墓標

 一拍の後、悲鳴。子どもだ。ラズリとジルコは顔を見合わせるや否や小屋を駆け出た。


「そっち頼む!」


 ジルコが小屋の正面に目を光らせた。ラズリは裏手に回って首を振った。

 一面の緑、灰色、ぽつぽつと人影、走る姿、その方向に。


「ジルコ! こっちだ!」


 畑の柔らかい土に靴底が沈んだ。ときおり転けそうになりながら近づくと、泣きわめく子供と、困ったような作業員、じっと地面を見つめるアズールがいた。鼻を突き刺すような匂いが漂っていた。射撃直後特有の、無煙火薬と雷管が弾けたときの匂いだ。


「アズール! なにやった!?」


 血溜まりに獣の下半身が突っ伏していた。野犬だろうか。こぼれた臓物がてらてら光っていて、骨が異様なほど白く見えた。

 遅れてやってきたジルコが、うわ、と嫌そうに呻いた。


「……撃ったのはアズールか?」


 ラズリが尋ねると、アズールは厳しい顔でうなづき、泣きじゃくる子どもを指差した。


「僕は虫がついたりしてないか見て回ってたんだ。そしたらフルールが獣の臭いがするって言って、この犬のそばに、その子がいて、危ないって思って……」


 アズールは言葉を切り、下唇を噛んだ。

 子どもがしゃくりあげながら言った。


「餌付けしたんだ! 友だちになったんだ! なのに、あの子が……あの子が!」


 声を一段と高くして泣きわめき、子どもは作業員の腹に抱きついた。

 ジルコは犬の死骸の前にしゃがみ込み、タオルで口を覆った。


「たしかに餌付けしてるとこだった。いつもは夜に来るんだけどな……まぁ言ってなかった俺が悪いな。それに、ひとりで近づいたお前だって悪いぞ?」


 怒ってはいるが、しかし穏やかな声で、ジルコは子どもに言った。すると、子どもはさらにギャン泣きし、でも、と鼻をすすった。


「殺すなんて! なんで撃ったのさ! この子は僕を見ても逃げなかったのに!」

「『バカ! 逃げなかったんじゃなくて襲おうとしてたのよ!』ってキャロ――」

「うるさい! 殺し屋! バカはお前だ!」


 子どもが足元の石を拾い、アズールに投げつけた。咄嗟のことで、作業員もジルコも、一番近くにいたラズリも動けなかった。アズールは顔色ひとつ変えずに投げつけられた石を手で弾き、拳銃を抜いた。銃口の向かう先は――。


「アズール!」


 ラズリは子どもと銃口の間に躰を割り込ませた。


「なにやってんだ!? 銃を下ろせ!」


 肩越しに覗くと、子どもは真っ青な顔をして尻もちをついていた。眉根が歪み、割れんばかりの声で泣き始めた。泣き声と先程の銃声を聞きつけて他の作業員がやってきた。アズールは居心地悪そうに視線を巡らせ、乾いた音を立てて安全装置をかけた。


「僕は……その子を守ろうとしただけだよ」

「わかってるよ。けど、撃つなら一発目は空でもよかったんだじゃないか?」

「そんなんじゃ間に合わない!」


 叫ぶように言って、アズールは狼と畑の一点を指差した。


「こんなに距離があるんだよ!? 逃げなかったらどうするのさ!? 動く的を狙うのは難しいんだ! 次の弾が不発だったら!? 助けなきゃよかったっていうの!?」

「落ち着け。興奮すんな。そんなこと言ってない」

「僕は謝ったりしないよ! 正しいことをしたんだ! 危ないと思ったんだ!」

「わかるよ。危ないと思った。助けようと思った。だろ? アズール、お前、今日はもういいからブルーのとこに行ってろ。この時間ならたぶん操車場だ。場所はわかるか?」


 言いつつ、ラズリが一歩近づくと、


「場所くらいわかるよ! バカにするな!」


 アズールは目に涙を湛えながら叫び、土を蹴るようにして背を向けた。どけと言わんばかりの足取りに大人たちが道を開ける。


「ちゃんと事情を話すんだぞ!?」


 とぼとぼと遠ざかっていく背中に声を投げたが、返事はなかった。

 やっぱり街で暮らすのは難しいのか。ラズリは肩を落とした。その背を叩き、ジルコは作業員のひとりに死体を入れる袋とシャベルを持ってくるように言った。


「墓くらい作ってやらないとな――手伝ってくれるか?」


 ジルコが尋ねると、子どもは鼻水をすすりながらうなづいた。

 飛び散った肉片をズタ袋に放り込みながら、なんのために餌付けしていたのだろうとラズリは思う。外で生きていくより三四三番で生きるほうがマシだろうと、痩せた犬を哀れんだのだろうか。群れから離れて孤独に暮らすよりいいと考えたのか。


 ラズリはシャベルを手に、ジルコたちと穴を掘った。友だちになった? 本当に? アズールが子どもに銃口を向けたとき、間に躰をすべりこませたとき、心底ぞっとした。


 決して噛みついたりしない。どうして、そう信じられるのだろう。

 相手は牙をもっている。首に縄をかけても自ら望んでいるのでなければ、いずれ――

 ラズリは言われたとおり十字架型に板切れを組み、ジルコに渡した。


「……なぁ、これってなんとかって宗教だろ? 野犬の墓ってのはそれでいいのか?」

「なんでもいいんだよ」


 ジルコは名もない犬の亡骸が眠る小山に板切れを立て、軍手を外した。目元を真っ赤に腫らした子どもは悔しそうな顔をして二度手を叩き、両手を合わせて墓を拝んだ。


 それもなんか違うんじゃねぇの? とラズリは目を逸らす。死んだときのマナーや死者を送るときのマナーはよくわからない。両親の記憶は夏場の陽炎より薄いし、三四三番で何度かあった葬式も、焼いたり埋めたり外に置いてきたりとまちまちだ。


 墓や葬儀は死者ではなく生者のためにある、と探索で拾った本にあった。

 オフェリアは生きているのか死んでいるのかもわからない。だから、いまだにどう考えればいいのかわからない。葬儀はしたくなかったし、墓が生者のためにあるなら作った瞬間に死んでしまうような気がして、そのままになっている。


「……認めたくないだけなんだろうな」

「なんだって?」

「なんでもねぇよ」


 久々に煙草が吸いたくなった。ライターは色々と役立ちそうで持ち歩いているが、煙草と『ディープ・シー』は物置に放り込んだままになっている。


「酒が飲みたくなることってあるんだなぁ」


 頂点を越えて下り始めた太陽を見つめ、ジルコがしみじみと言った。


「やめとけ。躰に悪ぃし、美味くもねぇし、酔っ払うってのもロクなもんじゃねぇ」

「そうか? じゃ、やめとこう」


 ジルコは少し意外そうな顔をして言い、子どもに向き直った。


「おい、あとでアズールに謝るんだぞ?」

「えっ!? なんで!?」


 子どもはなにに対してかわからない祈りを中断し、いかにも不満そうに目をつった。


「だってあいつ――」

「あいつじゃない。アズールだ」


 ジルコは子どもの前で片膝をつき、小さな肩に手を置いた。


「アズールは助けようとしてくれたんだぞ? そりゃあ、ちょっとやりかたはアレだった。けど悪気があったわけじゃない。そっちについてはそこのラズリが後できっちり話をつけてくれる。だけど……石を投げたのはダメだ。よくない。わかるな?」

「……ぅん」


 子どもがこっくりうなづいた。ジルコは笑顔になって腰を上げ、その頭を撫でた。


「よし。じゃあ、落ち着いたら――なんだ?」


 ジルコが急に言葉を切り、居住区の方を睨んだ。見れば、甲高いモーター音を響かせ二輪車が近づいてきていた。


「ラズリー! いるかー!?」


 搭乗者の緊迫した声に、ラズリはジルコと顔を見合わせる。二輪車といえば操車場、操車場といえば、さっきアズールに行くよう行った場所。嫌な予感がした。

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