ボスボスの話

「準備の話だ」

「言ってたな。最悪の事態に備えるのが勤めだっていうんだろ? もったいつけるなよ」


 ボスボスは両腕を机に立て、親指で目頭を押さえた。

 パソコンの冷却ファンが規則的な風切り音を立てている。モニターの発する微弱な振動が地鳴りのように思えた。やがてボスボスは諦めたとばかりに苦い笑みを浮かべた。


「街を捨てられるかどうかの実験だ」

「…………はぁ!?」


 単語の意味を解する一拍の間を置き、ラズリは思わず頓狂な声を上げた。

 ボスボスは首肯を繰り返しながら背もたれに体重を預けた。


「まぁ、俺もあんまり良い言い方じゃないとは思う」苦しげに言った。「だが、いつか塔の機能が失われる日がくるかもしれないと仮定すると、シリンダーズをトレインに乗せて安全に運べるかどうか実験するには、これ以上にいい機会はないと思っている」

「……シリンダーズをトレインで運ぶって?」

「もし塔がなくなれば、街という形でひとっところに定住するのは難しいからな。そうなったら稲妻を避けながら移動しつづけるしかない」


 大昔にいたという遊牧民のような生活だ。トレインに必要最低限の道具を詰め込んで、空を睨みながら暮らしていく。マージナルスとウィーザーズだけなら簡単な話だが、シリンダーズも一緒となると途端に難しくなる。


「ステイシス・シリンダーを使うには誘雷塔による整流が必要だ。だが、こうも言える。稲妻に近寄らなければシリンダーなんていらない」

「そりゃそうだけどよ……」


 うん、とボスボスは首肯する。


「シリンダーを使うのにこだわるなら、死んだ街並みを進んで生きている塔を探しながら暮らしていくのもいいだろう。もっと素朴に、稲妻を器用に避けつつ死んだ街で資材を集めながら暮らしていくと考えてもいい。ただ、問題は……」

「それが可能かどうか。街を捨てなきゃいけないなんて、そんな想像したくねぇけど」

「ああ、もちろんだ。あくまでも最後の手段だ。だが最後の手段にエビデンンスがあるかないかでだいぶ心持ちが違う。そうだろう?」

「……そうかもな」


 やった奴がいる。したことがある。記憶と記録はのちにつづく者たちの標になるが――


「成功するとは限らない」


 脳みその底に三年前の一件がへばりついている。

 それも見越しているのか、ボスボスは言葉を選ぶように慎重に言葉をつづけた。


「オフェリアの件では、大勢の人間が失敗した。俺もそのひとりだ」

「……なに言ってんだよ。あれは俺の――」

「それはお前の驕りだ、ラズリ」


 ボスボスは人差し指を立て、つつくように振った。


「まぁ、お前ならそう考えるだろうとは思ってた。みんなもそう言った。だから手を打っておいた――つもりなんだが、それも失敗だったな」

「みんな? みんなってなんだよ」

「お前はみんなに愛されてた。まぁ、お前だけじゃないけどな」


 吹き出すように苦笑し、ボスボスが席を立った。背後にある窓辺に寄り立って、足元を見下ろす。そこには夜が明けて動き出した三四三番がある。


「あの日、俺は判断を誤った。お前の案を聞いてすぐに動きだせば、素人に毛の生えたようなもんだったブルーにドライバーをさせずにすんだし、オフェリアを失わずにすんだ」

「……かもしれない、だろ? やってみなけりゃ結果はわからない」

「そうだ。やってみれば成功したかもしれない。だが俺はビビった」


 ボスボスは重苦しいため息をつきながら振り向いた。


「前に一回、取り返しのつかない失敗をしたんだ」


 初めて聞く話だった。


「三四三番にウィザーズが少ないのは、俺のせいなんだ」


 意味がわからねぇ、とラズリは眉をしかめる。


「お前やブルーに親がいないのも俺のせいといっていい」

「……話が見えねぇ」

「……塔の機能不全、どれくらいつづいてるか知ってるか?」

「一〇年くらいか?」


 子どものころ、塔での働き方を学ぶうちに、気づいたらおぼえていた。


「正確には、今年で十二年になる。この機能不全は十二年前にはじまり、俺はそのころ復旧の指揮をとっていた。トップじゃなく、現場の指揮官としてな」

「……それは初耳」

「だろうな。みんな黙っていた。たぶん不安だったんだろう。最低限の修復が終わった時点で大人は半分以下だ。街の舵取りができそうな人材は俺しか残ってなかった」


 街で行われる作業の大半はスペシャリスト化している。街の維持と管理など誰にでもできそうで誰にもできない仕事のひとつだ。平時なら成長を待つ余裕もあっただろうが、人員が半分以下に減っているなら慣れている者に任せる。当然の判断だ。


「失敗したうちのひとりなのに、権限と責任は増えた。状況は厳しい。つい臆病になっちまって、安全マージンを広くとるようになった。それで上手くいったから、どんどん慎重になったよ。親を亡くしたお前らに関しちゃ、やりすぎなくらい慎重だった」

「親って……じゃあ――」

「そうだよ。みんな塔の修復に走り回って死んだ。なのに直しきれず、つづけてたら街を維持できないんで、俺が中断を指示した。親の仇と思ってくれても間違っちゃいない」

「……思うわけねぇだろ」


 あのときと同じだ。みんな、それぞれがやるべきことをやろうとしていて。


「お前が片腕になったブルーを背負って戻ってきたとき、俺は思った。俺のせいだ。さっさと決断してれば、止めるなら止めるでどっかに閉じ込めとけば。どうしたらいい? ラズリはガキで、妹を失くした。てめぇのせいでブルーに大怪我をさせたと思う。全部自分で背負うに違いない。――あのころの、俺みたいに」

「あのころって……」


 塔の修復で大勢が死んだときと同じ、ということか。

 ボスボスはいくらかすっきりした顔をし、髪を撫でつけた。


「ビビりきってた俺の、最大の失敗だ。ラズリ、俺はお前に自分を重ねちまった」


 ボスボスは、まだボスじゃなかったボス・ボッサールは、責任に押しつぶされそうになった。犯した罪の重さを自分で決め、勝手に潰れかかった。そのと救いになったのは、


「俺以外に妥当な人材がいないと言われたとき、ほっとした。責任とって、きっちり仕事をこなそうってな。完璧にやりとげようと仕事に集中して、仕事してるあいだは楽になれた。俺がそうできたのは、俺がマージナルスで、元々、管理する役だったからだ」

「ウィーザーズの俺を仕事漬けにするには……」

「いい言い方じゃないが、ブルーに義手と義眼が必要だったのは助かった。誰がどうみても安い代物じゃないし、誰でも納得いきそうな理由がつくれたからな」


 ボスボスの申し訳なさそうな、それでいてどこか得意げな片笑みに、ラズリは両手を腰に首を垂れ、そういうことかと肩を揺らした。

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