第2話 「崩される予定調和」


 16年間、何度捻ったかわからない家のノブを捻り、安心感を覚える匂いに包まれる。



「ただいま」



 なにか、いつもよりも帰宅の声に覇気が出ないのを自覚する。


 疲れた。意味のない賞状授与に意味のわからない橘という少女の登場……無駄に韻を踏んでしまうほどには疲れている。



「おかえり、結糸。ご飯できてるよ」



 俺の帰宅に反応した母さんが居間から顔をだす。


 俺は一度部屋へ戻り着替え、手を洗い、食卓へと着いた。

 すると母さんはそこにおかずを持ってきてくれる。今日は酢豚のようだ。



「……コンテスト、入選だったよ」



 白米に箸を通しながら、とりあえず報告する。


 賞を取る……それは普通それなりに評価されるのだろうが、俺はなんといってもありがたくも『林原友禅』の息子なのだから、期待ばかりはいつも大きい。


 同級生からはやっかみを受け、家族からは叱りを……そう思うと、ただでさえ疲れているのに気が重い。



「あらそう。あ、お父さんから連絡来たよ。新作描き上げたって! 帰ってきた時に好きなもの買って貰ったら?」



 ……褒めるでも、叱るでもなく、母さんは話を父に切り替える。

 小さな子供に言うようにそう言った母さんはニコニコしていた。久々にあいつが帰ってくるのが、嬉しいのだろう。


 父は普段、絵を描く間は自宅とは別のアトリエに籠っていることが多い。

 彼が帰ってくるのは絵を描き上げた時か、結婚記念日か……そんなものだ。


 頬張った酢豚の酸味が内頬にしみる。

 …………痛い。









「……」



 夕餉を終え自室に戻り、とりあえず読んでみようと鞄の中からプロットノートを取り出す。

 するとポロ、と1つの封筒が鞄からこぼれ落ちた。


 それはコンテストの入選者に贈呈される図書カードが封入されたものだった。大会から5000円分。それに加え、学校からも5000円と気前がいい。

 しかし、この金もどうせ画材に消えていく。ちら、と部屋の一面に置かれてあるキャンバスや筆に目をやり、俺は自然と溜息が出た。



「なにしてんだ、俺……」



 口をついて出た言葉に答えるのは、誰もいない。

 自分でも、吐いた言葉に答えることはできなかった。









 翌日、朝。



 学校に登校した俺は、ペットボトルに入っているコーヒーを飲みながらぼーっと黒板を眺めていた。

 周りからは昨日会ったばかりだというのに話題が尽きる様子のない同級生の雑談が耳に入ってくる。


 いつものことながら、よく朝からテンションをあげられるものだ。そう思いながら黒い液体を傾けると――――





「林原くん! どう? 読んでくれた?」





 教室内に、はつらつな声が響いてきた。


 橘が、笑みをニコニコと浮かべながら俺の机の前にやってきていたのだ。


 クラスメイトの視線が、一気にこちらへ向く。


 まともに喋らない俺に、一度も来たことのない別学科の女子……異色すぎて、ものすごく浮いている。



「……ちょっと、いいか」



 震える声を抑え、俺は席を立つ。

 橘は、笑ったままだ。

 ああ、憂鬱な朝だ。









「どういうつもりだ、君」



 俺は彼女を連れ、屋上へつながる階段の踊り場の手すりに寄り掛かりながら彼女に強い言葉が出てしまう。



「あれ? どうしたの?」



 これまでの煽りとは違い、本当にわかっていない様子の彼女に、俺は顔を伏せる。



「クラスメイトもいるのに……やめてくれよ」



 ただでさえ注目されがちな人生だ。余計な目立つことはしたくない。



「林原くん、友達いるの?」



 おっと、いきなり失礼な問いかけだ。

 とはいえ、図星を突かれて怒るなんてことはできない。



「……いないけど、というかいないから嫌なんだよ。なんか言われるとしたら陰口確定だし」



 どうせ、皆俺のことを疎ましく思っている。

 どうせ、今だって橘含めてなにか噂を面白おかしく言っているんだろう。


 だって……俺は『林原友禅』の息子なんだから。



「……なるほどね。わかった。ごめん」


「……謝られると弱いけど」



 意外と素直に、橘は頭を下げてきた。

 わかっている。別に彼女が悪いわけじゃない。だから謝られたら、溜飲を下げる以外にできることはない。



「で、読んでくれた? どうだったかな?」



 そして、彼女は話題を一気に転換し、本題へと戻してしまった。

 なんと強い精神力か……俺が気にし過ぎなのか?


 ……これ以上グダグダくだをまいてもしょうがない。俺も彼女の図太さにあやかって、話を戻すとしよう。



「……この、島のやつがいい」



 俺は持ってきた彼女のノートを開き、あるページを示す。

 それは、離島へと引っ越してきた主人公の男の子が、島の住人である少女と出会い、その島に潜む謎を解明するという、ミステリ兼ボーイミーツガールのような作品だ。


 これを選んだ理由は、この話が一番、自分の領分とする日本画というジャンルの経験が活かせそうだと思ったから……という、なんとも浅い理由だ。

 だから正直、話が面白いかとかではなく、他の漫画はファンタジーとか刑事とか……描いたことないし描きたくないと思ったのが根底の意見で、自分でも酷いと思う。



「ほんと?」



 その彼女の反応は、意外そうというか……目を丸くしてこちらを見ている。



「なんか、悪かったか?」



 俺の適当加減が伝わってしまったのかと不安になって聞き返すが、彼女は驚いたような表情からいつもの笑みに顔を戻して小さく首を振った。



「いや、いいんだ」



 心なしか、声が高くなったような、頬を赤らめているような、動揺している彼女の様子に、俺は首を傾げる。


 そういえばこのプロットは、書かれているのは9つ目、最後だ。

 最後に書いたものだから、勢い任せで自信が無かったのだろうか……と考えていると、彼女は元の調子に戻ったようで再度口を開いた。



「じゃあ、ネーム描こうよ! 設定資料は家にあるから今は渡せないけど……」



 やはりやる気に満ち満ちている彼女を見て、俺はまたも眉を顰める。



「……ネームってなんだ?」



 専門用語にはとことん疎い。

 彼女はそれを「やっぱり」と言わんばかりに説明を開始する。

 どうやら昨日の段階でそれを理解したようだ。むしろやりやすくて助かる。



「漫画って、コマ割りっていうコマを配置していく作業があるんだけど、それの下書き……設計図かな? それを作ろ、っていう話」



 なるほど。たしかに、このプロットだけで『はい漫画を描いてくれ』と言われたらどうしようかと考えていたが、そういう工程があるのか。


 しかし『描こうよ』ということは……俺が描くのか?



「そういうの、君が作ってくれるんじゃないのか」


「わたしより、絵が映えるやり方はそっちが上手いでしょ?」



 さも当然、というように彼女は言う。

 ここで「ああ、そうだな」と、昨日までの俺なら言ってしまったかもしれないが、そういうわけにもいかない。



「俺、素人だからわからないよ」



 正直に俺は白状する。

 実は、昨日試しにどんな感じで描けばいいのか、練習がてら俺も下書きを……ネームとやらを描いてみた。


 しかし、ビックリするほどどう描いていいのかわからず、結局白紙のまま床についてしまったのだ。

 物語を伝えるように絵を描くなど、一枚絵以外に欠いてなかった俺には到底不可能だということをまざまざと経験した俺は『ネーム描くよ』なんて口が裂けても言えない。


 ……そもそも、昨日の段階でチャレンジして失敗したとか……恥ずかしくて言えない。



「じゃあ、一緒に作ろっか」



 橘のその言葉に、俺は心底ほっとした。

 というより、彼女もどうやら元々その気だったらしく……むしろ、後々そういうつもりだったかのようにスラリとその言葉が出てきた。


 ……まさかだが、最初俺に任せて『無理だ』と言って泣きつくまでが彼女の元からのシナリオだったりしないだろうか。

 昨日から見てきた彼女のしたたかさからして、十分にありうるが……まあ、余計な勘繰りはやめておこう。



「……それで、どこで作るんだ?」



 創作にはそれなりの時間がかかるだろう。しかし俺には喫茶店もファミレスも……時間を潰せる場所の心当たりはない。友達と出掛けることがないから。

 なにもかも頼りきりになるが、と思いながら問うと、彼女は軽く首を傾げながら口を開いた。



「わたしの家」



 ……聞き間違いかと思ったが、彼女はそれ以上口を開かず、それが至極当然のように微笑んでいる。


 ああ、価値観がズレている。

 こう感じてしまうのは、俺に友達が少ないからだろうか。


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