6. ソフィアの複雑な本心。

 ソフィアは女性執事の手を借りながらドレスを着た。普段より少しきつめに締めたせいで呼吸をすることさえ苦しい。


 レースやフリルで華美に飾られた白色のドレス。ソフィア自身の好みではないが、「“彼”の好みらしいですよ!」と執事に押し切られてしまった。どんな服を身に纏っても、“彼”はあたしに興味なんてないのに。そう叫びたくなるのをぐっと堪える。


 髪は結わず、いつものようにカチューシャを着ける。様々なヘアアレンジを提案されたが、それは突っぱねてやった。


 姉と同じホワイトブロンドで、姉と違ってひとつも癖のないストレートヘア。大きなリボンをあしらった赤いカチューシャは、「ソフィアらしい」と言われることが多く気に入っている。らしい、というのが褒め言葉なのかどうか、分からないが。とにかく、顔立ちが似ている姉妹の見分けにカチューシャが使われていることは確かだった。


「とてもお綺麗ですよ! コーレインさまとのお出掛け……いえ、デート、行ってらっしゃいませ」


 わざとらしく言い直した執事を睨み、何も答えずに自室を出る。


「あら、今日はレオナルド殿下とのお出掛け? 朝食も殿下ととるのかしら」


 ドアを開けたところで、書類の束を抱えたユスティーナに鉢合わせた。音楽記号や文字がずらりと並ぶ書類を見ると吐き気がする。


「ええ、そうよ。ユナがルイとへんてこな曲を作る間、あたしは他国に良い顔をしてくるの」

「へんてこだなんて。聴いてもいないのに、そういうことを言うのは良くないわ」


 ソフィアはユスティーナを無視して歩を進めた。大階段の前で待っている別の執事が、困惑の表情をしている。恐らくソフィアの後ろにいる姉も同じような表情をしているのだろう。それでもソフィアは振り返る気にはならなかった。


 最近、ユスティーナとルイが変なことをしているのが気に入らない。耳馴染みのない楽器で不快な音楽を奏でて、二人は嬉しそうに笑い合っている。

 時々、ビアンカとかいう子供とその弟妹たちが城を出入りしては、ぎゃあぎゃあと騒いで帰っていく。それが気に入らないと口では言っている……が、本当はユスティーナとルイがソフィアに見向きもしないことが一番嫌だった。


 ユスティーナが一歳のとき、母を病で亡くしたルイがエングフェルト家に引き取られた。そのときルイは五歳。二人は兄妹のように仲良く育った。ソフィアが幼い頃はルイを本当の兄だと信じていたほど彼は紛れもなく家族だった。


 ユスティーナとの七歳差を恨めしく感じ始めたのはいつだっただろうか。二人だけが仮初めとはいえ“兄妹”として育った期間は、ソフィアにとって不可侵の領域。いつまでもその差を埋められない。二人の関係は、ソフィアとの関係とは大違いだった。


 そう、端的に言ってしまえば……ソフィアはユスティーナとルイのことが大好きなのだ。


 しかしそのことに自分自身でも気が付いておらず、嫌いだと思い込んでいるため、彼女はわざと足音を立てて大階段を降りる。玄関の扉が開くと、冬の冷たい風がソフィアの長い睫毛を揺らした。


「ソフィアさま、馬車の用意は出来ております。どうぞこちらへ。少々地面が凍っておりますので、お手を」


 パンプスの低めのヒールが音を立てて、地面に薄く張った氷を割る。


 閉め切られてはいるものの隙間風が吹き通り、ひんやりとした馬車に揺られ、隣国のコーレイン王国へと向かう。普段なら人目のないところでは眠っている彼女だが、何だか苛立って目が覚めてしまった。


******


 馬車で揺られること約二時間弱。ようやく隣国に到着した。


 コーレイン王国の中心に位置する城の前には、王族が並んで待っていた。エングフェルト王国よりも強大な国であるにも関わらず、王以外は揃って頭を下げる。自国では横柄な態度を取るソフィアも、コーレイン王国では背筋を伸ばす。


 馬車から降りるとき、執事を制止してレオナルドが手を貸した。彼はソフィアの許婚である。三つ年上の十二歳の彼と、馬車を降りたソフィアの目線はほぼ同じ高さで、彼は少々顔を赤らめながらソフィアのそばを離れてしまう。


 耳に掛かるくらいの長さで切り揃えられた癖のない金髪は、天使の輪が載っているかのように綺麗に輝いていた。


 コーレイン王が、地に響くような声で言う。


「ようこそおいでくださった」


 握手をして、ソフィアも微笑んで感謝を述べた。


「おひさしぶりです、陛下。相変わらずコーレイン王国は活気があって素敵な街並みですね」

「どうも。今日は息子をよろしく頼みます」


 無愛想な王は、それだけ言うと城へと入っていった。レオナルド含め、皆が気まずそうな表情を浮かべる。


 王妃が一歩前へ出て、上品に会釈した。


「長旅、お疲れになったでしょう。時間の制約に縛られぬよう、明確な予定は立てていないのですが、コーレイン王国でご覧になりたい場所はありますか?」

「ええと、こちらの国に伺ったのは数回しかありませんので、むしろ見たことのないところばかりで」


 しどろもどろになる彼女の言葉を遮り、レオナルドが提案をした。


「母上。ソフィアさまと連れ立って行きたい場所があるのです。そちらにご案内するというのはいかがでしょう」

「あら、連れ立って行きたい場所というのは?」

「この腕輪を作っていただいた宝石店です」


 そう言ってレオナルドは袖を捲り上げ、腕輪を見せる。


 白い肌に映える、金で出来た豪奢な腕輪には、赤、青、緑の大きな宝石が埋め込まれていて、少し動いただけで太陽光を反射して輝く。レオナルドが十歳になった記念で作られた品だ。


 王妃は手を合わせて頬の横に添え、


「まあ! ソフィアさんに似合うアクセサリーを作るのね。素敵なコーレイン王国土産になると思うわ」


 とうっとりした表情を浮かべた。


 王国からソフィアへの贈り物とするように、と話が進んでいく。「贈り物だなんてそんな」と言う間もなく二人で乗り込んだ馬車は城の西へと駆け出した。


 コーレイン王国所有の馬車はエングフェルト王国のそれよりも高級だ。座っている椅子はふかふかのソファで、馬車の外観には緻密な彫刻が施されている。何より、揺れが小さい。レオナルドいわく、車輪に加工をしているらしい。


 ただ車窓に鉄格子が付いていないことが気に掛かった。ソフィアが馬車で街を廻るようになった頃にはすでに鉄格子は取り付けられており、付いていない状況に慣れていない。


 そわそわした様子の彼女を一瞥して、レオナルドは冷たい声を放つ。


「落ち着きがない。どうしたんだ」


 大きくはっきりとした目で見据えられると、体感温度が何度か下がったような気持ちになる。


 ソフィアも負けじとつんとした口調で言い返す。


「別に。鉄格子もなしに街に出るなんて危機管理がなっていないと思っただけよ。何かがあってからでは遅いのに」

「ははは、ソフィーの国とは違って、僕の国は治安が良いからね。国民に疑いの眼差しを向けられる王妃はいないしね」

「猫被りが上手なレオはママのこと悪く言わないで。ほら、にゃあにゃあーって鳴きなさいよ」


 どの口が言うんだか、と聞こえる声で呟くレオナルドを、ソフィアは睨む。


 彼から視線を離して窓の外を見遣ると、コーレイン王国特有の街並みが広がっていた。


 建物の構造自体は他国と同様だが、ただひたすらに派手な色をした家々。青色の壁の前に赤色のポインセチアの鉢が置かれていたり、壁が黄色と青色でボーダー柄に塗られていたりと、三原色のうち二つの色が各建物に含まれているといった具合だ。


 ソフィアは元よりカラフルな色使いを好むタイプだが、特にステンドグラスで装飾された窓はお気に入りだった。エングフェルト王国ではあまり見掛けないステンドグラスを、いつか自分の部屋の窓に飾りたいと常々思っている。


 綺麗な街並みを見てようやく心が和らいできた頃、馬車が止まって扉が開かれる。先に降りたレオナルドの手を借りて降りた。御者や民が周囲にいるからか、彼は猫被りに戻っていた。


「ありがとうございます」


 ソフィアも首を傾げて微笑み、おしとやかな許婚を演じる。

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