ナンバーナイン
白鳥鶉
第1話 「約束は服従のはじまり?」
『――――日本画コンテスト、高校の部……入選。美術科二年、
名前を呼ばれた俺は、ステージの上に登壇する。
資源の無駄としか思えない賞状に書かれた誉め言葉を、校長は淡々と読み上げ、俺はそれを受け取る。
全校生徒、それどころか教師ですらウンザリしているであろうこの時間に、俺は全員からの視線を受け……恐らく、煙たがれているのだろう。まったく、損な役回りだ。
ステージから粛々と降り列に戻ると、コソコソと陰口が耳に届く。
「また林原かよ」
校長のありがたいお話がお経のように流れる裏で、背後からかすかに聞こえる言葉は、その対象である俺に異常なほど鮮明に鼓膜へ届いた。
「仕方ないよ。だってお父さんが『林原
さっき言っていた男の隣に並ぶ女子生徒が、勝手に人の親のことを口にする。
不快感に頬がピクつくのを抑えきれない。しかし、音が鳴らない程度に深呼吸をし、なんとか心を落ち着かせよう……そう考えていると、男子生徒の方の言葉が再度耳に届く。
「はあ、親ガチャURだよなぁ。平等じゃねぇよ」
ざわ、と顔に血が昇るのを自覚し、内頬をきつく噛む。
温い汁が舌に伝う。鼻腔に鉄の香りが満ちる。痛みと臭気が頭を支配し、怒りが少し和らぐ。
未だに校長の話は続いている。ああ、一体いつまで続くのだろう。
*
陽が傾いていく。
脳を殺し、授業も全て淡々と進め……俺はいつの間にやら硯を洗うために水道までやってきていた。
「ふぅ……」
溜息を吐きながら、硯に付着した染料が落ちていくのを眺める。
この瞬間が好きだ。これまで俺の頭を悩ませ続けてきた『色』が水に全て流されていく。こびり付いたものが、いとも容易く――――
「林原くん! 時間良いかな!?」
……ああ、この至福の時間が崩れた。
ちら、と騒音の方を見ると、思った通りのボブカットの黒髪が揺れながらこちらにズームされていく。
「……片付けながらでいいなら」
「うん!」
視線を洗い物へと戻すが、耳に響く声と気配がすぐ後ろまで近付いてきた。
見ずとも感じるが……この女は俺の肩越しに何をしているのかを観察しているようだ。
パーソナルスペースガン無視でやってくる彼女を背に、俺は洗い物の手を止めない。
「ねえ、林原くん……約束、覚えてる?」
相手にされない俺へ不安を抱いたのか、少し声の強さが弱化した彼女に、俺は答える。
「……『優秀賞以上を獲れなかったら、わたしに付き合って!』……だったよね。普通科の
「うん! 名前覚えててくれたんだね!」
パッと明るくなった声に、頭を掻きたくなったが……手がビショビショで無理だった。
代わりに鼻から息を深く抜くと、俺は蛇口を閉める。
「で、漫画だっけ? なんで俺なんだい?」
雑巾で水気を拭きとりながら、同時に口を動かす。
『付き合って』と言っても、彼女はどうやら漫画の作画担当が欲しかったようで……俺は先月突然声を掛けられた。
なぜ、一度たりとも話したことのない俺に声を掛けたのか理解に苦しむ。他に頼めば安請け合いする人間はいそうなものだ。
それを問いかけると、彼女は「んー」と曖昧な声をあげた。
「林原くん、絵はすっごい上手だけど……日本画、あんまり筆が乗ってないよね」
その橘の言葉に、俺は思わず振り返る。
彼女はふわふわしている笑顔を浮かべていた。
「……君、失礼なこと言うね」
内頬がズキ、と痛んだが、俺は嫌味を込めて彼女に毒を吐く。
しかし彼女は全く動じずに笑みを深めた。
「えへ、でも賭けはわたしの勝ちだから! 黙って従ってね!」
どうやら、彼女は見た目や振る舞いよりもしたたからしい。
また頬が痛む。なぜ痛むのか……俺は、苦笑いで顔が引きつっていることに気が付いた。
*
洗った道具を片付けて下駄箱まで到着した俺は、自分の箱に立ちはだかるようにいる橘を発見した。
それに対する、俺の感想はまず……なにしてんだこいつ、だった。
「……橘さん。今日は時間かかるから先に帰ってくれって言ったよね」
もう、陽は地平線に被っている。空は真っ赤だ。
それなりに時間は経った。わざわざ待っていた彼女に疑問を抱かざるを得ない。
「ずっと考えてたプロットがノートいっぱいにあるんだ! 早く渡したくて!」
彼女はその胸によれたノートを持っている。表紙に書かれた『プロットノート』の文字はかなり読みづらい。勢いで書いたのだろう。
ウキウキの様子に申し訳なく感じるが、彼女の言っていることがよくわからない。
「プロットってなんだ?」
「え、あー……物語の草案、かな」
橘はどうやら俺が思っていたよりも物語に不見識であるということに若干言葉を失っているようだ。
「俺は何もわからないからな。君に任せるよ、全部」
俺は元々門外漢だ。そもそも、期待されても困る。
約束がある以上、従うが……正直言ってやる気もない。ならば黙って指示通り。それが一番、効率がいい。
しかし、どこかとぼけた表情をしている橘は俺にノートを差し出してきた。
受け取って表表紙を開いてみると、9個の箇条書きがあるのを見つける。それぞれにはページ数が記載されており、適当に開いてみるとみっちり文字が羅列されている。
読んでみると、『200年前の英雄が……』と書かれている。他のページをペラペラめくると他には恋愛ものだったり、バディものだったり、ピカレスクだったり……色んなジャンルを手当たり次第に書き上げているようだ。
「えーっとね。いっぱいあるから選んでほしいんだ。林原くんに」
照れ臭そうにそういう彼女のはにかみを見て、俺は少し後悔をした。
彼女はどうやら本気らしい。 俺が気軽に協力すると言ってしまったのは……申し訳ない気すらする。
そんな俺が、提示されたこのノート――プロットか――の選択権を得るのは、いかがなものだろう。
「俺が選ぶより、君が面白いと思うやつの方がいいんじゃない?」
申し訳なさの言い訳気味にそう言った俺に対し、橘は人差し指を揺らしてチッチッチと舌を鳴らしてこちらを煽ってきた。
「そうじゃないんだなぁ。それじゃ絵がノらないじゃん」
なんか妙にうざい彼女の言葉は、しかし痛いところを突いてくる。
「……まるで日本画のように、ってことか」
「えへ」
随分可愛らしい口調の彼女だが、性格は相当に悪いらしい。
作家というのはこういう存在なのだろうか。
ああ、内頬が痛い。
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