12. 僕が愛し、愛されるなら。

 シルバーのトレーに載せた花柄のティーポットとカップが、歩くたびカチャカチャと音を立てる。ポットから立ち上る湯気は、茶葉のふくよかな香りとミルクの優しい香りが入り混じっている。


 ユスティーナの部屋へ向かう間、ルイの頭の中は“恋”のことでいっぱいだった。


 王族の方々、城で働く人々、街を行き交う国民。周囲をその三つのグループに分けて認識していた節があったが、これからは男女や、恋愛の相手といったラベリングも為さなければならないのかと考えると眩暈がする。


 愛すなら、愛されるなら、芯を持っていて人のことを想える女性が良い。あわよくば同じ音楽を楽しんでくれる女性が良い。そう、例えば……。


 思考が急停止した。自分は今、何を考えていた? 


 慣れないことを考えていたせいで、脳内が間違えた方向に舵を切ってしまったのだろう。そうだ、脳のエラーだ、と自分に言い聞かせて、恋のことは思考から追い出した。


 心臓が大きく鼓動するまま、震える手でユスティーナの部屋の扉をノックしようとしたとき、ピアノの音色が漏れ聞こえた。反射的に扉まであと数センチというところで手が止まる。


 聴いたことがなく、クラシックらしいメロディではない曲。

 

 彼女自身はルイと違って、ロックミュージックのレコードを所有していない。ということはユスティーナが作った曲だろうか。


 思わず聴き入ってしまったが、後ろを通ったメイドの足音で我に返る。ようやくノックすると、ピアノの音はぱたりと止んで、ユスティーナが顔を覗かせた。


 心なしか不安気な表情をしている。


「ルイ、どうしたの?」

「冷え込んでおりますので、温かいミルクティーはいかがかと思いましてお持ちしました」

「ありがとう。テーブルに置いておいてちょうだい」


 テーブルにティーポットとカップを置くルイの所作を、ユスティーナはじっと観察していた。


 彼女を少々意識してしまったルイは、その視線にいてもたってもいられなくなり、視線を誘導するようにピアノを指差す。


「作曲、されていたのですか?」


 聴かれていたことを知らないユスティーナは顔を紅潮させた。絶対音感がないため、試行錯誤の段階では鳥肌が立つほど気味の悪いメロディが何度も生まれる。失敗を繰り返す自分を、見られたくはなかった。


 目を伏せて小さく頷き、言い訳をするように言った。


「ビアンカさんに曲を作ってから、音楽が常に身体を流れているの。食事のときも、ベッドの中でも。身体から取り出して譜面に落ち着かせる、と表現するのが一番正しいかもしれない」

「それほど楽しい時間だったのですね。作曲をしたいという強い想いが、身体を支配しているのでしょう」

「ねえ、ルイ。また一緒に……」


 コンコンッ!


 響くほど強いノックに、二人とも顔を強ばらせた。ルイがそっと扉を開ける。


「ルイさん! 良かったあ、ここにいらっしゃいましたか! セバスチャンさんがお呼びです」


 開けると同時に、セバスチャンに憧れて執事になったという新人がルイの腕を掴んだ。あまりの大声に、ユスティーナも思わず耳を塞ぐ。


 ルイは口元に人差し指を当てて「しー」と小さく注意する。


「どのようなご用で?」

「今度の芸謁げいえつの会に関して、用意するものの確認とかなんとか」

「もう芸謁の会の季節か。分かりました、ありがとうございます。では失礼致します。お身体冷やさぬようお気を付けくださいね」


 執事と話しながら、忙しなく部屋を出て行ってしまった。扉の閉まる音がひとりぼっちの部屋に虚しく広がる。


 一緒に作曲をしよう。その言葉を持て余し、飲み込むようにルイが運んで来たミルクティーを口にした。

 

 少々冷めたミルクティーは牛乳の味が上ずっていて、美味とは言えなかった。

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