2. 意見箱の手紙はどこへ?
ダイニングルームの大きなテーブルにはレース編みのテーブルクロスが掛かっている。締め切られた窓からは雪が舞っている景色が見えるが、テーブルの中心にはバラやマリーゴールドなどが挿してある花瓶があり、暖炉の熱が春のような気温に保っている様子が見て取れる。
カトラリーが並ぶテーブルに家族が集って席に着く。
まずユスティーナの父、ベンジャミン・エングフェルトが、執事のセバスチャンが椅子を引くより先に自分で引いて座る。現在このエングフェルト王国の王である彼はセバスチャンがおろおろしていることも気に留めない。
続いて祖母のミシェルが着席するが、脚の悪い彼女はセバスチャンの手を取ってゆっくりと腰を下す。
そして次期女王であるユスティーナがルイの助けを受けて座る。すでにルイは“友人”でなく“執事”になっており、冷たく感じるほど無表情だ。ユスティーナをユナと呼ぶことはない。
最後に「聞いて、今日も朝からユナとルイがうるさかったのよ」と不平を言うソフィアと、「ユナだなんて……来年には十になるのだからお姉さまと呼びなさいといつも言っているでしょう」と叱る母が座る。彼女はユスティーナの実母ではない。ユスティーナの実母であるヘレンはユスティーナが一歳のときに亡くなった。
ソフィアの母は血の繋がっていないユスティーナとも本当の娘のように接した。スクールで友人と打ち解けられず悩んでいるときも、次期女王の重圧に圧し潰されそうなときも、寄り添って励ましてくれたのは彼女だった。その人柄ゆえ皆彼女を家族の一員として愛していたが、後妻ということもあり、国民の中には心ない言葉を言う者もいる。
「前王妃を殺害して地位を奪ったのではないか」
「殿下が亡くなったとされる日に、城外をうろうろする不審な女が目撃されているらしい。さらにあの女に似ていたとかなんとか」
実際、このような噂が出るほど、ヘレンの死には不審な点が多かった。『突然の病に
ベンジャミンが手をパンと打ち鳴らす。皆もそれに倣って手を合わせ、目を瞑って声を揃える。
「すべての命に感謝を捧げ、民の幸福を守ることを神に誓います」
エングフェルト王族に長く伝わる食事前の言葉。王族としてどうあるべきかを明確に示してくれる、羅針盤のような言葉だ。言い終えると、ベンジャミンが食事に手をつけるのを待ってから皆がフォークを手に取った。
前菜を食べ終わる頃にベンジャミンが口を開く。
「今日はこの後、街を見て廻る。寒さが厳しくなっているから赤色の衣服にしようと思うが、良いか」
皆が彼の目を見て頷いた。街を馬車で廻るとき、ある種のパレードのようにしたいという王の意向で、王族は衣服の色を合わせることにしている。この試みは国民に好評らしい。
皆は再び食事を始めたが、ユスティーナは給仕をするセバスチャンに声を掛けた。
「意見箱にはまだ何も入っていないの? 国民にどんなことでも書いて伝えて欲しいとお願いをしたはずだけれど」
「多くの紙が入っておりまして、すべてに目を通しましたが、重大なことが書いてある文はひとつもありませんでしたよ」
「重大か重大じゃないか、それは私たちが判断することではないのよ。国民が私に伝えたいと思ったことであることには変わりないのだから。これからはすべて私に渡してちょうだい」
セバスチャンは腑に落ちない表情のまま、渋々といった様子で「承知致しました」と答え、そそくさと給仕の仕事に戻った。ソフィアがユスティーナの隣で不機嫌そうな顔に戻っていた。
******
ユスティーナは真新しいドレスの裾を捲って辺りを窺いながら走っていた。
「試験があるのを忘れていたわ、勉強しなければ」
とか何とか白々しく言って、皆より早く食事を済ませたせいか、喉が詰まったような感覚がある。
セバスチャンに意見箱の手紙をどこへやったか尋ねると、「廃棄紙集積所ですが」とのことだった。彼はその後も、
「取り戻すことは不可能ですよ。あの紙束を捨てた後、大量の紙を重ねてしまいましたので、意見箱の紙はもう埋まっているでしょう」
と言葉を続けていたが、ユスティーナはもう聞いていなかった。執事に取り戻せとは命じづらい、それなら自分で行くしかないが、ひとりで集積所に行くなんて心配されるに違いない。どうしたら誰にも見つからず行けるか、道筋を考えていた。
集積所は城の外、城を取り囲む塀に沿った位置にある。出入口は正面にひとつしかないが、東の空き部屋の窓を開ければ通れるだろう。そこを通れば目の前はもう目的地だ。
案外、上手くいった。少し高い窓際から飛び降りると、パンプスのヒールが土に突き刺さり汚れたが、気にならない。
積み重なった紙束を倒すようにして退けていくと一際目を引く紙束があった。一番上の便箋には可愛らしいイラストや乾いた葉があしらわれていて、民がユスティーナのために装飾したことが窺える。
ふうと一息ついて、紐で括られた紙束のひとつを持ち上げる。すると下からも意見箱に入っていたであろう紙が顔を覗かせ、ユスティーナはもう一往復する覚悟を決めた。
紙束を抱えたまま開け放った窓のほうを振り返ると誰かにぶつかった。
「ルイ……」
「失礼ながらセバスチャンさまとのお話を聞いておりまして、まさか次期女王直々に集積所に抜け出すなどしないだろうと思っていたのですが、念の為様子を見に来てみたら……」
「ごめんなさい。国民の皆が私に伝えたいことをしたためた手紙を捨てられたと知って、いてもたってもいられなくて」
ユスティーナは俯いて、すうと細められたルイの冷たい視線から逃げた。先ほどまで
立ちすくむ彼女の手からルイは紙束を取り上げた。抱えたまま城の玄関へ向かおうとする彼を思わず引き止めて、
「どこに行くの」
と尋ねると、
「僕の部屋です。共に手紙を読みましょう」
と答えた。また集積所に手紙を捨てられると思っていたユスティーナは理解出来ず静かに首を傾げる。
「ユスティーナさまに風邪を引かれても困りますし、執事としてこのような重い物を持たせるわけにもいかないのです。あなたの国民に近い立場でいようとする姿勢は素晴らしいと思いますよ」
さあ、先に僕の部屋に戻っていてくださいませ、という彼の言葉を無視して、もうひとつの紙束を抱えた。
「私も運ぶわ。重いだなんて気にしないでちょうだいね、ルイと一緒なら軽く感じるもの」
彼女の屈託のない笑顔を見て、説得しても意味がないとわかったようで、二人は並んで城内へ戻る。玄関の護衛官が慌ててユスティーナに敬礼をした。
「殿下は非常に可愛らしいお方だが」
「ああ見えて少々お転婆なようだな」
二人の護衛官は玄関を通ったユスティーナを振り返りながら囁き合った。
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