4. ビアンカの相談。
翌日、城を訪れたビアンカは、玄関で衛兵たちの足止めを食らっていた。
幼い弟たちを家には置いていけないと全員連れて来て、皆に出来る限り高級な服を着せたはずであったが、
「庶民が城に何用だ。ユスティーナ殿下に招かれただと? 馬鹿を言うな、庶民と話し込む趣味は殿下にないぞ」
とぶっきらぼうにあしらわれた。
本当なのにと苛立つ気持ちもあったが、実際に玄関を通って城へ入って行く貴族の装いを見ると信じられないのも当然だと思った。本当に“おひめさま”が私を呼んだのだろうかと心配にもなった。
けれども玄関が騒がしいと思い様子を見に来たルイがビアンカたちを招き入れてくれた。
「招待状も送らずに申し訳ございませんでした。失礼なことを言われたでしょう」
とユスティーナに代わって謝る彼から目が離せない。こんなに背の高い男性を六番街では見たことがない。そして何よりも目を引いたのは彼の髪だ。
「赤くて、真っ直ぐで、綺麗な髪」
思わず手を伸ばしたビアンカに、ルイは屈んで髪を触らせてやる。
つるつるで、さらさらで、産まれたての赤子のようだなと思った。ビアンカには触感を形容する言葉がそれしか浮かばなかった。
「ふふ、赤毛を良い風に言われる機会は少ないのでそう言っていただけると嬉しいです。……さあこちらの部屋でお待ちください。ユスティーナさまをお呼びします」
ビアンカは自分や弟妹の衣服を改めて見て、部屋に入るのを躊躇う。動こうとしない彼女と目線を合わせると、彼女はぽつりと呟いた。
「ぼろぼろの服でおひめさまに会っていいんですか」
ワンピースの裾を掴む手にはぎゅっと力がこもっていた。城内の豪奢な装飾と、自身のサイズさえ合っていないワンピースとの対比が、堪らなく恥ずかしかった。
お似合いですよと軽々しく言って彼女は満足するのだろうかと考えあぐねていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。
「ビアンカさん! 弟さんや妹さんたちも、皆素敵な服で来てくださって、ありがとう」
「素敵な、服……?」
「ええ、皆さんお揃いの柔らかい白色がお似合いよ」
ユスティーナはビアンカに、屈託のない笑顔で言った。聞いた途端にビアンカの瞳はきらきらと輝き始める。
さあ入ってくださいな、の声に押され、応接室へ軽い足取りで入っていく。そんな彼女の後ろ姿を見てルイはユスティーナには敵わないなと思った。ビアンカの悩みを何気ない一言で吹き飛ばしてしまったのだから。
暖炉の中で炎が揺れるのを見て、弟たちがはしゃぐ。木製テーブルを挟んで向かい合わせになったソファのふかふかした座り心地を確かめて、そしてソファの猫足が可愛いと言って、妹たちがはしゃぐ。
「うるさくしちゃだめ、おひめさまの前なんだから!」
ビアンカは叱るばかりでなかなか本題に入れない。ユスティーナはルイを近くに呼び、耳打ちする。
「弟さんや妹さんたちを私たちが使っていた子供部屋へ案内出来ないかしら。今でもおもちゃやぬいぐるみがたくさんあるし楽しんでいただけると思うのだけれど、埃っぽい?」
「いえ、日々欠かさず掃除しております。子供たちだけでは心配なので他の執事を、男女どちらも配置致しますね」
そそくさと部屋を出たルイは、特に子供に慣れているであろう二人の執事に声を掛け、子供たちを丁寧に別室へ移動させた。
静かになった部屋でユスティーナと二人きりで向かい合うビアンカは緊張しながらも、
「おにいさん、優しくて格好良いですね」
と思ったことを話すと、ユスティーナは手を口元に近付けて微笑んだ。
「ええ、本当に素敵な執事でしょう? 彼がいなかったら私はこんなに自由に生きられていないと思うわ」
彼に依存しすぎているからこのままでは良くないわね、と続けるうちに、ルイが応接室に戻って来た。子供たちは案の定初めて見るおもちゃに目を輝かせていたという。彼はユスティーナ自身が話を聞いたほうが良いと言って、部屋を去った。
二人が会話する様子を見ていたビアンカは、“おひめさま”に赤い髪の執事だけに見せる表情があることを知った。少し幼いような、隙があるような、言うなれば妹が兄に見せる表情。
部屋の隅のレコードプレーヤーが、音楽に触れる機会の少ないビアンカでさえ聴き覚えがあるほど有名なクラシックを奏でている。エングフェルト家ではもちろん、他の貴族の家でも何台も所有しているレコードプレーヤーであるが、未だ庶民の家には普及していない。ビアンカは音楽と共にある生活に憧れを膨らませた。
ユスティーナがビアンカの母のことを尋ねる。
「ママはずっと病気なんです。あんまり詳しいことは誰も教えてくれないけど、たぶん結構大変な病気。だから一緒に出掛けるとかは出来なくて、でもお祝いしたくて、でもお金は全然持ってなくて」
母親へのプレゼントで大切なのは金額でなく想いだと、メッセージカードや手料理など想いが伝わるものを提案してみるもビアンカの反応は薄い。きっぱりとは言わないがすでに贈ったことがあるようだ。誕生日まで約一ヶ月、大きな作品を作るような時間もない。
テーブルの上の紅茶をビアンカに勧め、二人でカップに口を付けたとき、ティンパニのような音が城中に響いた。
ティンパニよりもワイルドで心臓に干渉する音。いつだかルイに教えてもらった……そう、確かこれは“ドラム”だ。彼は今休憩時間なのだろう。
ユスティーナは閃いた。ビアンカに身を乗り出して提案する。
「皆さんに合う曲を作って、その曲を皆さんで歌ってお母さまに披露するのはいかがでしょう! 心配なさらないで。ルイ、ええと、先ほどまでここにいた執事なら作れると思います」
ルイが曲を作れるかどうかはわからない。しかしこれまで聴いた曲を思い起こすと、ルイが所有する楽器の数々、加えてユスティーナが演奏出来るヴァイオリンとピアノで再現可能な音の集合であったように感じる。道具さえあればあとは行動あるのみだ、というのがユスティーナの信念だ。
ユスティーナの輝きに気圧されつつも、ビアンカは母が音楽が好きだと語っていたことを思い出した。小さい頃から病気がちだった私を支えてくれたのは、病院に時々訪れていた合奏団の音楽だったかしらね。母の優しい声が脳内で再生される。
「すごく、良いと思う! ……です!」
「採用かしら? 私はルイに相談をして、きっと叱られなくてはなりません。今日は解散にしましょう」
玄関まで見送るユスティーナに、ビアンカは手を振った。少し控えめに、しかし満面の笑顔で。ユスティーナも手を振り返す。
合流した弟妹たちはどんなことをして遊んだか説明しようと、それぞれが口々に話した。ひとりひとりの言っていることは聞き取れないものの、楽しかったことだけはわかる。
馬車で家まで送るとユスティーナは申し出たが、それを断った。城であったことを思い起こしながら、ゆっくり歩いて帰りたい気分だった。
扉を出る直前に振り返って、
「私たちに何か出来ることはありませんか?」
と聞くと、ユスティーナは少し悩んでから言った。
「お母さまへの愛を、皆さんで出来るだけ言葉にしておいていただきたいです。お母さまのことをたくさん考えて、たくさん悩んでください」
城を出ると皮膚を剥がすような寒さがビアンカを包んだ。肩をすぼめ、手を擦り合わせる。子供たちの「さむーい!」の声が重なって賑やかだ。
好きだよ、大好き、愛してる。家に帰るまでビアンカは、愛の言葉をたくさん心に浮かべて、その言葉たちの群れが心を温めた。
ふと今日交わした会話を思い出す。ユスティーナの、悲しみを含んだ微笑みも。
「おひめさまとおにいさんは、兄妹みたいですね」
「五年間は兄妹同然に過ごしていたもの。ルイが突然兄から執事になるまでは、ね」
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