第10話 怪異の正体

 あまりにおぞましく凄惨な光景に、ルフスは愕然とした。

 路地を進んだ先に出たのは、これまでとは違って荒れ果てた通りだった。複雑に絡み合った蔦が地面や壁を貫き、飛び散った瓦礫があたりに散乱している。建物は原型をとどめていない。壊れかけた扉の錆びたベルが風に揺られてカラカラと音を立てている。

 その中に、いくつもの鮮やかな赤色が見えた。

 それは花だった。

 煌々と輝く月のもと、瑞々しく、美しく咲き誇る、大きな赤い花。強く甘い香りを放っている。

 養分はヒトだ。

 大きく開かれた口から伸びた立派な茎。

 身体には蔦が巻き付いていて、見開いた瞳で、天を仰いだまま硬直している。瞳のなかに光はない。頬がこけて病的に白い。痩せた首に浮いた血管が脈を打っているのが不自然だった。体内から皮膚を突き破り伸びた根は石畳を割り、地中深くに張っているようだった。

 そんな風に苗床と化したヒトの姿は他にいくつもある。

 胃の底からこみあげるものがあって、ルフスはその場で吐いた。


「随分とえげつないことしてくれるじゃない」


 グルナがルフスの前に出て言った。

 青い瞳で睨みつける。視線の先には、丸い頭に沿った短い黒髪の、チュニックと薄手のズボンに身を包んだ青年の姿。


「ティラ……」


 ルフスは名前を呼ぼうとして、途中で咳き込んだ。

 ティランは唇の片端を吊り上げて笑う。両手を広げて、感嘆の声を上げる。


「ああ、ああ、なんという力だろう。なんと心地のよい」


 明らかにティランのものではない、金属が擦れるような甲高い耳障りな声だった。


「とうとう手に入れたぞとうとう。器にふさわしいこの体」

「やめときなさいな、クソ生意気なガキの体なんて。拒絶反応起こしたって知らないわよ」


 グルナが言いながら何かを投げつけたが、ティランに届く前に伸びてきた茨によって弾き飛ばされてしまう。真っ二つに裂かれ、地面にそれは文字が書き込まれた紙のようなものに見えた。


「祓い屋か、忌々しい人間が。お前たちもここで我が糧となってもらうぞ!」

「木生火」


 ティランの足元から新たに生えてきた蔦が、二人に襲い掛かる。グルナは素早く人差し指の先で宙に何かの図形を描くと、掌でそれを前に押しやった。すると突然蔦が炎に包まれ、焼き払われる。だが炎はそれ以上広がることなく、消え失せた。灰が風に舞い、雪のように降ってくる。

 蔦をすべて燃やすには、グルナの力だけでは厳しい。

 街の人間が消えるようになったのは最近だ。つまり最近になって、この妖はそれほどの力を持っていなかった。

 元々は、恐らく雑魚と呼ぶに等しい、大した力を持たない者のはず。

 あの青年から引き離すことさえできれば。


「うわあ!」


 近くで悲鳴が上がり、グルナはしまったとばかりに振り返る。背後では蔦に巻き付かれたルフスが宙づりにされて、必死にもがいている。


「油断禁物、余所見は厳禁」


 笑み声と共に、ティランの皮を被ったそいつは蔦を操り、グルナを捕えた。グルナは先刻と同じ炎を生み出そうとするが、今度は手首から先まで蔦に覆われてしまう。

 締め付ける力は増して、骨が軋み、グルナは悲鳴を上げる。


「グルナさん!」


 ルフスは叫んで、自身の体に巻き付いた蔦を強く掴み、引きはがそうとする。


「無駄無駄ァ、非力な人間が新たな力で覚醒した我に抗おうなどと……」


 高笑いするティランの顔が、突然驚愕に固まった。

 奥底から際限なく湧き出るような力を得て強化されたはずの蔦が、ルフスの指に触れられた箇所から朽ちていく。蝕まれ、茶色く変色し、ついにはぼろぼろと崩れおちてしまう。だがその不可思議な現象はルフスの触れた蔦だけにとどまらず、壁や地面を這うすべての蔦へと広がってゆく。

 グルナを捕えていた蔦もまた崩れ去り、解放されて、地面に落ちる。


「ああなんだ、なんなんだおまえは! その力はなんだ、やめろやめろやめろ!!」


 幾本もの蔦が蛇のようにうねってルフスに向かう。

 ルフスは瞬きもせず、向かいくる蔦の塊を見た。緋の双眸の中心にある銀色の、その奥が、ちりりと燃えるような熱を帯びる。

 槍か剣のような蔦がまさにルフスを貫こうとしたその瞬間、グルナは彼の身体から溢れ出す光によって蔦が塵と化すのを確かに見た。耳をつんざくような悲鳴があがる。

 グルナはどうにか体を起こすと、指で五芒星を描き、悶絶するティランに向けて放つ。


 「可分、剋!」


 ティランから黒い煙か靄のようなものが立ちのぼり、頭上に広がる。

 グルナが再び膝をつく。ルフスはグルナを庇うように、前に出る。

 苦痛に歪んだ顔で、ティランが言う。


「おのれおのれ、忌々しい奴儕やつばらめ。貴様、そうか、わかったぞ貴様のその力は――――」


 ルフスの耳には聞き取れない言葉で、そいつが何かを呟くと、ルフスの胸に鋭い痛みが走った。思わず胸を押さえて、背中を丸める。

 ティランの身体から黒い靄が抜けきるとその体は地面に倒れこんだ。

 ルフスは急いで駆け寄り、頬を叩く。


「ティラン、ティラン。おい目を覚ませ」


 瞼が震えて開かれる。

 焦点が定まらず、ぼんやりとした目が見上げてくる。


「ルフス……おれ、どうなっとるんや?」

「色々あったけど、もう大丈夫。まずは宿に戻ろう、それから休んで、明日の朝にまた話をするよ」


 その頼りなげな声に、ルフスはほっと息を吐き出して言った。

 ティランは小さく頷くと、再び気を失ってしまった。

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