第6話 夜は明けて



 なあ、さっきからそれ何をそんなに一生懸命書きこんでるんだ?


 農耕関連の魔法の術式。土を肥やすやつ。


 へえ、魔法ってそういうこともできるんだな。


 荒れた土地をいかに豊かにするか、活用するか、気候の安定しない土地でいかにして作物を育てるか。おれがおったとこは、年中雪に覆われていて、だからみんなそんな研究ばっかしとった。洞窟ん中で温度管理して、地面の土柔くしたりして。

 この国にもあるやろ、一帯が砂地で植物の少ない場所。


 マルス砂漠のことか。


 それそれ。乾いた砂地でも作物を育てられるようってな。今はそれを練っとるとこや。


 便利だな。魔法は、色んなものを豊かにしてくれる。そんな素晴らしい技術があんたの国にはあったんだな。


 おい、やめえ。それが失われてしまったのは惜しいことだ、みたいな顔すんなや。まだすべてが失われたわけやないんやぞ。このおれが、まだ残っとるんやからな。

 ところでおまえさん、明日はなんか色々ある言うてなかったか? 準備とか忙しいんやないの?

 こんなとこでサボってていいわけ?


 息抜きだよ息抜き。明日から堅苦しい行事だのなんだのが朝から晩まで続くんだ。考えるだけでもうんざりするよ。


 そりゃあしゃーねぇわな。何せおまえさんはこの国のトップや。その王様が今度嫁さん迎えようってんだから、慎ましやかにってわけにもいかんやろ。

 ええやないか、隣国のお姫さん。むちゃ美人って話。


 ああ、そしてとても心根の美しい、やさしい人だよ。


 アホ、こんなとこでマジに惚気んな。聞いてるこっちが恥ずかしゅうてかなわんわ。


 いや別にそういうつもりは……


 ええからさっさと仕事に戻れ。ここでサボって、おれを共犯者にしてくれるな。ええか、次からは大臣達に言いつけるからな。





「ティラン!」


 深く沈んでいた意識が引き上げられる。

 白い清らかな光が、雪崩れ込んできて瞼の裏側にまで満ちる。ティランの中を支配していた正体不明の何かが抜け落ちていくのがわかる。


「しっかりしろ、ティラン」


 強い光を宿した、緋色の目。銀色の、夜空に散る星のような瞳孔と虹彩。

 日に焼けた肌の、赤い髪色の青年。

 まだ朦朧とする意識の中で、ティランはその名を呼ぼうと唇を開く。

 だけどそれは声にならなかった。

 ティランは再び意識を失ったが、その眠りは先程とは異なり、安らぎに満ちたものであった。



 次に気が付いた時、ティランは宿のベッドの上に寝かされていた。

 カーテン越しに、外がほのかに明るくなっているのがわかる。

 夜が明けたのだ。

 ベッドの脇に、ルフスが突っ伏していた。呼吸の度に肩が上下する。静かに眠っているようだった。ティランが起き上がると、ルフスも目を覚ました。

 顔を上げてティランを見上げ、安堵の表情になる。


「よかった。気が付いたんだな……」

「おれ……どうなったんや」


 まだぼんやりする頭で、昨夜のことを思い出そうとする。

 祭りで、突然明かりが全て消えて、恐ろしいことがあった。実体の見えない何かがティランに襲い掛かってきて、その後のことははっきりとは覚えていない。

 ルフスは立ち上がり、隣のベッドの端に座りなおす。


「よくわからないんだよな。昨日、祭りの最中にいきなり辺りが真っ暗になって、そしたらなんかすごく嫌な感じがあって、振り返ったらティランが……おかしいんだけどさ、真っ暗で他は何も見えないはずなのに、ティランの姿だけがはっきり見えてて、しかもその周りに変なのがいっぱいいるし」

「ああ……」


 その時の感覚を思い出し、ティランは両腕で自分の身体を抱きしめるようにして、ぶるりと身体を震わせた。

 身体中にまとわりつく感じ。芯から凍り付くような寒気。内側を満たす、どろどろした何か。


「宿のおじさんが言ってたんだけどさ、最近なんかおかしなことが多いんだってさ」

「おかしなことって?」

「真夜中にどこからか気味の悪い声が聞こえてきたり、墓が荒らされてたり。そうだこの宿でも。あの受付のとこに飾ってある額縁の絵覚えてるか? あれって、本当は人物が描かれてたらしいんだけど、それが突然、そこに描かれた人物が消えてなくなったんだって。見てみたら確かに人が描かれてたんだろう部分が、綺麗にくりぬかれたみたいに真っ白になってたよ」

「なんやそれ、気味が悪いな……」

「だよな」


 その時、真剣な顔で頷くルフスの腹が盛大に鳴った。

 緊張感が一気になくなって、ルフスは照れくさそうに笑う。


「朝ごはん食えそうか? もし食えるなら、ここに持ってきてもらったほうがいいか?」

「いや、構わん。身体はもうどうもない。多分歩ける」

「それじゃあ、朝ごはん食べたら出発しよう。朝のうちに出発すれば、夜までには次の街に着くだろうから。野宿はできるだけ避けたいしな」

「その前に、買い物しといた方がええんとちがうか?」

「なんだ、何か買い忘れか?」


 首を傾げるルフスを振り向いて、ティランはにやりと笑う。


「携帯食をもうちょっとな。おまえさんすぐ腹空かせるから」

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