第8話 祓い屋の女



 真夜中、突然ふらりと外に出て行って、そのままどこかへ姿を消してしまったらしい。


 話に聞いたとおりだった。

 静かな夜。

 灯りの消えた家々が並ぶ通り。宿に入る前、見た景色と変わりはない深夜の街。

 見た目だけで言えば、特別おかしなところはなかった。

 ただなにか、なんだろう。

 空気がちがっていた。

 温度が落ちて冷えているのとは別の、皮膚の上を這うような冷たくて嫌な空気。


「あんたは戻ってなさい。あの子はあたしが連れ戻してきてあげるから」


 女はそう言い、ルフスを置いて暗い街の中へ足を踏み入れようとする。ルフスはその肩を掴んで引き留める。


「待ってください! これは一体、何が起こってるんですか? ティランはどこに……」

「この先にいる何者かがさっきの坊やを連れ去ったのよ。多分、これまでの街の人たちもいっしょ、そいつの手に掛かったんだと思うわ。あの坊やには悪いけどね、その黒幕をあぶり出すために、そのまま罠にかかってもらったのよ」


 女は通りに目を向ける。

 通りの先は暗くて、よく見えない。真夜中で人々は寝静まり、ガス灯も消えている。


「この先に、ティランがいるんですか?」

「そうよ。でもあんたはあいつらに対抗できる力を持っていない。一緒に来たところで足手まといになるだけだから、大人しく宿で」


 バタンと音が盛大に鳴った。

 言葉の途中で、扉がひとりでに閉まった。

 女はちらりと閉ざされた扉を一瞥し、口元に笑みを浮かべた。


「どうやら、あんたもあたしも目をつけられたらしいわ」

「え、固ッ開かない! なんで?」


 ルフスは力任せにドアノブを回し、押したり引いたりしたが、扉はびくともしなかった。


「しゃーない。行くわよ、こうなったら元凶をどうにかしないと元の場所には帰れないからね」


 言って、女は歩き出す。

 ルフスは小走りに女の隣に並んで言う。


「あなたは一体なんなんですか? さっきあいつらって言ってましたけど、誰が何の目的でこんなことをしているか知ってるんですか?」

「さぁねえー。ここにいるやつらが、どんなのかまでは知らないけど、まあろくなやつじゃないってことくらいはわかるわねぇ」


 女は歩きながら、身体の前で腕を薙いだ。手には首から下げていた、珠の連なった装飾品が握られていた。

 途端にすぐ目の前で、煙が散るように、蒸発する水のように何かが消えた。ルフスは驚き、息を呑む。


「いるのよ、こういうのが。その土地その土地には元々ね。ヒトの、なんていうのかしらね、よくない感情だとか、残留思念だとか。そういうやつらがたまに悪さをする。で、あたしはそれを掃除する。いわゆる祓い屋ってやつ」

「はらいや……」

「そう、聞いたことない? ないかー、ここ何百年かは大きな事件もなかったしねー、大昔はあたしらみたいなのもそれなりの地位があって、あちこち引っ張りだこだったって話だけど」

「あの、要するにおばさんは悪いやつを退治するってことですか?」

「まーそんな感じ?」


 軽く頷き、女は足を止める。それからルフスを振り返り、腰と顎に手を当てて唸った。


「あんたさ、ひょっとしてあのあんたの家系にあたしみたいなのがいたりしない? 親兄弟、親戚、もしくは先祖とかでも」

「いえ。あ、いやわかんないですけど……多分」

「変ね。どうしてかしら。さっきからあんたには寄り付こうとしないのよね。さっきみたいなやつが。何となく、あんたの中から力のようなものは感じるんだけど……なにかしらね、これ」


 女はルフスをまじまじと見つめ眉を寄せるが、しばらくして肩を竦めた。両掌を上に向けて、体を反転させる。


「やめやめ、考えてもわかんない。とにかく先を急ぐわよ」


 分かれ道に出ても、女は迷いなく進んでいった。

 すたすた歩きながら、思い出したように言う。


「そういやあんた名前は?」

「ルフスです」

「ルフス、あたしはグルナよ。おばさんでも別にかまやしないけど、名前で呼んでくれる方が嬉しいわね」

「あ、はいグルナさん」


 言えば、グルナは歯を見せて笑う。


「んふふ、あの坊やと違ってルフスは素直でいい子ねー」

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