第13話 「評価」
……俺は後部座席で妙に背筋を伸ばしながら座っていた。
隣には真帆、運転席にはきっちりとハンドルを10時10分で握っている橘母がいた。
「朝ご飯は食べましたか?」
「あ、はい……一応」
とてつもなく社交辞令じみた会話から入ってきた橘母に、俺はおずおずと答える。
「あなたたちは付き合っているの?」
そして次に、本命らしき質問がいきなりぶつけられる。
なんという不意打ちか。
「いえ、そういうんじゃ……」
「そう」
俺の返答に簡素な相槌を打つと、橘母はそれ以降口を開かない。
車内に走行音ばかりがこだまする。
胃が痛くなりそうだ。
「あは。2人共下手だね、会話」
……じゃあ君が回せよ!!
と、心の底から思うが言えるはずもなく、俺は一瞬目を瞑って息を吐き、口を開いた。
「あの……今日は、その……ありがとうございます」
漫画作りには明確に反対していた橘母が、今日はわざわざ送迎をしてくれるとは……しかも、かなり忙しいはずの立場なのに、休日を使って、だ。
「もう作りきってしまったのなら、それを無碍にしてしまうことは勿体ないですから」
なんとも合理的な橘母の言葉に、ホッとしたような申し訳ないような……複雑な感情を抱いた。
「でも、あまり勝手はしないで、真帆。心配なんですから」
「うん。ごめんね、お母さん」
……このやり取りを聞いて、結局申し訳なさの方が勝った。
俺の背筋は、未だ伸びきったままだ。
*
「えへ、ごめんね。ママに送ってもらうって言ったら、林原くん行かないとか言いそうと思って」
「……俺をとんでもないヘタレかなにかだと思ってるな? 君」
会話を交わしながら、俺は彼女に連れられてとあるビルに入っていった。
エレベーターに入り、真帆は3階のボタンを押す。
重力を感じながら上昇する。近付くにつれて気持ちも重くなる。
いざ、間近に来てみると……嫌な緊張をするものだ。
エレベーターを降りると、長机を受付にした人が座ったままこちらを見た。
「ご希望の方ですか? こちらに記入をお願いします」
受付の指示通りに書類に情報を記入し、俺たちは用意された椅子に座る。
そこで待っていたのは1人の中年男性だけで、それ以外に人はいなかった。
まあ、地方だしこれくらいのものか。
「ドキドキするね」
小声でそう言ってきた真帆に頷いて返すと、「6番の方」と声が上がり、男性が呼ばれて奥にある小さな会議室のような場所へと入っていった。
ああ、妙にソワソワする。隣を窺うと、珍しく真帆も緊張しているようで、肩幅が狭くなっているような気がする。
「7番の方、どうぞ」
しばらく会話もなく待っていると、その声が響いた。
入れ違うようにさっきの男性が会議室から出て行き、俺たちが入室する。
その中には1人、白いシャツを着ている痩せぎすの男性が座っていた。
「ども、編集の栗田です。君たちは……高2か。若いね」
手元にある資料を眺めながら、座る男性――――栗田はこちらを値踏みするように眺めてきた。
「じゃ、そこにかけてもらって。早速見させてもらおうかな」
指示されるままに俺たちは座る。そしてファイルを手渡し、栗田はまずはざっと原稿を始まりから終わりまで目を通している。
「ほう、なるほどね。ちゃんと描いてきたんだ」
『学生はネームでも可』という要件があったが、まあ、頑張った。
一通り流し読んだ後、俺と真帆の様子に気が付いた栗田は机の端に置いていた分厚い漫画雑誌をこちらに差し出した。
「これ読んでていいよ。ひとつしかないけど」
すると真帆はそれを俺の方へ流す。
「わたしこれ読んだから」
「……あ、ありがとう」
それを手に取り、何となくパラパラと捲るが、この状態で落ち着いて読めるはずもなく、そもそも全く読んだこともない話が展開されている紙面の上を、目線はどこにも引っかからずに滑り続ける。
「はい、読み終わったよ」
すると雑誌の中の1話、その中間らへんでもう栗田は原稿を机に置いた。
なんという早さか。漫画を読むという行為にもスキルがあるのだろう。
「んーっと、2人はこれが初めて作った作品?」
「あ、はい」
「そうだよね」
原稿をペラペラと改めて捲りながら、栗田は頷く。
その言葉を聞き、俺はドキッとする。
今の『そうだよね』は……つまり、『この作品は処女作レベルである』ということだろうか。
「今後も2人でやっていく感じ?」
その答えがわかる前に、栗田は次の質問を繰り出してくる。
俺はふと、真帆の方を向く。
……真帆は、どう考えているのだろう。
今回、この原稿を作り始めたのは……元は俺が賭けに負けたからだ。
それ以上のことは俺も聞かなかったし、彼女とも話していない。
彼女もそのことが引っ掛かったのか、俺の方を見返してきた。
これはつまり……答えるべきは俺、ということになる。
彼女は作りたいという意思であると、こちらを見つめてきた時点で察した俺は、視線を栗田に戻して口を開く。
「はい。そうです」
隣から、少し息を呑む声が聞こえる。
顔は見れない。栗田の方を見ていると、彼は腕を組んで「ふーむ」と唸り声をあげる。
「じゃあ、ちゃんとアドバイスした方が良いよね。ズバズバ言う感じでいい? 物見遊山だったら褒めるだけ褒めて終わりでいいけど」
栗田の軽い口調だが、かなり厳しいことを言うことを宣言されたようなものだ。また一つ、気が重くなる。
「本当のことを、お願いします」
真帆がそう言い、俺も頷く。
そもそも、それを聞きに来たのだから。
栗田は片側の頬だけをクイっと上げ、背凭れに体重をかけた。
「じゃあ、まず……絵は高2のレベルじゃないね。いい意味で。すげー上手いと思う。デッサンはできてる」
ボロボロと、普段聞くような誉め言葉が連なってくる。
これは……多分本当のことを言っているが、それよりも伝えたい駄目な部分に対する緩衝材に過ぎないのだろう。俺は腹を決める。
「でもデフォルメが漫画の文法から外れてる。それが良いように働く時もあるけど……作画はどっち?」
「……俺です」
「多分漫画読んだこと無いよね、君」
ズバリ、言い当てられて俺は言葉を無くす。
……いや、当然の話ではある。プロに見られて看破されないはずがない。それはわかっていたのだが……やはりショックはショックだった。
…………ん、いや……待て。どうしてショックを受ける必要がある?
こんな反応をされるのはわかりきっていたのだろう? ならば、俺はどうして――そんな反応をされるなんて、みたいな感情になっているんだ?
――――ショックを受けるということは、『俺は褒められることを多少期待していた』ということになる。そうでなければ、ショックなど受けようはずもない。
つまり、俺は……俺が本心で期待していたのは、『これは素晴らしい作画だ! 何だって、君は初めて漫画を描いたのか? しかも漫画を普段読まない!? なんてことだ!』……と言われたがっていた、ということになる。
……なんと蒙昧で厚顔なことか。
俺は自身の中にあるあまりにも愚かな一面に気が付いてしまい、自分の頬を張ってやりたくなる。
内心で起こる爆発的な感情の反乱をできる限り外に出さないように努めていると、そんなことは知ったこと無いという風に淡々と栗田は指摘を具体的に解説する。
「作画にも緩急があるんだ。1コマ1コマ、丁寧に作ってるのはわかるけど……これだと読者疲れるよ」
栗田は持っている鉛筆の先を原稿に落とす。
それは小さな一コマだが、絵をしっかりと詰め込んだコマだ。
時間がない中でも、出来ることはやろうと……こうした方が、より良い作品になると信じて描いたものが、こんな簡単な説明によって無意味であったことに気付かされる。
「歌で言えば、ずっとサビ流れてる感じ。映画で言えば、アクションシーンしかない感じ。メリハリがない」
……反論の余地もない。
俺はかろうじて、頷くことしかできなかった。
「だから話ものぺーっと進んでいるように見える。本当は伏線とかいろいろ貼っているけど、絵にそれを伝える能力が無い」
――――トドメの一撃だ。
ゲームをやっている時の真帆よりも容赦のない言葉に、俺は打ちのめされる。
自覚していなかった、自分の足りていない箇所を指摘される……それはつまり、痛い所を陽の下に晒されてほじくり返されるような行為であるということを、今初めて、遅まきながら気が付いた。
仕方ないと、とりあえず傷付くのは置いておいて、話をしっかりと聞かないと……と覚悟をすると、原稿を一度おいて今度は真帆の方に視線を移した。
「で、今度は話の方。こっちの方がこの漫画では問題かな」
「え?」
俺は意外さに声を出す。
真帆の方を見ると、真帆は栗田の方を見ながら、黙って覚悟を決めていたようだった。
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