ユスティーナ王女、音楽プロデューサー(P)の才がございます!

梅屋さくら

1. ロックミュージックに心躍らせて。

 空気を切り裂くような音を聞いて、ユスティーナは目を覚ます。


 音自体は荒々しいがハーモニーは美しく、桃色の小花が刺繍された天蓋を見つめたまま聞き入る。余韻が消えたと同時に軽快に奏でられたのはユスティーナが好きな曲の旋律だ。


 ロック調のその曲は、クラシックのレコードばかり流れている城内では耳馴染みがない。突き刺さるような刺々しい音に心臓がどくどくと早く鼓動するのを感じる。血が滾るとはこのことかと思う。


 気分良く身体を起こし、瞳の色と同じ紫色のパンプスを履く。絡まった髪の毛に指を通して解していると、右隣の部屋から左隣の部屋に移動していく大きな足音を聞いた。ノックもなしに思い切り扉が開けられる音がする。


「ルイ、うるさいわよ! 大きな音で変な楽器を弾くなっていつも言ってるのに」


 耳にキンとくるこの声は、妹のソフィアだ。返事も聞かず力任せに扉を閉めて再び右隣の彼女の自室へ戻っていく。


 もう何の音も聞こえなくなってしまった。ユスティーナは執事に陰で“暴れ馬”と揶揄されている妹に呆れつつ、部屋を出て左隣の部屋をノックする。はきはきとした「はい」の声に続き、扉が開いてルイが姿を現した。すらりと背の高い彼が前に立つと、小さなユスティーナは彼の広い胸しか見えない。彼女を見て驚いた表情をし、


「ユスティーナさま、どうなさいましたか。僕のギターで眠りを妨げたのなら申し訳ございません」


 と即時に頭を下げた。


 ユスティーナは、


「あの荒々しいけれど魅力的な響き……“ぎたー”という楽器なのね?」


 と確認しながら、ルイの肩越しに部屋の中を眺めて“ぎたー”らしい楽器を探す。いつまでも頭を下げている彼に痺れを切らして、半ば体当たりのようにして彼を押し退ける。


「怒っていないわ、私はあの音が好きよ。見せて、そして弾いてくれないかしら」

「気に入っていただけましたか……!」


 ユスティーナが頷くと途端に綺麗な緑色の瞳を輝かせ、小躍りしてギターを手に取り肩に掛けた。


 ギターを構えて一本ずつ弦をはじいてチューニングする姿を、格好良いと思った。長い指に挟まれたピックが振り下ろされると、すべての弦が震えて音が広がる。左手で弦を押さえて、右手でその弦を的確に弾き、朝聴いたユスティーナの好きな曲の旋律を紡ぐ。


 一番を弾き終えるとルイはギターを置いてしまった。不満気なユスティーナを宥めるようにロックミュージックのレコード盤を蓄音機にセットする。


「ネグリジェ姿ではいけません。ユスティーナさまがお好きな曲を聴きながら、着替えを致しましょう」


 着替えは大変だ。ひとりでドレスを着ることは出来ない。


 ネグリジェを脱いでリネンの肌着を露わにすると、まず薄い生地の靴下をガーターで固定される。そしてまるで鎧のように身体を複数の布で覆い、その上に豪華に飾られたドレスを纏う。さらに胸にスタマッカーという装飾品を付けると煌びやかな“姫らしい”装いになる。


「新しい群青色のドレス、お似合いですよ」

「ありがとう。ヘアメイクもルイにしてもらいたいのだけど」


 そう言うとあからさまに戸惑った表情を見せた。男の執事である僕で良いのか、と言わんばかりの表情だ。


「誰よりもルイは丁寧で器用だから、私はルイのするヘアメイクが気に入っているの」


 化粧品が並ぶドレッサーのほうに歩くと、パニエに押し上げられて丸みを帯びたスカートがジェリーフィッシュのように揺れる。この化粧品と、引き出しに入った髪飾りは、すべてユスティーナのために用意されたものである。


 溜め息混じりに屈んで彼女のきめ細やかな肌に白粉おしろいをのせ、大きな目の周りを淡い紫色、小さな唇を落ち着いた桃色で彩る。ホワイトブロンドの癖毛にそっと櫛を通し、編み込み、アップスタイルにする。うなじの後れ毛も癖毛のせいでくるくると丸まっているが、この髪型だと癖毛も可愛らしく見えて、ユスティーナはこの髪型を気に入っていた。


「ルイは本当に器用ね。ありがとう」


 ちょうどレコードの再生が止まった。静かな部屋でユスティーナは鼻歌を歌い始める。それは聴いたことのない曲だったが、ルイはその曲が好きだと直感した。


 ギターで和声を奏で、鼻歌に合わせる。自分の歌に伴奏がつく感覚が堪らなく気持ち良くて、より大きな声で曲の続きを歌う。


 ドアがノックされた、というより、殴られた。


「うるさいって言ったでしょ⁉︎ ユナまで何を大きな声で歌ってるのよ、もう!」


 ソフィアはそうドア越しに叫んでダイニングルームへ続く階段を降りていく。しんとした室内で、二人は顔を見合わせた。ユスティーナは口元に手を当てて上品に笑った。


「気持ち良く歌っていたのだけど、怒られちゃったわね」

「ええ、僕は今日二度目です。そろそろ朝食も出来上がると思われますし、ユスティーナさまもダイニングへと向かいましょう」


 ユスティーナの手を取ってドアのほうへとエスコートするルイの目は、先ほどまでの温かな家族の目でなく、温度のない執事の目に戻っていた。


 突然ひとりになったようで淋しく、手を振り払う。


「他人行儀な態度をされると悲しいわ。幼い頃のように、畏まらず、私のことも“ユナ”と渾名で呼んでちょうだい」

「そう言われても……陛下に拾い育てていただいた恩はございますが、結局のところ他人です。執事の任を全うするため、ご理解いただけると」

「せめて二人きりのときは気楽に接して欲しいわ。この部屋で音楽の話をするとき、私たちは少なくとも他人ではなく友人よ。他に人はいないし、何より私が良いと言っているのだから問題はない」


 ダイニングのほうから皿同士が触れ合う音が聞こえた気がした。『ユスティーナさまが部屋を訪れたとき、食事の支度はせず彼女のエスコートをすること』と特別命令を受けているルイは、彼女とともにダイニングルームへと向かわなければならない。けれどもユスティーナは動く気配がない。


 ひとつ息を吐いて彼女の紫色の瞳を見た。


「ユナ、もう食事の用意が終わる。行こう」


 とルイは微笑んで手を差し出し、ユスティーナは嬉しそうにその手を取った。

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