶされそうなのだろう。


俺は不安そうに俯いているそんな、彼女の頭を優しく撫でた。


「大丈夫。円佳の努力は、俺がちゃんと見てきたから」


俺は彼女の断崖絶壁の胸を見ながら、呟いた。


「これから練習なのに、ドーパミン出ちゃうよ」と、俺の腕を掴んで頭から剥がす。


そして、俺の唇に自分の唇を一瞬だけ重ねると、両手を後ろに組んで、恥じらいの笑みを浮かべた。



「ありがと。本当はこうなることを、密かに企んでた。お陰で今日からの練習はすっきりした気持ちで行えそう。なんか無理やりさせた形になって、ごめんねごめんね~」


今うちの学年の女子の間で人気の、一昔前に流行った芸人のギャグを交えて本音を漏らした。


火野のクッキリ二重には、もう曇りはなかった。

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