18. 心を揺り動かす音楽。

 ルイは兄妹を連れて十番街の民家を訪れた。ドアベルを鳴らすと、ふくよかな体型の女性が現れる。


「あら、ルイちゃん。どうしたの、新しいレコードはあまり入っていないわよ」

「今日はピアノをお借りしたくて。ご連絡もせず申し訳ございませんが、今は大丈夫でしょうか」

「旦那は仕事に出ていて私ひとりだから大丈夫よ」


 お礼を言って、薄暗い家に入る。


 この女性はエングフェルト王国では珍しくロックミュージックを好んでいて、外国から手に入れたレコードを時折聴かせてくれる。しかし彼女の夫はロックに理解がなく、彼がいる間はレコードを聴くことは出来ない。


 秘密の趣味を共有する友人と言ったところか。


 家の端に置かれたピアノは、外見は古びているけれど、調律は定期的にされていて良い音が鳴る。


 ルイはピアノの前に座り、ギターケースから取り出した楽譜を並べる。


 やけに静かな兄妹を振り返ると、彼らは大きなピアノを前に緊張している様子だった。鍵盤に置かれたルイの指をじっと見ていて、彼らの緊張がうつってしまう気がした。


「では、聴いてください」


 昨日寝る前に少し練習しただけの、ユスティーナが作った曲を弾く。とは言え、ルイとユスティーナが聴いている音楽が似通っているからか、彼女の書いたメロディには馴染みがあった。


 弾き始めてすぐに心地良くなって、ルイは思わず笑顔を浮かべていた。


 激しくリズムを刻む左手、ゆったり強弱をつけて主旋律を奏でる右手。別の生き物のように動く手から、兄妹は目が離せなかった。


 流行しているクラシックと、未だ異端として扱われるロックが、ちょうど良い具合に融合して、皆が聴きやすい音楽に昇華されている。


 一度聴いたら忘れられないほど独特のフレーズを皮切りに、最も盛り上がる部分に突入する。


「俺、頭の中で自然と歌詞を付けて歌ってる」

「兄ちゃんも? あたしもだよ、あたしら二人で歌ってる場面まで想像出来る」


 彼らが話しているのを聞いて、ルイは嬉しく思った。


 弾き終えると、二人に尋ねた。


「この曲にお二人が歌詞を付けて、歌いたいとは思いませんか?」


 兄が前のめりにルイの手を握る。


「歌いてえ! この曲が入ったレコードはないのかよ!」

「残念ながら今時点ではありませんが、伴奏者として僕か、作曲者がいれば無問題です」


 言いたいことに言葉を整理する頭がついてこないようで、兄は口をぱくぱくさせる。ようやく言葉が出たと思えばまくしたてるように早口だ。


「作曲者って誰なんだ。国の時代遅れな連中も好む優等生でもあったし、俺らの心も揺さぶられる荒くれ者でもあった。音楽に対する激情がないと書けねえ曲と俺は感じたが」

「どういう方だと想像されますか?」

「俺たちみてえに、裏でしか生きられなかったやつ。だけど今は成功して悠々と暮らしてるやつ」

「あたしは逆だと思うな。昔は贅沢に生きてたけど、金に目がくらんであたしたちのところまで堕ちてきたやつだと思う」


 ルイは顔を歪めるようににやりと笑った。彼だけが知る作曲者は、兄妹の思う作曲者像とはかけ離れているからだ。


 王族として生まれ、裕福な暮らしをしてきたユスティーナであるが、彼女の感性は“優等生”にはとどまらない。


 兄妹が恨む対象である彼女が作った曲が、兄妹の荒んだ心を揺り動かした。それを知ったらユスティーナは、そして兄妹はどう思うだろう。


「実は作曲者自身はあなた方に歌っていただくことを容認していません。またお時間のあるとき、ともに説得に来ていただきたいのです。あなた方の熱意を伝えれば、作曲者も拒否出来ないでしょうから」

「あたしらは予定なんかに縛られて生きてないから良いけど。で、結局、作曲者って誰なの」

「ふふ、説得に行くときまで秘密にしておきます」


 穏やかに笑むルイに、兄妹は怒りを露わにした。けれども、今言っても良いだろう、と問い詰められても、彼は何も言わなかった。


 地平線に日のほとんどが姿を隠し、家の窓から見える景色はすっかり夜だった。思っていたより長居してしまい急いで帰ろうとするも、家主の女性はルイたちを引き止めた。


「ルイちゃんは忙しくてなかなかうちに顔を出さないからねえ。せっかくだ、温かい紅茶でも飲んでいってちょうだい。ご友人さんたちも一緒に」


 兄妹は久々に紅茶を口にした。紅茶の温かさ、芳しい香り、そして女性の暖かさに、彼らの目は自然と潤む。


 濡れた瞳をちらりと見て、ルイはあえて顔を背ける。


 兄妹は心の緩みからか、ルイに自ら話しかけた。


「そういえば俺らの名前、言ってねえな。俺はジェイク、妹はケイトだ。あんたはルイとか言ったか。俺と年はそう変わらねえか?」

「僕は二十歳になったところです。同い年ですね」


 ジェイクの狐目が、ルイをじっと見る。まるで捕食対象を見定めるかのようだ。


 顎に手を添えて目を細めながら、探るように言った。


「あんたさあ、俺と会ったことない?」

「僕は初対面だと記憶しておりますが……僕は五歳になるまで十番街で暮らしていたので、その頃に会ったでしょうか」

「エングフェルトって姓は王族の姓だろ? 王族と血縁関係があったのにこんな辺鄙な場所で暮らしてたのか?」

「いえ、引き取られてエングフェルト姓になりました。両親を病で亡くした僕を、王が拾ってくださったのです」

「引き取られる前の姓は? 質問ばかりだが、俺は会ったことあると確信してるんだ。分からないままじゃもやもやするんだよ」


 ルイはおぼろげな記憶を辿る。幼少期に姓を名乗る機会は少なく、あまり覚えていないのだ。


 そういえば引き取られてすぐ、ベンジャミンに旧姓を尋ね、教えてもらった。たしか。


「アードルング、だったと思います」


 ジェイクが「うーん」と唸った。狐目がいくらか和らぐ。


「聞いたことのない姓だな。会ったことあるっていうのは勘違いだったみてえだ」

「兄ちゃんはただでさえ人の名前と顔を覚えられないからね」

「まあそうだけど。なんだかな、記憶に残ってると思ったんだけどな」


 苦笑して、紅茶を一気に飲み干す。そのままの勢いで、出されたスコーンにかぶりつく。


 獣のような彼の姿を見ると、ルイはなんだか清々しい気持ちがした。穏やかに笑って、スコーンを一口食べた。

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