3. 街廻り。

 紙を束ねる紐を解くと、床に雪崩のように崩れた。ルイは封が適当に開けられた封筒を上から順に手に取って便箋を開く。ユスティーナが手元を覗き込み、次々と手紙を見ていった。


「『長く想いを寄せていた女性と結婚致しました』……今度、お祝いの品をお渡ししましょうか。『刺繍が綺麗に出来ました』……ブローチが同封されていますね。お付けしますよ」


 花を象ったブローチを付けた左胸がなんだか温かく感じた。


 その後も幸せな報告、悲しみに溢れた報告、手作りの品の数々が続いた。そしてひとつの便箋を広げたとき、二人は視線を交わした。


 クレヨンで書かれた、線が揺らいだ字。もはや解読のように一文字ずつ読んでいく。


『ママのおたんじょうびにみんなでプレゼントをわたしたいです。でもいいものはかえません。おひめさまはなにをもらったらうれしいですか?

 ビアンカ・モレッティ』


「ビアンカさまは六番街の南側に住むフローラ・モレッティさまのご息女でいらっしゃいます。今年で五つか六つになる年齢であったかと」


 ルイが説明するまでもなくユスティーナはビアンカのことを覚えていた。街を廻ったとき生まれたばかりの彼女を抱っこしたからだ。そのとき赤子はユスティーナの服を握って離さず、袖にあしらわれたレース素材が千切れた。土下座しそうな母親を止め、レースを“プレゼント”と称して自ら引きちぎり、赤子の腕に結んでやった記憶がある。


 彼女の輝く瞳を見てすぐにルイは紙とペンを用意する。


「ビアンカさまに手紙を出して城に呼び、お話を伺いましょうか」

「いいえ、今日は街を廻る日じゃない! 六番街のあたりで速度を落とすよう御者に伝えて。直接手紙を渡すわ」


 かしこまりました、と答えて馬車が待つ玄関口へ向かう。ユスティーナの嬉しそうな顔が頭から離れず、本当に民と交流することが好きで仕方のない姫なのだなと顔を綻ばせた。


******


 エングフェルト王国は少々特殊な街並みをしている。城と国の出入り口である門とを繋ぐ大通りに平行に層を為して街が並ぶ。大通りに近いほうから列ごとに番号が振られ、城を見て右側、つまり東に向かって一番街から五番街まで、左側、つまり西側に向かって六番街から十番街までがある。大通りに面した六番街に住むビアンカとは、城から真っ直ぐ馬車で進めば会えるはずだ。


 とはいえ月に一回の街を見て廻る日。王族を一目見ようとすべての街から人が出て来て、大通りは大量の人で溢れかえっている。彼らは王国の国旗が描かれた手旗を持って振っており、その光景は圧巻だ。御者に速度を落としてなど言っておかずとも、この混雑では速度を出せなかっただろう。


「ビアンカさんを見つけられるかしら」


 隣に座るルイに尋ねるが、彼は自信がなさそうに「どうでしょう」と答えるだけだった。馬車の中を狙う者がいないか目を光らせている。彼はいつも通り黒の執事服を身に纏っている。隣のソフィアが二人を睨め付けて、


「国民と馴れ合って威厳を失っても知らないわよ」


 と冷たい声色で言った。炎のように鮮やかな赤色のドレスがより言葉を鋭く感じさせる。馴れ合うなんてそんな、と言い返したかったが、国民が見ている。何も言わずに窓の外に向かって手を振る。


 窓と言えども鉄格子が張り巡らされていてもはや檻だ。過去、ソフィアの母の乗る馬車に火炎瓶が投げ込まれた事件から鉄格子が取り付けられるようになった。そのときは同乗していた執事が身を呈して守り、彼女は無事だったが、執事は大怪我を負った。


 格子の隙間から覗いて国民ひとりひとりと目を合わせるように努める。鉄格子がなかった過去を知っているユスティーナは不便に思ったが、ルイが怪我をしたら、そう思うと鉄格子は守護神のようにさえ感じられた。


 人々の頭越しに家々の間の闇が目に入る。埃が舞い、澱んだ空気が流れているその狭い空間には、子供たちがいた。思わず肩に力が入るほど寒い中、布を身体に巻き付けているだけで、目が窪んだ子供たち。ちらりとこちらを見るとすぐに顔を下に向けてしまう。親を亡くし、身寄りのない子供たちは、王国の性急に解決せねばならない問題だ。


 子供たちが見えなくなって視線を真っ直ぐ前に戻すと、手紙で結婚を報告した男性と目が合った。


「おめでとうございます!」


 と叫び、拍手をしてみせる。途端に彼は目の周りを赤くして瞳から涙を止めどなく零す。続いてブローチを贈ってくれた女性がこちらに一生懸命に手旗を振っていた。胸元のブローチを指して微笑むと、がくりと膝から崩れ落ちて、ユスティーナに祈るように頭を下げた。


 二人の紅潮した顔が脳裏に焼き付いて離れない。あまりの興奮具合に彼女自身は少々戸惑いを感じたが、やはり国民を深く知ることは必要だと思った。私たちが皆のことを知って交流するだけで輝く表情が見られる。王族は国民を輝かせるために存在するのだから、これは王族としての義務なのだ。意見箱の周知を進めて義務を果たしたい、そう願う彼女の心のうちを、ルイはなんとなく推察していた。


 南に着いて折り返すとき、王国の入口である大仰な門とその前に立つビアンカを見た。モレッティ家は大家族なので彼女は小さな弟や妹たちと手を繋いで連なっている。きゃあきゃあと声を上げて飛び跳ねる子供たちに手を焼いている様子だ。


「ビアンカさーん! こちらへー!」


 彼女の姿が見えなくなる前に手招きをする。「私?」と言わんばかりの表情をしているが、ユスティーナが大きく頷いて見せると恐る恐る馬車に駆け寄ってきた。手を繋いだままの弟たちは初めて近くに見る馬車に感動している様子である。


「明日、城へ来ていただけるかしら。何か用事があるのなら後日で良いのだけれど」


 馬車は案外速く進んでしまい、ビアンカとの距離はどんどん離れていく。


「とにかく都合の良いときに城に来てちょうだいー!」


 そう叫ぶのがやっとで、ユスティーナは北上する馬車に揺られて、ビアンカの姿を雑踏の中へ見失ってしまった。

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