第12話 「掴み取った原稿」





 ボタンを押す。コントローラーを握る手には汗がにじんでいる。


 指の動きは午前とは比にならない速度だ。自分でも、俯瞰して見ればどうしてこんな動きができるかわからない。


 その動きが偶然、真帆のキャラクターの裏を突いたような挙動をする。

 意図してできたものではない。しかし、そもそも意図して裏を突けるはずもない。俺はずっとその機会を待っていたのだ。



「あっ」


「よし!」



 あとはもう、適当に攻撃のボタンを連打した。

 これまでも何度か攻撃がヒットしてきた中で、コンボも何も知識のない俺が一番通用する可能性があるのはコレ――真帆曰く、“ガチャ押し”。それは多分に嘲笑の意味が込められている――であるということは実証済みだ。


 そしてそれは的中し、暗転した画面の後に俺のキャラクターが誇らしく立っている姿が映し出された。



「――――よかったー。林原くん、もしかしたら一生勝てないんじゃないかって心配してたよ」


「……うるさいな」



 勝利の余韻に浸る間もなくそう言われた俺は真帆の顔を睨んでやる。


 しかし彼女は彼女で、笑顔を浮かべてはいるが……妙なひきつりを感じる。

 ……どうやら、負けたことが思いの外悔しいようだ。俺は内心、ほくそ笑んむ。



「じゃあ、はい」



 すると彼女はファイルを俺に差し出してきた。

 驚いた。負けた時用の用意もしていたのか。

 その割には負けて悔しがるし……やはりこの女は、どこか食えないというか……わからない。



「またやりたくなったら来てくれていいからね」


「……ああ。じゃあ、また」



 そう言って俺は立ち上がり、橘邸を後にする。


 帰り道の途中、道路を眺める目線とは別に、目の前にさっきまでやっていた画面がありありと思いだされる。



 鮮烈だった。


 これまでゲームなんてろくにしてこなかった俺には、今日数時間にわたって体験したものは、今まで感じていた悩みを少しばかり忘れさせてくれた。

 なるほどたしかに、ゲームというものに熱中する人がいるのも頷ける。


 だが、そればかりもしていられない。


 手に持つファイルを改めて眺める。

 その中に入る原稿は、やりたくないわけでは決してないのに、何故かやたら重く感じられた。









「さて……」



 自宅に到着した俺は、切り替える意味も込めて声を出す。

 なにかとやる気が出ない時は、こういった独り言は地味に有効……な、気がする。



「とりあえず、手動かすか……」



 原稿を取り出し、眺めてみる。


 ……線がガタガタで、何度も描いては修正液をかけて……というのが見て取れる、汚い絵だ。それは、昨日と変わらない。


 しかし、明確に変わっているところがある。



「……?」



 俺は新たに原稿を取り出し、ネーム通りの下書きを描き、ペンを走らせてみる。

 すると一発で、ネームで想定していたような、思い通りの絵が描けた。


 ものすごく簡単なことだ。なぜ昨日の自分ができなかったのか、さっぱりわからないほどに、あっさりと……描けてしまった。



「なんで……?」



 次のページに取り掛かる。

 それもまた、あっさりと描けた。


 俺は首を傾げた。

 まあ……描けるならいいかと、俺は次のページに――――





* *






 そして、次の週の土曜日。



「いらっしゃーい」



 俺は一応完成させた原稿用紙を携えて、真帆の部屋へとやってきていた。



「……ほんと、あのトーン貼りとかいう作業……絵じゃなくて工作だろ、あんなの」



 そう。『一応』というのは、そのトーンというものの扱いが正解かどうかわからないまま推し進めていったからだ。

 あれに関しては絵の上手さどうこうというよりも、どれだけ器用にカッターでとシールを張る作業ができるかという技量が問われる作業だった。


 ……そもそも言ってしまえば、絵というものが全般的に手先の器用さを求めるものではあるのだが、型にハマった以上のやり方をしてこなかった俺からすれば、門外漢な作業だった。


 学校は半分以上サボり、机に剥がれた細かいトーンがベッタベタ貼りついた状態ながら、なんとか完成まで持ち込んだ。手も、爪の奥までインクが入り込み、もう洗ったところで落ちない。



「…………うん、ちゃんとモノにはなったね」



 橘は俺から手渡された原稿を眺めながら感慨深げにそう呟く。

 彼女に原稿を見せるのは先週以来だ。


 原稿に行き詰った時に橘の家に寄ってゲームをさせてもらう……それ以外のやり取りを彼女とはしていなかった。


 真帆自身は手伝いたいと言っていたが、俺が拒絶した。それは彼女の体調を気遣ってということもあるが、他にも理由はある。


 そもそもプロットは彼女の作っていたもので、ネームの大半も彼女が手掛けた。

 せめて作画ぐらいきっちりやらないと、ただでさえ薄い影がさらに薄くなってしまう気がして……という感情もないではない。



「やっぱ、納得はまだいってないのか?」



 彼女の反応をあまり芳しいものと感じなかった俺は、問うてみる。



「うーん、まあ……わたしが見てきた漫画に比べるとどうしても、部活でつくりましたーみたいな感じがね」



 率直に告げられる感想に、俺は返す言葉もない。

 多分、俺の作画が足を引っ張っているのだろう。


 なにせズブの素人だ。多少絵が描けるからと言って、たった一週間の努力でひっくり返せるほど甘いものではないだろう。



「それがどこからくるチープさなのか……それは、これからわかるだろうから」



 これから、プロに見せに行く。

 一体どんな反応が返ってくるのだろう。全く想像がつかない。



「……で、どうやって行くんだ? バスか? 電車か?」



 これまで散々聞いてきたが、『こっちで計画立てておくよ』とだけ返されてきた移動手段だが、この直近になっても彼女はまだ話してくれていなかった。


 すると、コンコン……と、部屋の中にノック音が響く。



「どうぞー」



 真帆の許可を得た来訪者は手早く扉を開けた。



「あら……林原さん。おはよう」



「……お、おはようございます」



 それは真帆の母だった。


 一週間ぶりにエンカウントした橘母のキリッとした目付きに、俺は正直言って苦手意識を覚えている。

 できれば、橘母の用事が済むまでは部屋の隅に小さくなっていよう、そう考えていると――



「じゃ、行こうか。会場に!」


「え?」



 いきなり立ち上がった真帆は、ニコニコしたまま俺に視線を向ける。

 ……まさか。



「ママの車で!」


「…………え?」



 よく見ると、橘母の手には車のキーらしきものが握られている。

 ……ああ、マジかよ。





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