第6話 「プリザーブドフラワーアレンジメント」




 翌日、放課後。俺は特有の薬品臭に包まれ――――県立病院へとやってきていた。

 俺は一度橘家に寄って、橘父から病院の場所を聞き、市営バスに乗ってこの場所へとたどり着いた。


 スマホにメモした病室の扉に手をかける。

 妙な緊張で手が強張るが、一息に扉を横に引く。すると4人部屋でありながら1人しかいない部屋で、体を起こしている橘の姿があった。



「あ、林原くん。来てくれたんだ!」



 彼女は備え付けの机を引っ張り出し、その前面に紙を広げ、消しカスや削れた鉛筆の塵を散らしていた。



「……なに、してるんだ? 君」


「ネーム作ってるの」


「…………いや、そういうことじゃなくて!」



 俺はつい、声が荒くなる。



「ちゃんと休んでおけよ! 昨日の今日で……何考えてるんだ!?」



 つい昨日、ネーム作業中に倒れてしまったというのに、彼女は懲りずにやっている。

 しかも見る限り結構な枚数をこなしている。


 無理にやらせてしまったということを謝りに来たというのに、これでは謝ることなどできない。


 しかし俺の声に彼女はニコニコとしている。



「怒ってくれるんだ」


「――――っ」


「大丈夫、先生も許してくれてるよ。ごめんね、持病あったこと言えなくて。でももう今日は元気だよ」



 橘は力こぶを示すようなポージングをするが、入院着であるためむしろ痛々しく映る。

 しかし、力の抜けるような彼女の言葉に、俺は喉に出かかった言葉を一度飲み込み、肺へと空気を送り込む。謝られたら、もう何も言えない。



「……ごめん、取り乱して」


「ううん、嬉しいよ。来てくれて……あ、お花!」



 彼女は俺が後ろ手に持っていたプリザーブドフラワーアレンジメント――要するに、薬液に付けたらしい花の塊――を見つけると嬉しそうに声を跳ねさせる。



「……気の利かないもので悪いけど」



 見舞いに持っていくものは何がいいか、色々考えた。


 最初はお菓子がいいかと考えたが、腎臓が悪いと彼女の父から聞いたことを思い出し、じゃあ本でも送ろうかと思ってみたが、彼女に漫画を贈るのはむしろ失礼な気がするし、小説を読むタイプなのかもわからない……とグダグダ悩み、最終的に花に行きついた。


 しかし調べたところによると生花も花粉云々で駄目かもしれないということになり……最終的にこのプリザーブドフラワーアレンジメントという長々とした横文字に着地した。



「あと、これ」



 そう、このプリザーブ……よりも、リュックにしまっていた紙を取り出して、花と一緒に手渡す。



「昨日の分? ――――あ」


「出来ることは、やったつもりだけど」



 昨日の晩で、描ける分は描いた。

 コマに絵を収める要領も枚数を重ねるごとに掴めてきた。

 言われた『漫画になっていない』という指摘を自分なりに解釈し、構図も指示された通りだけでなく綺麗に見えるように変えてみたりした。それが伝わるといいが……。



「あは、うれしい……じゃあ、はい」



 花と紙を受けとりながら、交換するように橘は手渡した分の倍以上の枚数を俺に持たせた。



「とりあえず、今日1日は全部ネーム作りに使えたから、かなり量があるけど」



 よく見ると、ネームはかなり汚れている。何度も描いては消してを繰り返したのが伝わってくる。


 俺が筋を通そうとやった分の倍を、彼女はやってくる。

 今日は、もしかしたら漫画づくりは中止――そんなことを言われる覚悟でやってきたが、彼女のバイブスにあてられてか、俺もやる気が出てきた。



「任せておけ」



 なんだか、妙な気分だ。

 これまでどれだけ褒められたところでやる気も糞も沸かなかった絵を描くという行為が、何故か全然苦じゃない。


 自分がすべきことが、明確になったような……そんな気がする。



「あ、林原くん。実は昨日みせようと思って見せれなかったんだけど」



 思い出したように、橘はスマホを取り出して俺に画面を向けた。



「……新人賞?」


「これ、出してみようよ」



 画面には有名編集社の新人賞についての概要が書かれていた。



「そうだな……いいんじゃないか」



 無知な俺が言えるのは賛同することだけだ。日本画も、いくら描いたところで賞に応募しなければ評価されない。

 SNSにあげるということはできるが、そもそもバズらなければ結局意味はない。


 ただ作るよりも目標があった方が良いのは間違いないが……しかし、俺は募集要項の締め切りに目が行った。



「あと2ヶ月で出来るものなのか?」



 まだネームしかできていない段階で、一度も完成させたこともない俺たちが……と聞いてみると、橘はしたり顔でうんうんと頷く。



「1週間で19ページ描く人もいるんだから、大丈夫だよ」


「……それってプロ中のプロだろ」


「えへ」



 なんとも適当なことを言う彼女に呆れかけるが……そもそも彼女とて初心者で、初めての経験であるということに思い至り……頑張らなければいけない、と気が引き締まる。



「あれ、ここはどうしたの?」



 俺が絵を入れた分のネームを精査していた橘は、所々描けていない部分に首を傾げる。



「いや、ちょっとなに描いてるかわかんなくて」


「ぐぬ」



 それから俺は面会終了の時刻まで、彼女の指導の下にネーム作業を進めていった。









「結糸」



 俺は帰宅し、真っ先に自室へと戻ろうとしたが、それを呼び止めたのは母さんだった。


 どうやら今日、友禅は外に出ているらしく、顔を出してくる様子もない。ホッとした俺は、母さんの呼びかけに応じて足を止めた。



「お父さん、怒っているよ……ご飯も食べないし」



 母さんは困惑をした様子で俺に恐る恐る言葉を吐いていた。

 今まで主張らしい主張を放棄していた俺が、明確な反抗をしたことに戸惑っているのだろう。


 だが、ひとつ確かなことがある。



「俺はずっと、我慢していたんだ」



 その言葉に、母さんは意味が分からないといった風に眉を歪めている。



「母さん。俺、ずっと大人しくしてたでしょ。やれって言われた賞には応募してたし、ちゃんと技術は身に着けてたんだ」



 学校で習ったことも、極稀に俺の部屋に入ってきてグチグチ指導してきた友禅の言うことも大人しく聞いて、上手くなった。

 実際に、他の同級生には取れない賞もとってみせた。褒められることはなかったが。



「でも、友達に言われたんだ。『絵がノってない』って」



 橘が初対面でぶっ放してきた、あまりにも失礼な言葉。


 そんな彼女の言うことに、本当は従う必要なんかなかった。

 それでも最初は嫌々ながら漫画制作を始めたのは、彼女の言葉に心当たりがありすぎたからだった。



「そんな自分を変えてみたくて、やっと踏み出せた一歩だから……やりたいこと、やらせてもらえないかな」



 大人しく、意見もなく……黙ってきた俺だから、言う権利はあっていいだろう。

 しかし母さんはまだ受け入れられないのか、ふるふると首を横に振りながら声を震わせる。



「やりたいことって、マンガ? お父さんから聞いたよ……日本画をずっとやってきたのに、そんなことに時間使ってていいの?」



 その言葉を聞いて、俺は深い落胆を覚えた。

 ……ああ、母さんはやっぱり、わかってくれないか。



「俺から言わせてみれば……日本画も『そんなこと』だよ」



 ――――そもそも、世の中で本当に必要なことって何なんだろう。


 人間が生きて行くのに必要なことは、突き詰めれば飯を食って寝ることだけだ。

 絵を描く必要なんかそもそもないし、こんな思考だって無駄なんだ。


 その上で、しなくていいことにそれぞれ価値を見出し、それぞれがやりたいことをやるのが表現……芸術のはずだ。

 それなのに、人の持つものの価値を勝手に決めて、勝手にレールを敷いて……それを友禅どころか母さんも、当然だと思っている。


 俺は、それが悲しくて仕方がない。



「ご飯のことは、ごめん。でも、アイツと一緒に食べたくないんだ」



 何度言っても理解されなかった、『友禅が苦手だ』って話。

 これが最後だって想いで、俺は母さんに伝える。



「嫌いなものは嫌いだ。これまでは主張がなかったからできてたけど、もう我慢できない」



 諦めていた、伝えるということ。

 母さんには理解されないかもしれないけど……それでも喋った。

 そうしなきゃいけないと、思った。




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