26. ユスティーナの歌詞。
劇場に入るなり、兄妹はまずその広さに圧倒された。オーケストラのコンサートが度々開かれていたというシェルマンの話の通り、スタンダードな舞台が据えられている。
よく見かける赤いベルベット生地の客席が階段状に配置され、舞台が見渡せる。
扱う音楽の趣向をクラシックからロックミュージックに変えた劇場は、基本的にはクラシックらしくありふれたデザインだ。しかし柔らかい暖色ではなく、はっきりした白色の照明になっているなど、ところどころにロックらしさが添えられている。
舞台上では、先に劇場に来ていたバッグバンドのメンバーたちが楽器を手に待っていた。すでにリハーサルは済んでいて、ギターのチューニングを少しいじる程度にしか楽器を触らない。
すっかり準備万端といった様子のバッグバンドを前に、兄妹は困惑していた。
以前エングフェルト王国で路上ライブをしたときより、彼らの準備が早く終わっていたからだ。彼らはルイに紹介された、腕の良いミュージシャンなので、音響の確認さえ終わってしまえば後は本番を迎えるだけ。
舞台へ上がる階段の前で立ち止まった兄妹の背中に、シェルマンはそっと手を添えた。
「舞台に上がり、お好きな曲の一節を歌っておくれ。そうしたら客を入れ始めるから」
「え? 一度ライブを通して演奏してみてからじゃないのか?」
「いいや、私は君たちの即興パフォーマンスが好きなんだ。練習して作り上げられたものより、その場で想いをぶつける演奏が聴きたい。だから君たちには申し訳ないが、事前に説明せずすぐにコンサートを始める段取りにさせてもらったよ」
「えぇ⁉︎」
突然のことに、皆の心臓がバクバク鳴り始めた。そう言われてみると劇場の外から人々のざわめきが聞こえてくる。
慌ただしく喉の調子を整え始めた兄妹を見て、シェルマンは何を思ったか、
「ああ、曲の一節を歌ったあと、その部分を伴奏ありで歌ってからでも良いよ」
と優しい笑顔で言った。
******
あっという間に満席になった会場を、舞台袖から見たユスティーナは、正直驚いていた。
「エングフェルト王国での初路上ライブはもちろん覚えているわ。あの日の観客は本当に興奮していて、空気が熱を帯びていた。けれど隣の国でまで彼らの音楽を聴きたいって方がこんなにもいるとは、想像以上」
そばに控えるルイも、珍しく間抜けな顔で同調する。
プロデューサー的立場で彼らを見てきた自分たちはむしろ、彼らの音楽を信じきっていなかったのではないかと思う。
真っ直ぐな瞳で、兄妹から与えられる音楽を心待ちにする観客は、まごうことなき彼らの“ファン”だった。彼らの音楽は、隣国にまで伝わっていたらしい。
「私がこの国の皆さんに、彼らの素晴らしさを説いて回った成果というのもあると思いますがね」
隣に立っていたシェルマンが、にまりと笑って独り言のように口を挟む。
「シェルマンさんはお二人の音楽にずいぶん惚れ込んでいらっしゃるのですね」
「音楽を仕事にしてたくさんの音楽を聴いてきたが、雷に打たれたような感覚がしたのはあれが初めてでしたよ。“バイブレーション”には少なからず殿下が関わってらっしゃるとお聞きしましたが」
「ええ、彼らが用いる曲のほとんどを作曲しています」
「実は今日最初に披露する曲は、作詞もユスティーナさまがなさっているんですよ」
横からルイが割って入る。自慢気な彼に対して、ユスティーナは俯く。
彼女は自分の脳内をそのまま晒け出したような歌詞を人に聞かれるのが、恥ずかしくて仕方なかった。その上、自分は兄妹ほど鋭い切れ味の歌詞を書けたという自信がどうにも持てないでいた。
事前にセットリストを決める上で、シェルマンもすべての楽曲を聴いた。けれども、全曲が尖った言葉を叫んでいて、どれが彼女の作った曲か分からなかった。
ちらりとユスティーナのほうを見ながらも、“おしとやかな姫さまの内側には、案外熱いものが渦巻いてるのかもしれないぞ”と考えていた。
劇場内の照明がほぼすべて消えた。観客席からは期待に満ちた歓声が上がる。堪えきれず零れたような悲鳴のような声が時折聞こえてきて、皆が前のめりで始めの一音を待っている様子が伝わってくる。
幕が開き、舞台に立つメンバーの足元が見えたと同時に、ギターソロが始まった。次第に高音になって、それに伴って観客のボルテージも高まる。
ドラムやベースの音もギターに合流し、ロックミュージックの土台は完成した。幕が開ききって彼らの姿がすべて見えたとき、兄妹の声が真っ直ぐに響いた。
『俺たちの歌声に身を晒すのなら覚悟しろ
自らを裁判官だと言い聞かせ
俺たちの音楽を己の鉄槌で裁くんだ
いいかよく聞け
取り繕った評価は要らない
取り繕った評価には何の価値もないと酷評を下す
大事なのはせいぜい酷評されないように
真摯に音楽に向き合うことだ』
ユスティーナが綴った歌詞が、兄妹の歌声によってさらに意味を持ったものになる。自分で書いたはずなのに、歌として聴くと初めて聞いた言葉のように新鮮に感じられる。
隣に立つシェルマンが、感嘆の声を漏らしながら、ユスティーナの横顔を見ていた。
何不自由なく生きてきたはずの彼女が胸に抱え続けた不満。それらを増幅して、少ない文字に収める。感情を文字に起こすことが得意なんだろうな、と考えていた。
******
「次が最後の曲だ! 俺たち自身、まさかこんなに外国で音を楽しめると思っていなかった。正直言うと文句を吐き出すためだった音楽が、心を守るためのものに変わりつつある」
「それでもあたしたちはナイフを振りかざすことをやめないよ! まだ理想の世界じゃない。まだ終わりじゃないんだ」
汗だくになって、服装や髪型も乱れた観客が、名残惜しそうな絶叫をする。
珍しく角が丸くなったような発言をした兄妹に、ルイは少々の不安を抱いた。もう棘のある歌詞は書けないのではないか? しかしそれは杞憂だった。
『我慢しろと簡単に言うが
俺たちの我慢を知っているのか
沸き立つ怒り 冷え切った感情
取り返しのつかないものはどう責任を取る?』
ある種の狂気に包まれたまま、舞台の幕が“バイブレーション”の二人を隠した。初めての外国でのライブは、彼らのインパクトを十二分に残して終了した。
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