第7話 闇に消えたティラン
ローアル王国東の果てにある街リゲル。ルフスの目指すアルナイル王城跡はこの街から更に東へ進んだ、隣国アドラステアの領地内にあり、このリゲルはアドラステアとローアル王国の国境に位置している。街中には川がいくつも流れていて、いたる場所に橋が掛けられているが、街中の移動は手漕ぎの小さな船が主流だ。週に一度歌劇が催される大きな劇場と美しいガラス工芸品、精緻なレース生地が有名で、観光に訪れる者も多い。高価なそれらを買い求めることができるのは、当然裕福な人間ばかりで、立ち並ぶ宿や飲食店などもまた大半が高額だ。
それでも一つ奥の通りに入れば、馴染み深い光景が広がっている。質素な造りの建物、労働にくたびれた服装の人々、整えられていなくて、でこぼこした道。
宿の宿泊料も手の届く範囲だ。
そのことに何よりも安堵しつつ、ルフスは受付カウンターの男性に声を掛ける。
手続きのことは全てルフスに任せ、ティランは離れてぼんやり待っていた。
「ねえ、ちょっとあんた」
背後から、とんとんと指先で肩を叩かれる。
振り返ると、金色の髪の女がいた。爪や手首に奇妙な紋様を施した、派手な装いの女だ。耳には飾り紐のピアス、首からは大きなガラス珠がいくつも繋がれた装飾品を下げていた。
「あんた変なのに好かれやすいでしょ?」
「たとえばおたくのようなやつにか? おばさん」
「それも違いないかもしれないわね。でももっと面倒で厄介なものよクソガキ」
女は微笑み、ポケットから小さな緑の石が三つ連なったピアスを取り出すと、掌に乗せて、ティランの方に差し出してくる。
「これ、つけてるといいわ。気休めくらいにはなるでしょ。代金はそうね、金貨三枚でいいわよ」
ティランはにこりと笑って言う。
「いやいやそういうの間に合ってるんでぇ」
「かわいくねぇガキだなー、人が親切に言ってやってんのにさ」
「しんせつぅ? 人の不安をあおって、その弱みにつけこんで金儲けしてやろうってがめつさの間違いとちがうか?」
はっと息を吐いてティランは両手を広げ、女は薄く笑った。ひらりと手を振って、背を向け、奥の廊下に向かって歩いて行く。去り際に言う。
「信じる信じないは自由だけどね、まあせいぜい用心しなさい」
「ティラン」
宿泊手続きを終えたルフスがやってくる。視線は女の背中へ向けられていた。
「どうした? あの人誰だ?」
ティランは少しばかり考え、それから言った。
「詐欺師」
「ふうん?」
まだ女が去った方向を見つめながら、ルフスは気のない返事をする。
「で、部屋はとれたんか?」
「ああ、うん」
「じゃ、とりあえず今日の寝床の心配はないわけやな。飯は? どないする?」
「ここ食堂付きみたいだし、そこでいいかなって思ってる。なんかこの街お高い店とか多そうだし。あとあんま夜は出歩かない方がいいって言われた。食堂そこの奥だって」
廊下を進んで奥の扉を開く。
所狭しと並べられた木のテーブルと椅子の、空いた席を選び、向かい合って座る。客は少ない。そのせいか灯りは細々としている。
「夜は出歩かない方がって、治安の問題か?」
「それがさ、この街でも最近なんか変なことが続いてるらしくてさ」
「またかよ。今度はなんや? 人でも消えたか?」
「それそれ、当たり。まさにそうなんだよ。すげーな、なんでわかったんだ?」
ルフスが音が鳴らないように拍手し、ティランは口をへの字に曲げた。
「適当に言うただけや。まさかほんまにそんな……」
「宿の人が言うにはさ、数日前、この街に住んでる人だったらしんだけど、真夜中ふらっと出て行ったらしくて、隣で寝てた奥さんが、あ、出て行ったのが旦那さんで」
「いやそこわかっとるから、別に言い直さんでええから」
「奥さんが気づいて、すぐに追いかけて外に出たらしいんだけど、見失っちゃったんだって」
「それ、ただの夢遊病とちがうか?」
ティランは冗談っぽく言うが、ルフスは真面目な顔つきで首を横に振った。
「でもさ、翌朝に街の人たちみんなで探したけど、旦那さん見つからなかったって言うんだぜ。それにその、人が急に消えるって話はその一件だけじゃないっていうし」
「変なことが続いてるっていうからには、まあそうやろな」
そういえばまだ夜にもなっていないのに、街中に人の姿が少なかった気がする。
まるで何かに怯えてでもいるかのように、扉と窓はしっかりと閉じられていて、仕事終わりの者は足早に家路を急いでいるようでもあった。
「とにかく妙なことには巻き込まれたくねぇからな。飯食ったらさっさと部屋に籠って、明日の朝には発とうや」
ティランの意見に異論はない。
ルフスはそうだなと頷き、ちょうど運ばれてきた料理に手を伸ばした。
ふとティランが鼻をひくつかせて言う。
「なあ、なんかいい匂いせんか?」
「? ごはんの匂いだろ?」
「そうやのうて、もっと甘い……花みたいなにおいが」
ルフスも真似をして鼻をひくつかせるが、目の前の料理の香ばしい匂いしかしなかった。
「えー、わかんないなー」
ティランは妙な顔をしながら首を捻っていたが、やがて気を取り直して料理に手をつけていた。
***
深夜、微かな物音がして、ルフスは目を覚ました。起き上がってみると、部屋の扉が開かれていて、隣のベッドは空っぽだった。
驚き急いで廊下に飛び出すと、ふらふらと階段を降りていくティランの後ろ姿が見えた。内側に着る薄いチュニックとズボンのみという眠る時の服装で、足も裸足のままだった。
「ティラン!」
大きく呼びかけるが、ティランの反応はない。
近くの部屋の扉が開いて、何事かと他の泊り客が顔を出す。
「ティラン待て!」
不穏な様子に嫌な予感がして、ルフスはティランの後を追う。
ティランの動きは緩慢で、ルフスはすぐに追いつき、宿から出て行こうとするのを力づくで止めようとするが、そこで邪魔が入った。
「おい! 待てってばティ」
横から伸びてきた細い手に腕を掴まれ、ティランはルフスの指先をすり抜けて行ってしまう。
ルフスは戸惑いと共に言う。
「あんたは……」
ルフスを阻んだのは、夕方、ティランと話していた女だった。
ティランが宿から外に出ると、女はルフスの腕から手を離し、その後を追う。ルフスもすぐ後に続くが、ティランの姿は闇の中に掻き消えていた。
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