5. 身体に流れる音楽を掴んで。

 護衛が重厚な扉を閉めても、扉にビアンカたちの後ろ姿が映っているように見えた。きゃっきゃという子供たちの声、城内で視線を移すたびに輝く瞳、そのどれもがユスティーナには新鮮だった。


 スクールの友人を城に招いたことは何度もあるが、彼女たちも貴族の娘。あのような反応を見たのは初めてだ。自分は国民と近い存在だと思い込んでいたが、実際の暮らしを目の当たりにしたことはなく、それは勘違いであったことを痛感する。


 ユスティーナはルイの部屋へ向かった。彼が叩くドラムの音は鳴り止み、代わりにレコードのロックミュージックが聴こえる。彼が初めて聴かせてくれたロックミュージックは確かこの曲だ。思わず身体をリズムに合わせて揺らしながら声を掛ける。


「どうかなさいましたか。……ああっ、レコードの音量が大きかったですか、申し訳ございま……」

「ルイ、曲作れる?」

「きょく」


 レコードプレーヤーのほうへ足を向けたまま首だけをぐるりと回し、目を丸くする。


 間抜けな表情と声から「だめだ」と言われるだろうなと予感しつつも諦めず食い下がってみる。


「ビアンカさんが入院しているお母さまに何かを渡したいらしいの。それで私が、作った曲を歌ったらどうか、って提案して」

「やりましょう」


 今度はユスティーナが間抜けな表情を見せる番だった。ルイは興奮した様子でユスティーナの手首を掴み、自分の部屋へと招き入れる。瞳を輝かせた彼は姫が突っ立ったままであることに気付く余裕もなく、ベッドの下に隠された箱からひとつのレコード盤を取り出してセットする。


 流れたのはロックミュージックとは違うけれどもクラシックとも違う音楽。


 鈴の音やストリングスがメロディを構成しつつ、ドラムやギターもそれら音色を支えている音楽。


「ゆったりとしたテンポも素敵だとお思いになりませんか。異国では“バラード”なんて呼ばれている曲調で、僕は疲れたときによく聴いているんです。直接背中を押してくれる力というよりも、気持ちが良いほうに向く空気を作ってくれる雰囲気を感じて」

「ええ、私、この曲好きだわ。心地が良くて、すべての音が心臓まで響く感覚がする。こういう曲をお母さまに歌ったらきっと喜んでくださる……」


 はっとした。ルイは力強く頷く。


「曲を作るのは初めてなので、このバラードを参考にさせていただきましょう。とは言っても、曲のイメージは固まっているのでしょう?」


 ユスティーナは苦笑した。本当に彼には何でもお見通しだ。


 この部屋からロックミュージックが聴こえたときから、いや、ビアンカに曲作りを提案したときから、ユスティーナの中には音楽があった。かすかにだが鳴っている音楽を口ずさんでみる。口だけでは主旋律しか伝えられないことがもどかしい。


 歌を聴きつつルイはペンで楽譜に音を留めていく。ユスティーナの中の音楽が尽きて口ずさむのをやめると、彼は楽譜を手に取って微笑んだ。


「素敵です。ユスティーナさまには、作曲の才能がございますよ!」

「頭の中で思い描いていた曲からは歌っていくうちに変わっていってしまったけれど。ねえ、ルイ。今は二人だけよ、そして今は音楽の話をしている」


 ルイはあからさまに顔をしかめた。気付かれてしまった、と言わんばかりだが、ユスティーナは初めから気付いていた。彼が自ら気軽な言葉遣いにしてくれないかと待っていたのだ。


 以前と同じようにため息をひとつ吐いてから、


「楽譜通りにピアノを弾いてくれないかな、ほら、ここに座って」


 と椅子を引く。


 ユスティーナが座ると、ルイも椅子の僅かなスペースに腰を下ろそうとした。戸惑いつつ椅子の端に寄る。連弾をするのはひさしぶりで胸が躍る。


 楽譜に目を遣って、初めの一音を鳴らした。ユスティーナは幼少期からピアノを習っているので、楽譜を見てすぐに鍵盤を叩くことに不安はない。その後もすらすらと指を動かす。


 隣に座るルイがようやく弾き始めた。ユスティーナの弾くメロディを引き立てる、美しい伴奏。和音の合間に一音ずつランダムに挟まれる低音が、二人の好きなロックミュージックのようで、耳にすっと馴染む。


 一度弾き終えても何も言わず二回、三回と繰り返して弾くうちに彼の伴奏がブラッシュアップされていくのを感じた。けれども耳を澄ます一方で、ユスティーナの視線は彼の指に注がれていた。


(ルイの指、すごく太い。関節が大きくて爪も横長で……私とは違う、“男の人”の手)


 彼の手をぼうっと見つめたまま再びメロディを最初から弾こうと指を動かすと、ルイが手をかざして制止した。


「ユナはもう自室に戻って。僕は休憩時間が終わるから業務に戻らなくてはいけないし、曲の骨格は作れたからあとは僕がひとりで編曲をするよ」

「編曲っていう作業が必要なのね。私が手伝えることはない?」

「今のところピアノでの主旋律と伴奏しか出来ていないから、不足しているドラムやストリングスの音も考えなくちゃいけないんだ。ここからは僕がひとりで試行錯誤して少しずつ作っていくことになる。僕に任せて欲しい」


 同じ椅子に座りながら、ユスティーナのことをじっと見つめる緑色の瞳。耐えきれず彼女は視線を瞳から外す。


 いつもなら耳の上のほうは真っ直ぐな髪に隠れているのに、今は耳が全部見える。彼は珍しく横髪を耳に掛けていた。ひさしぶりに見る耳輪は細い血管を浮かび上がらせている。


 なんだか見てはいけないような気がして、ユスティーナは視線をあちこちに彷徨わせたのち、立ち上がった。


「ではルイにお任せするわね。私がひとりで出来ることはある?」

「うん。ユナは、もしもさらに良いメロディが思い浮かんだと感じたら、すぐに僕に聞かせに来て。僕はどんなメロディに変更になっても編曲出来る、というより必死で編曲する。大切なのはユナが最高と考える音楽を作ることだ。あとは歌詞、これはユナが考えるべきだと思う」


 スクールで作文をすることはあっても、歌詞となると勝手が違う。音に合わせて言葉を当てはめなければならない。


 当然、不安はある。しかし不安を吹き飛ばすようにユスティーナは力強く頷いた。私には頼もしいルイがいる、その全幅の信頼を抱いて。

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