17. 探し人はいずこへ。

 ユスティーナの書いた楽譜を密かに持ち出した、翌日。ルイは数少ない休日だった。まあ、翌日が休日だから、あの日に彼女の部屋を訪れたわけだが……。


 ルイは普段の燕尾服でなく私服を着て出掛ける。ウール生地のシャツの腰辺りをベルトできつく締めて革製のズボンを履く、質素な装いだ。マントを羽織り、アコースティックギターとユスティーナの楽譜が入ったギターケースを背負う。


「行ってらっしゃいませ」


 城の入り口に立つ衛兵に深々とお辞儀をされ、ルイも倣って礼をする。普段外出することがほとんどない彼の私服姿を、衛兵たちはまじまじと見ていた。


 まず国の出口となる大きな門まで大通りを進む。そして一番街、二番街……と小道をくまなく歩き回り、家々の間を重点的に覗き込む。


 五番街まで行っても会いたい相手を見つけることは出来ず、やや早歩きで大通りへ戻り、今度は六番街から九番街までの小道を歩いた。


 十番街まで到達したとき、肌寒さを感じた。太陽が位置を変え、小道に照るはずの光が建物に遮られていたからだ。


 もっと厚い生地のマントを羽織ってくるべきだったと後悔しても遅い。


 早く“彼ら”を見つけなければ、と焦る気持ちが強くなっていく一方で、どの隙間にも姿はなく、途方に暮れていたそのとき。


 国を取り囲む塀に沿って建てられた小屋から音が聞こえてきた。小屋と言っても朽ちかけていて、辛うじて形を保っている程度の代物である。


 近付けば近付くほど音は明確に聞こえて、それが子供たちの歌声であることが分かった。各々が精一杯声を張り上げる中、魅力的な大人の歌声がひとつ、いやふたつ、特に目立って聞こえる。


 ようやく見つけた。


 小屋の扉をノックしても歌声は止まらない。仕方なく、静かに扉を押し開けた。


 小屋の中には、大勢の子供たちがいた。華美とは言えない衣服を纏った子供ばかりであるが、歌う彼らの表情は輝いていて、とても楽しそうだ。身体を横に揺らす彼らを見ていると、こちらまで笑顔になる。


 子供たちの前で音楽を流しているのは、芸謁の会で賛否両論のパフォーマンスを披露した、あの兄妹だ。会のときよりいくらか穏やかな表情をしている。


 ここでも古いレコードプレーヤーで、時折音が飛ぶほど古いレコードを掛け、クラシック音楽に、本来は存在しない歌詞を付けて歌っている。


 会で披露した歌唱は、彼らにとっての“日常”であったことが窺えた。


 入り口で突っ立っていたルイにいち早く気が付いたのは、兄だった。ルイを見た瞬間、腰のベルトに下げていたナイフを取り出す。


「何者だ!? 皆、俺の後ろへ……」

「違います、怪しい者ではありません! 王族の執事をしている、ルイ・エングフェルトと申します」


 慌てて、ベルトに挟んでいた王族関係者を表すカードを見せた。小屋内に満ちていた緊迫感が、いくらか緩む。


 未だ子供たちに気を張りながら、兄が、


「執事さんが何の用で?」


 と尋ねる。棘のある言い方だ。


「お二人に聴いていただきたい曲があり、伺いました。お時間があるときでよろしいのですが」

「時間なんてあたしたちには無限にあるよ。冷えてきたから皆ももう寝な」


 子供たちに妹が帰るよう促すと、抗議の声が上がる。帰りたくない、もっと歌いたい……子供たちにとって、この小屋で歌う時間がどれほど楽しいかが伝わってくる。


「明日は日が昇ったらすぐにここに集まって歌おうな。だから、今日は明日のために喉を休ませて」


 兄の説得を受け、渋々ながら子供たちが小屋を出て行く。彼らの背を見送る兄妹は、悲しそうな表情をしていた。


「あの子たちはさ、冷えを凌ぐ道具がないんだよ。だから冷えきる前に寝てしまうしかない。日とともに寝て、日とともに起きる。それだけの生活を繰り返してる」

「その生活、変えてみたいとは思いませんか」


 ルイが言った瞬間、兄妹は彼のほうを振り向いた。小屋に来て初めて見る、素直な瞳。


「そりゃあ変えられるなら変えたいけど」

「俺たちだって、好きでここにいるわけじゃねえ」

「では音楽を聴いてください。一応ギターを背負ってきましたが、十番街ならば良い場所があるので、ついてきていただけますか」


 とある場所を思い出して提案するも、二人は少々躊躇している様子だった。


 足が進まず、目を泳がせている。もしかして。


「僕のことを疑ってらっしゃいますか?」


 二人ははっとした顔をした。やはり。


 どこかへ連れて行かれ、暴力を振るわれるなどすると懸念しているのだ。家々の間で暮らす、兄妹のような若者たちが、身体中怪我だらけで城に駆け込んできたことがある。感情のはけ口に彼らを利用する非道な輩がいることは、とても許せないことだった。


 兄妹に信用されるにはどうしたら良いのだろうか。考えても浮かばない。金銭を渡したり食事を提供したり、そういうことは“信用”には繋がらないだろう。


 何も言えずにいるルイを、兄はじっと鋭い目つきで見つめていた。そしてゆっくり息を吸い、小屋を出て行く。扉を通る瞬間に振り向いて、


「どこへ行けば良いんだ。もういいよ、あんたはなんとなく大丈夫だって思えるから」


 と言った。


「兄ちゃん待ってよ!」


 慌ててついていく妹よりさらに遅れて、ルイも兄を追いかけた。


 しつこく信用してくれた理由を問い詰めても彼の機嫌を損ねそうなので、それはお預けにする。

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