8. 歌詞を書くって難しい。

 ユスティーナはビアンカを城に呼んで、歌詞を考える日々を過ごしていた。


「大好き、とか、愛してる、とかは普通すぎるかなあって思ってて、もっとママのために素敵な言葉を考えたいんですけど」

「難しいですよね。あんまり難解な言葉を使っても、お母さまにビアンカさんたちのお気持ちは伝わりづらいですもの」


 ビアンカはテーブルに置いてある手のひらサイズの分厚い本が気になった。


 何かと尋ねると、


「私たちが使っている言葉と外国語とが対応している外国語辞典です。いつか外国を訪れてみたいと思っているので、常に持ち歩いて、知らない単語があったら調べるようにしています」


 と答えた。それを聞いて、ビアンカははっと閃く。


「外国語! 外国語を歌詞に入れたらちょっと変わった響きで面白くなりそうじゃないですか?」

「確かにエングフェルト王国では外国語が歌詞に組み込まれた曲はあまりありませんし……素敵な歌詞が書けるかもしれません!」


 ユスティーナに渡された辞典を開くと、ビアンカが目にしたこともない文字がページ一面に並んでいて眩暈めまいがした。


 ビアンカたち庶民は小さなスクールに通いはするものの、外国語はほどんど習わない。そもそも辞典を目にする機会も少ないので、索引から単語を調べられることも知らず、一ページ目から丁寧に読んでいた。


 ビアンカは辞典に集中し、ユスティーナは彼女が辞典を読んでいる様子を見ていることで、応接間にしんとした沈黙が押し寄せる。壁は薄くないはずだが、ルイが伴奏を作り込む試行錯誤の音と、ビアンカの弟妹たちが子供部屋で遊ぶ声が聞こえて来る。


 ソフィアに怒られないかしら。ユスティーナはそれが気に掛かって、ビアンカの晴れやかな表情に気付かなかった。


「おひめさま! “ラブ”!」


 突然愛を叫ばれて晒した、間抜けな顔の前に、ビアンカは辞典のとあるページを突きつける。


「愛って、外国語ではラブっていうらしくて。響きが好きだなあって思ったんです」

「愛してる、ラブ、大好き……こうして言葉を並べてみると、ラブが素敵なアクセントになりますね! 心にふわっと溶け込むような優しさとキャッチーさがあります」


 褒め言葉を並べられ、ビアンカは照れくさそうに笑った。


 メロディをユスティーナが口ずさみ、音に合った言葉を考える。数時間、二人は相談して歌詞を詰めていく。


 大部分の歌詞を書き終え、ビアンカの考えてきた母親への言葉も出尽くした頃、ビアンカは帰る支度を始めた。ユスティーナを待たせてはいけないという思いから、彼女はいつも早くにコートを着込み荷物を仕舞う。それに気付いたユスティーナは、慌てて彼女を引き止める。


「待ってください。せっかく城にいらしたのですから、曲を少し聴いていきませんか? 完成ではないのでまた少しずつ変わってしまうとは思いますが」

「今、ずっと聴こえてるのがその曲ですか?」


 ユスティーナは微笑んで頷く。


 彼女に引き連れられルイの部屋に辿り着くまで、ビアンカは期待に胸を膨らませた。おひめさまが作った曲、そして自分たちのために作られた曲。曲に思い馳せるうち、母の前で歌うその日のことも想像して心躍った。


 ユスティーナがルイの部屋の扉を叩く。顔を覗かせたルイは、ビアンカを見ると、何も聞かずに笑顔で自室に招き入れた。


 差し出された椅子に座り、無遠慮に部屋の中を見回す。大きく高級そうなピアノ、見慣れない不思議な楽器らしきもの。あの太鼓の群れはどんな音がするのだろうと考えていたら、その太鼓の群れの中心にルイが座った。


 ピアノの前に腰を下ろしたユスティーナは、いつの間にかピアノの重そうな蓋を開けていた。


「本番は交流のあるギタリストやベーシストに協力していただく予定ですが、今日は僕のドラムとユスティーナさまのピアノだけです。それでも曲の雰囲気は分かっていただけるかと」


 二人が視線を交わして同時に息を吸うと、室内に音が満ちる。


 初めて耳にするドラムの響きは、心臓の鼓動に干渉するようで驚いた。ピアノもドラムよりは馴染みある楽器だが、音楽堂から漏れる音色くらいしか聞いたことがない。こんなにも心地良い音が鳴るのかと心揺さぶられた。


 曲がクライマックスを迎えて同じメロディが繰り返される頃には、思わず口ずさんでいた。耳に残る優しい音の集合。母に聴かせたい気持ちが逸る。


 ルイがシンバルを激しく叩き、沈黙が訪れた。二人はビアンカのほうを振り向くと、自然と笑顔を見せた。


 ビアンカの上気した顔だけで感想は十分伝わったからだ。


 ユスティーナが椅子から立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。


「お聴きくださり、ありがとうございました。何か気になる点がありましたら」

「いえ! とっても、とっても、綺麗で素敵で好きな音楽でした!」

「ふふ、良かったです。ルイも作った甲斐があったわね」

「ユスティーナさまが思いついたメロディと、ビアンカさまがいだくお母さまへの想いがあったからこそ出来た曲です。とは言え、この曲に関しては僕も全力を尽くせたと思います。褒めていただいて、素直に嬉しいです」


 普段は謙遜ばかりする“執事”であるルイが、感情を表に出して笑っている。その姿は幼い頃の彼を想起させた。


 ルイがひとつ咳払いをして姿勢を正すと、


「ビアンカさまたちには曲を城で聴いていただくしかありません。しかし王国の行事も詰まっていますので、僕たちが演奏出来る日も限られています。ゆえに短期間で歌詞やメロディを覚えていただくことになりますが、覚悟はよろしいですね?」


 と言ってわざとらしく険しい表情をした。彼には興奮を抑えきれないときに演技がかった表情をする癖がある。


 質問から彼の本意を感じ取ったビアンカも、同様に意識して凛々しい表情をして見せる。


「はい! 完璧にして、ママに喜んでもらえるように頑張ります!」

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