第14話  「オーバーキル」




 俺は驚いているが、真帆は元々覚悟の上であったようで、口を一文字にしている。

 栗田も、先程俺に指摘していたのと同じテンションで鉛筆を原稿に落としていく。



「多分、タチバナさんの方はめっちゃ漫画好きなんだろうね。それはわかるんだけど……これやっていいの、一作まあまあ当てたことある作家なんだよね。デビュー作でやって伝わるやつじゃないのよ」



 真帆はいつの間にか取り出したスマホを操作し始めた。

 傍目にその画面を見ると、メモを取っている。

 ……なんか、それをやっていなかった俺がアレみたいじゃないか。いや、単純に気が回ってなかったから、アレなんだけども。



「こういう読切で大切なのは、わかりやすさ、シンプルさなんだ。これは深みを出そうとして、終盤になるにつれて面白くなるのはたしかだけど、終盤まで読んでくれる人ってほとんどいないよ。俺は編集だから読んだけど」



 そう言われて、俺は改めて原稿を眺めてみて……納得した。

 俺は彼女に手渡されたプロット帳を読んでいたから、気が付かなかったが……たしかに短い文で一纏めにされた面白い展開を、この原稿では規定されたページ数に合うように引き伸ばしていった。


 結果として見せ場は後半にまとまり、前半はその布石を打つシーンばかりになってしまっていたのだ。



「漫画読む人ってさ、別に漫画好きじゃないんだ。だから、この面白いところまで我慢してくれる人、いないんだ」



 衝撃の事実を、栗田は軽々言ってのけた。

 それは流石の真帆も驚いたようで、スマホをスワイプする指が止まってしまっている。



「面白いけどなんでか売れない漫画とか、全っ然深みも糞もないけどなんか売れちゃった漫画とかあるじゃん? それって、読者が面白いかどうかで判断してるからじゃないんだよ」



 原稿をまとめ、ファイルに戻し始める栗田の話に、もうメモを取るのをやめた真帆と俺は、栗田の話を、口を噤んだまま傾聴する。



「一作目でめっちゃ気合入ってる話なのはわかるけど、深いものを求めすぎ。で、それが文法から外れた絵のクオリティと噛み合ってない」



 不意打ち気味に、栗田は再度俺の絵を切り捨てる。

 オーバーキルだ。



「まあ、売れ線じゃなくてもそれでいいって言うんだったら画力で無理矢理客を引き付けるっていう方に切り替えて、ハヤシバラくん鍛えてあげてネームちょっといじるだけで読めるものにはなるけど」



 ……あれ、結局俺が足を引っ張っているという話に帰結するのか?

 いや、そりゃ当然ではあるが……まあいい。この際、恥はかき捨てだ。



「あの……どうすれば上手くなりますか……?」



 正直言って、画力に関してそれなりに自信はあったし、栗田もデッサンはできていると言っていた。


 では、デッサン力以外にどうやれば足りないところを補うことができるのか。

 俺は具体的な方法論を欲しておずおずと栗田に問うと、彼は戸惑うことなく口を開く。



「まず、めっちゃ漫画読んで……その漫画を全部模写していくこと」



 彼は俺が端に置いていた漫画雑誌を指差す。

 雑誌を手に取り、適当なページを開いてみる。


 そこに描かれている絵は、たしかにざっと目を通すだけで頭の中にシーンが浮かぶような……俺の絵とは違う。

 言われてみれば、俺の絵はただ1枚絵の連続だ。今、初めて明確にそれを自覚した。



「プロの漫画家がどういう風に考えてこういう構図にしてるのか、一番わかるのはそういうやり方。これ、ネーム自体はタチバナさんが描いてるでしょ?」



 説明を続ける栗田は、またズバリ言い当てる。



「タチバナさんはなんとなく染みついてる漫画の文法をネーム段階で出してるけど、ハヤシバラくんの方がそれに追いついてない。だから絵が死んでる」



 オーバーキルを通り越し死体蹴りを食らう俺は、少し内頬を噛む。



「あ、ありがとう……ございます」



 とりあえず、やり方は教わったのだ。礼を言う。

 そして静かに息を吸い込み、静かに吐き出した。


 口の中に、血の味はしない。どうやら出血には至らなかったようだ。



「これってさ、再来月のあれ出すやつ?」


「……あ、はい、そうです」



 真帆が栗田の問いに答える。再来月のあれ……つまりは賞のことだ。

 すると後頭部に両手を回して背もたれの方に体重を写した栗田は、唇を尖らせながら言葉を続けた。



「まあ一次選考はいけても二次は厳しいかな。このままだと」



 また、直球な言葉を栗田は吐く。

 ……しかし、俺たちが目標にしている賞、それへの到達度としてはこれ以上ないほどわかりやすい示し方だ。


 ただ、真実というものは人を傷つける。俺はなにかとよく聞く言葉が本当のことだったのだと、今初めて理解した。



「おっと、結構話しちゃったな。そろそろお時間です」



 栗田は自らのスマホの画面を見て、ハッとしたように事務的な口調へ変じた。

 俺と真帆は顔を見合わせ、彼女がファイルを受け取って俺たちは席を立つ。



「……ありがとう、ございました」



 頭を下げる。そして出口に足を向けようとしたその瞬間。



「あ、一応これ」



 栗田はポケットからタバコ大の薄いケースから2枚小さな紙を取り出すと、それを俺たちへ差し向けた。



「もし次、完成したら見せに来てもらえば添削するよ」



 それは、栗田の名刺だった。

 俺は反射的に、その言葉にうっと喉が詰まる思いがした。


 今回のことは想像以上にメンタルに来た。

 いや、必要な儀礼ではあったことは間違いないが。何よりプライドがガラガラと音を立てて崩れたことがわかったし、そもそもそんなプライド、持っていたことがショックだった。


 そのショックを与えた栗田という男に、再度見せるというのは、正しいやり方とわかっていても……正味気乗りしない。



「あっはっは。君たちそこそこできてるから、そんな落ち込まなくていいよ」



 …………どうやら、真帆も俺と同じ顔をしていたらしい。こんな、とってつけた言葉も信じられるか。

 しかし、栗田という人間の指摘はどれも的確で合理的だった。俺は栗田から2枚の名刺を受け取り、1枚を真帆に渡した。



「……失礼します。また、お願いします」


「うん。頑張ってください」



 栗田は微笑んで俺たちを見送った。


 俺たちはエレベーターに入ってボタンを押す。

 互いに、しばらく無言が続いた。









 橘母の待つ車へ向けて歩を進めていると、ビルの入り口付近に来たあたりで、真帆が急に歩みを止めた。



「あ、ごめん。ちょっと先に車に戻っててもらえるかな?」


「ん? ああ……わかった」



 そう言うと真帆は俺にファイルを手渡して、再度ビルの中に入っていった。

 トイレだろうか。まあ、こんなこと聞くのも野暮だ……いや、まて、問題だ。


 ここで俺一人が戻ったとしたら、あの母親とサシの空間を過ごさなければならないのか? ちょっと、それはしんどい。どうにか――――



「って、もう行ってるし……」



 ……ここで待った方がいいか?

 しかし『わかった』と言ってしまった以上、先に戻っていないとヘタレ認定が強まるばかりだろう。


 …………仕方がない。先に車へ行こう。



「はぁ……」



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