ジャガイモ畑で殴られかけて
「……おい、アズール。もうちょっと愛想よくしとけよ。最初が肝心だぞ?」
「僕じゃなくてフルールに言ってよ」
秒の間もない回答に、ラズリは朝っぱらからなんだってんだと息をつく。色々あったがいつよもより穏やかな夜を過ごせた。そう思った途端にこれだ。
アズールを農場に連れていく道すがら、ラズリは空を見上げた。
朝日の青白さをわずかばかりに感じさせる灰色。朝食のときから不機嫌だった。少女の躰に閉じ込められた少年の弁では、不機嫌なのはフルールだけとのことだが、
「声と言葉遣いで分かるんだよ。アズールだって機嫌悪いだろ? どうした?」
「……ラズリは機嫌いいね。ブルーもそうだった」
飛び出た名前に苦笑し、ラズリは通りすがりのチビどもに顎で挨拶くれつつ尋ね返す。
「セリーヌかキャロラインあたりがなんか言ってそうだな」
「ふたりとも不潔だって、キャロラインが言ってた」
「不潔ってこたないだろ」
「それとセリーヌが、『存外、色男だね』ってさ。どういう意味?」
「……カッコイイ男って意味だよ」
答えた瞬間、アズールはこれみよがしにハンッと鼻を鳴らした。
ふて腐れてんだか、拗ねてるんだか、とラズリはポケットに両手を突っ込む。
「それで? 僕は今日どこで雑用させられるの?」
「雑用って……お前なぁ」
説教を垂れたくなった。けれど、失敗つづきの少年は自分を慰めているだけだ。やらなければならないのだと、誰かに強制されているのだと思い込まなければ、なにもかも投げ出したくなる。傷だらけになりながら見つけた退路に逃げて、なにが悪いというのか。
「もうちょっとなんか、気分アガる言い方ないか?」
「……たとえば?」
「たとえばー……『僕が手を下すまでもないこと』とかどうだ?」
「……なにそれ」
アズールがくつくつと肩を揺らした。それでいいんだよ、とラズリは思う。
誰かのせいにすれば、ほんの少しだけ慰められる。澱んだ感情はどこかに逃がす。悩める人の退路を塞いでいいのは悩めるその人だけだ。誰かの退路を断つというのは、そいつを殺すという意味になる。殺すつもりなら死ぬ気でなくてはいけない。
背負えるものは背負ってやるよと、ラズリは軽い調子でアズールの肩を叩いた。
「今日は畑の手入れだ。たぶん、じゃがいもの収穫と夏野菜の苗付けと――」
「――それ、丸一日かけてやるの?」
無駄じゃない? とでも言いたげなアズールに、ラズリは肩をすくめる。
「わかる。つまらないよな。シリンダーズ向きの仕事じゃねぇし、地べたにしゃがみこんでりゃ腰まで痛くなってくる。一日くらいじゃ絶対に面白くならないだろうな」
「……何日かやってたら面白くなったりするの?」
「どうかな。聞いてみな」
ラズリは小さく顎を振った。見渡す限りの畑――というには少し狭いか。しかし整然と並ぶ緑は、灰色の空の下にある貴重な色彩だ。
「おーい! ジルコー! アズールを連れてきたー!」
ラズリが声を張り上げると、作業をしていたひとりが手を振り返した。
茶色のシャツにデニム地のオーバーオール、夏の日差しに備えた麦わら帽子。長靴と軍手の標準装備も合わせて完全に映画でみた農夫のそれだ。
「あいつがジルコ。形から入りたがるのが特徴だな」
「ブルーから聞いた。昔ラズリにやっつけられて舎弟になったんでしょ?」
「ハハ、なんだよ舎弟って。だいたいやっつけてねぇよ」
「おい! やっと来やがったな!?」
ジルコが息を切らしてやってきた。
「遅すぎだろ。もうみんな作業に入っちまったぞ? 最初に紹介しようと思ってたのに」
言いつつ、ジルコは軍手を取って腰を屈める。
「アズールか? 噂には聞いてたけど可愛い顔してんな。よろしく」
「……どんな噂なの?」
アズールは差し出された手を一瞬見つめ、すぐに視線を戻した。
ジルコは宙ぶらりんになった手を振って、上体を起こした。
「中身はアズール、名前はフルール。ラズリの家で銃をぶっ放したって聞いてるよ」
「それは……それはフルールがやったんだ。僕じゃない」
アズールの言い訳めいた口調に、ジルコがラズリに目をやった。
「本当だよ。うっかり風呂場に入った俺が悪い。アズールはやめろって言ってたんだ」
「……うっかりで風呂場に入るとか、お前ほんとデリカシーないよな」
「うるせ。自宅の風呂場に女の子がいるなら入ってみるのがマナーだよ」
「なんだそりゃ? どこのバカがそんなこと言ったんだ? モテないだろ、そいつ」
知ったような口を聞くジルコに、ラズリは内心でブルーがモテないだって? と笑った。いつだったか、あんまり静かだから心配になって覗いてみたら、待ち構えていたブルーに遅いと冷水を浴びせられたことがあった。
年下の可愛い子がいるからってカッコつけてんかね?
と、ラズリは傍らのアズールを見下ろす。じっとして、黙っていればなるほど美少女に見える。だが口を開けば、
「ジルコは繊細なの? 童貞?」
このありさまだ。
ジルコは顎を落とさんばかりの間抜け面をラズリに向け、アズールを指差した。
「こ、こいつ……なに? なんなの?」
「だから、噂のアズールだよ。喋ってるのはだいたいアズール。躰はフルールってコだ。でもって背中のライフルが――」
くいっと、アズールはラズリの服を引っ張り、腰のホルスターを撫でた。
「『きっとジルコは童貞ね!』ってキャロラインが」
絶句するジルコをよそに、アズールは口調と声色をころころ変える。
「うん。間違いない。ラズリと態度が違いすぎる、ってセリーヌが」
「それから?」
ラズリが笑いを噛み殺しながら促すと、アズールは畑を見渡し、ジルコに言った。
「『ライ麦畑で捕まえて』ですね! ってフルールが」
「……こ、こ、は……ジャガイモ畑だ!」
ジルコが顔を真赤にして怒った。背後に広がる畑を示し、あそこはトマトで奥のはナスで向こうのはニンニク、小麦粉は塔の生産施設で作られるから麦畑なんて面積を食うものは存在しないと力説する。そのコミカルな仕草に、アズールの表情が少し和らいだ。
子どもに好かれるのがうまいやね。
と、ラズリは苦笑いしながら退散――しようとしたのだが、ジルコの声が飛んできた。
「おいラズリ! 待て! 逃げんな! この子のこと紹介したら話がある!」
「……話ぃ?」
ギギギ、とラズリは首を軋ませた。子供のころと違ってラズリより一回り大きく、日頃の農作業でパンプアップされた太い腕を分厚い胸の前で組んでいた。
いまゲンコツ食ったら一発でノックアウトだな、とラズリは肩を落とした。
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