雷鳴
灰色の空、意識を向けなくても見える稲妻の気配。明日か、明後日か、時間的には遠すぎて正確に読み取れないが、三日より先ではない。
畑の休憩小屋兼見張り小屋にて早一時間、ポットのコーヒーは三杯目。他の作業員のためにコーヒーを淹れ直してやろうかとも思ったが、あるのは電気式のコーヒーメーカーだけで、ラズリには操作できなかった。
「や~っと、ひと息つけたぜ~……」
と、窓の向こうからジルコの声が聞こえてきて、アルミ扉が開いた。青いオーバーオールは土埃で点々と汚れ、足元の長靴もドロドロになっていた。
「ご苦労さんだな。こっちは遅刻になっちまったけど」
ラズリは農作業の過酷さとそれに従事する旧友の頼もしさを胸のうちに抱きながら、コーヒーを注いでマグカップを差し出した。名前入りのシールが貼ってあった。
ジルコは一口すすって顔をしかめる。
「おい、これ淹れたのラズリか? 濃すぎるだろ」
「淹れられねぇよ。わかってんだろ?」
ラズリは口角を引き上げ片手を左右に振りながら対面の席についた。
「それで? 話って? 俺を遅刻させてまで引き止めた理由を聞かせてもらおうか」
「いやぁ、たいした話じゃないんだけどな……たいした話か?」
ジルコは歯切れ悪く言って、濃すぎるらしいコーヒーを一口すすった。
「最近、ちょっと調子でてきたよな。三年前と同じ雰囲気になってきた」
「またその話か。しつけえなオメーも」
「……んなこと言ってっとハゲんぞ?」
「……みんなして同じこと言ってくんなっての。つか三年前と同じって」
三年前の今日は、まさにドン底だ。オフェリアを失い、ボスボスに義手と義眼を依頼した直後。時間もいまくらいで、なにも喉を通らなくてフラフラしていた気がする。
「三年前の俺は最低だったろ」
「でもない。あのころはギリギリ面影が残ってたかな」
自分で思う姿と、ジルコたちが見ていた姿は違うらしい。彼らにしてみれば、三年前ドブ沼を這いずり回っていた頃はまだ輝いていた、ということなのか。
「どいつもこいつも――お前にゃ暗い顔が似合ってるってか?」
「その嫌味っぽいとこが抜けたら完全復活だな。どっちのお前も嫌いじゃねぇけど、どっちがいいかって言われたら、あのころのラズリがでっかくなったとこを見てぇよ」
「なんだそれ。気持ち悪ぃ」
ラズリは顔を背けて頭をガシガシと掻いた。
「てか、話ってなんだよ? そんな話するために呼び止めたのか?」
「まぁそれもある――んだが」
ジルコは軍手をはたいてテーブルに投げ、コーヒーカップ片手に窓を見やった。
「職場見学なんかさせてっからさ、街に住まわせる気なんかなって思うだろ」
「……街から追い出せってか?」
そんな意味で聞いてきたんじゃない。しかし、喉を通った言葉は止められない。
「シリンダーズは死んだ街に捨ててこいってか?」
「……もう大丈夫そうだと思ってたけど、まだちっと早かったか」
「あぁ!?」
わかったようなジルコの口調に、ラズリは椅子を蹴倒さんばかりに立った。
「じゃあ、お前らの言う三年前の俺とかってバカだったら、どうするってんだ?」
「んなもん、まずこんな話をしてやしないだろ」
ジルコのまっすぐな目に射抜かれ、ラズリは目線を足元に落とした。
「ちゃんと聞いたんか? あの子にさ」
「……ドクとかブルーが聞いてるかもしんねぇだろ?」
「ちゃんと確認したか?」
「……してねぇよ」
たぶん、ふたりは聞いていない。答えをもらっていたらラズリに話している。待っているんだろう。ラズリが聞くのを。
「聞いて、もし街に住みたくないって言ったらどうすんだよ?」
胸のおくに、冷え切った針先が刺さった気がした。
「『やりたくない』は、どうしたいかの答えじゃない。誰の言葉か知ってっか?」
「……三年前、そういって下手こいて、たったひとりの家族を死なせたバカの言葉だよ」
「惜っしい!」
ジルコはいかにも悔しそうな口ぶりで言い、コーヒーで舌を湿らせる。
「みんなが迷わずに信じてたら、失敗しないですんだ男の言葉だよ」
「――あ?」
ラズリは思わずジルコに顔をむけた。えらく真剣な顔をしていた。
「俺は信じたよ。信じたけど、迷ったぶんだけ時間を失(ロス)った。頼まれたとき動いてりゃ三〇分は余裕があったはずだ。そしたらブルーは軌条に戻れたかもしれない」
「なにいってんだよ。わかんねぇだろ、そんなん。俺は読み間違ってたんだから――」
「だよな。けどラズリが最初に間に合うかもしれないって言ったとき、すぐに動いてりゃ確実に間に合ってた。だろ?」
「それは――」
「そもそもドクがラズリの評価を信じて手術してれば、成功してたかもしれない」
「バーカ。言いすぎだよ。悪いのは俺ひとり。もしもの話をすんなら、俺が変なことしなきゃなにもおきなかったかもしれない。これを忘れたらダメだろ」
ラズリが吐き捨てるように言うと、ジルコは鼻で息をついた。
「……知ってるか? やっときゃ良かったって思い始めると長いんだぜ?」
「知るか。俺から言わせりゃ、やって後悔するほうがキツいよ」
「残念、それは知ってんだ、俺」
ジルコは右手を握りしめ、手の甲に残る傷跡を撫でた。
「ガキのころ、ラズリって奴に教えてもらったからな」
「――あ?」
気色悪いんだよ、とつづけようとした瞬間、
雷鳴の如き銃声が窓の外で響いた。
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