第4話 「ホッとする」


 ファイルに綴じられた資料を読みながら自宅まで到着した俺は、リュックの側面ポケットから鍵を取り出して見ずともわかる位置にあるノブを捻る。

 帰宅までの間に粗方の内容を理解した俺は、頭の中でこれに書かれているキャラクターたちのデザインをどうすべきか考えながらファイルを閉じて、靴を脱ごうと足元に視線を落とす。



「ただい、ま……」



 そして、帰宅の挨拶を発しかけた時、気が付いてしまった。


 昨日までには無かった男物の靴が、玄関に乱雑に脱ぎ置かれていることに。



「よぉ、おかえり。結糸」



 その靴の主が、まるで俺の帰宅を見計らったように玄関に登場する。


 ああ、なんてことだ。


 林原友禅。俺の最も嫌いな人間が、目の前に立っていた。

 たしかに、母さんが先日、こいつは絵を完成させたと言っていた……だが、もう帰ってくるとは。



「おい、一ヶ月ぶりの父親にかける言葉はなんかないのか?」


「……久し振り」



 俺は靴を脱いで、俯きながら自室へ戻ろうとする。

 できる限り、顔を合わせたくはない。


 しかし、俺の進路を阻害するように友禅は俺の前に立ちはだかる。



「……どいてよ」


「なに熱心に読んでたんだ?」



 友禅は突然、俺が手に持っていたファイルを奪い取った。



「あっ、おい!」



 奪ったファイルをパラパラとまともに読むわけでもなく流し読む友禅は、フンと鼻で笑う。



「なんだこれ。恥ずかしいもん読んでんなお前」



 流石に俺が描いたものではないというのはわかるようで、そもそもこれが何なのかということをこちらに問い掛けてくる。


 ……答えなければファイルを返してもらえないようだ。俺は溜息を隠さずに出しながら首を振る。



「……友達に、この漫画の作画を頼まれたんだ」



 俺の返答に、友禅は先程までニヤついていた表情をスッと無表情にする。



「聞いたぞ母さんから。お前また優秀賞すらとれなかったってな」



 ――――ああ、鬱陶しい。

 この説教の行きつく先はあまりにわかりやすい。これまで幾度となくされてきた、飽き飽きしているものだ。



「オレはお前の歳の時、もうとれる賞は全部取り終わってたぞ。ガキの遊びにうつつ抜かしてる場合じゃねえだろ」



 ことあるごとに、この男はかつての自分と俺を比較し、嘲笑う。

 何度も、何度も……こうやってマウントを取りに来る。だから、大っ嫌いなんだ。



「……俺はアンタじゃない」


「だが、オレの息子だ」



 ああいえば、こういう。

 しかしこの押し付けに対する正解を俺は持っていない。


 ああ、内頬をまた噛んでしまう。

 手を伸ばし、ファイルを奪取する。


 しかし友禅はニヤつきを再度浮かべ、俺を見下してくる。



「いくら拒否してもその称号はお前の人生からもう消えない。なら割り切って、期待を越える以外にお前ができることはない」



 糞みたいな理論だ。

 なにか、言い返さなければ。



「…………」



 でも、言葉は出てこない。

 俺はいつもより早足で、階段に向けて歩く。



「あ、結糸。ご飯……」



 リビングから顔を出した母さんが、のほほんと俺に声を掛ける。

 頭に血が昇っていることを自覚しながら、俺は短く言葉を発する。



「今日はいい」


「え、どうしたの。機嫌悪いの? お父さん帰ってきたんだよ? 一緒にご飯食べようよ」



 ……母さんも、いつもこうだ。何を言ってもしょうがない。

 多分母さんは、俺が友禅のことを嫌っているということを知ってはいながらも理解をしていない。


 母さんは友禅のことを愛しているのだ。そして母さんは母さんの人生しか知らない。故に、俺の考えを『ズレたもの』として捉え、「また細かいことを……」というスタンスを、ずっと取り続けている。


 母さんのことは嫌いではない。それでも、母さんに俺は絶対に本心は明かさない。

 言っても、母さんは他人であるということを見せつけられるだけだから。



 俺は気が付くと、自室に入って扉に背を預けていた。


 ずっと噛んでいた内頬を解放し。歯型の付いた部分を舌で撫でる。今回は、血は出なかった。

 そして俺は右手に持っていたファイルを机に投げ――――ようとしたが、俺は机に座り、鉛筆を削り、キャンパスノートを広げてそれに向かった。



「見とけ、クソ……!!」



 資料を見ながら、キャラクターの絵を描き始める。

 胸に湧きだす……怒りなのか、不満なのか、それをぶつけるように筆を走らす。


 何故だかわからないが、イーゼルに向かっている時よりもスラスラと絵は描き進んだ。


 それが良いことなのか、どうなのか。俺にはわからなかった。









〈翌日 放課後〉



 無味無臭な学校での授業時間を終え、俺はとあるコンビニにやってきた。

 メッセージの画面を眺めて、待ち合わせ場所がたしかにここであると確認し、周辺を見渡すと、駐車場に立っていた橘を発見した。



「林原くん!」



 かなりあった距離を、彼女は一気に詰めてくる。

 その目は楽しげにキラキラしている。昨日から憂鬱だった俺に、その目は些か胸に刺さった。



「凄いよ! これ! イメージピッタリ!」



 そしてスマホの画面をビシッと向けられる。その画面には俺が昨日送った下書きが映されていた。

 嬉々として俺の絵を眺めている彼女に、俺は笑みを浮かべる。



「なんか、ホッとするよ。君といると」



 ついポロっとこぼれたその言葉に、橘は背負っていた鞄をごそごそと漁り出す。



「ふふん、わたしだってただ待ってたわけじゃないよ!」



 そう言って彼女はA4のコピー用紙を数枚、クリアファイルから取り出して俺に押し付けてきた。

 なんだ、と思って眺めてみると……そこには、ざっくりとした四角の枠に、吹き出しと台詞が書かれていた。



「……おぉ、漫画だ」



 絵などは描かれていない。それでも、たまに見るような漫画の大枠はできていた。

 一度やってみようとして失敗した、俺がやろうとしたもの――ネームがそこにはあった。



「まあ、まだ4ページくらいだから全然だけど」



 彼女ははにかみながらコピー用紙を回収して歩き出す。橘家に向かっていくのだ。

 大枠、何をすべきかということは決まった。あとはそれを実行するだけだ。



「だけど、これからが大変だよねぇ」



 歩きながら、橘はそう言った。

 たしかに、その言葉には同意する。何かを作る上で、一番大変なのは、形が見えてきた時だ。それは絵も漫画も同じだろう。


 だが、頑張ろう。


 ――――そう考えながらも、俺の頭の片隅からは、友禅のニヤつきが離れなかった。









 そして、昨日と同じく橘のお父さんに挨拶をし、彼女の部屋へ入った俺は、さっそく彼女が作っていたネームに絵を描き入れていく。


 彼女の部屋には勉強用の机のほかに、床に敷かれたカーペットとその上にローテーブルがある。俺と橘は対面で座りながら作業をしている。

 言ってもネームはあくまで下書きらしいが、一応と思って背景も込みで描写を始めると、それを眺める彼女は視界の端で小さく揺れながらたまに感嘆の声を漏らす。



「いやぁ、上手だねぇ……」



 なんとも素直な誉め言葉を耳にしながら、俺は黙々と作業をする。


 そうしていると、彼女の動きがピタッと止まったことが関節視野で見える。

 どうしたのだろうか。なにか絵に不備でも……と思ったが、次に発せられた彼女の言葉は予想に反していた。



「なんか、褒められたくなかったりする? 林原くん」



 ピタ、と持参した6Bの鉛筆を動かしていた手が止まる。


 ……なんと目敏い女だろう。

 なるべく表情に出さないようにしていた内心を見抜かれた俺は、一度鉛筆を置いて腕を頭上に掲げてストレッチを始めた。



「うーん……嫌ではないんだけど。正直……絵は何の為に描いているのか、自分でもわからないから」



 環境からして、俺は絵を描くことを義務付けられたようなものだった。

 赤子の頃から画材の匂いに囲まれ、価値もわからない時から美術館に一人でいることもあった。


 故に初期衝動もなにもなく、ぬるっと始めた絵描きは、自分の周りにいる同年代の中では抜きんでていた自覚はあった。


 しかし俺は『できていたから続けていた』だけであり、『やりたくてやっていた』わけではない。

 その感覚は16になった今でもある。他にやりたいことも、できることもないから……環境によって与えられた『絵』に逃げているだけなのだ。



「褒められたくて始めたわけじゃない絵だけど……でも、俺にはこれしかないから、自分でもどう向き合っていいのか、わかってないというか」



 だから、褒められてどうすればいいのかがわからない。



 嬉しいことは嬉しいし、褒められることがなければ続けていなかったのは間違いないが……そもそも、続けていていいことなのか。


 絵を続ける限り俺は友禅の呪縛から逃れられない。

 むしろすっぱり辞めた方が……とも考えるが、それでもズルズル続けている。



 そう考え自己嫌悪に陥りそうになり、ハッとする。


 対面にいる橘が、まっすぐこちらを見ながら俺の話を黙って聞いていた。

 恥ずかしい。まず、そう思って、俺は首を振って再度鉛筆を手に取ってネームの作業に復帰する。



「…………君に話すことでもなかったな」



 バツが悪い俺は『忘れてくれ』という意味も含めてそう言った。

 だが、橘はふるふる、横に首を振ってまだこちらを見据えている。



「ううん、聞かせて」



 彼女のその言葉に、また、俺の手が止まった。



「まだ、林原くんのこと何も知らないから。これから作業ずっとやるわけだから、認識のすり合わせは必要だと思う」



 ……ああ、彼女はまた、俺のつくった壁を簡単にすり抜ける。


 一体、彼女のなにがそうさせるのか。面白がっているだけなのだろうか。

 人に悩みを相談する無意味さは十分にわかっている俺は、そうやって彼女の腹を探ろうとしてしまうが……顔を見ても、彼女に表情はない。



 ――――ただ、聞きたい。



 まるでそう言われている気分になった俺は、再度コピー用紙に視線を落とす。



「……わかった」



 抗うことは、もうできなかった。



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