許しという名の恨み言

 ドクは同意を示すように頷いた。


「全部を見たわけじゃないし、資料の欠けも多いから、推測でしかないけど――たぶん、フルールを守るためか、コントロールしやすくするためなんだろう」

「守る? 守るって? 人の頭によくわかんねぇことしておいて――」


 握り固めた拳に力が入った。目眩を起こしそうだ。

 ドクはそれと察してか、なだめるように言った。


「古い医学書を見ると、人間は耐えられそうにないとき、自分を守るために人格をわけることがあるらしい。それを外からやったってことだね。資料には治療って単語もあったからなにかを治すための一時的処置って可能性もある」

「治すって、なにを? ちょっとズレちゃいるけど、あいつは普通の子だぞ」

「そのズレの部分さ。元々は全部が統一された人格だったのなら、衝動的な部分や反抗的な要素は分離できるものに移したんだろう。逆に言えば、攻撃的じゃない部分――つまり痛みをや苦しみを受け止めるのがアズールの役割ってことになる」


 ドクは苦い笑みを浮かべ、表情をあらためた。


「そういう意味では、いまのままだと、ちょっと危険かもしれない。資料にあるのはアズールがどういう状態にあるのかって話だけで、どうしようとしてたのか書いてない。つまり、人格を統合しようとしていたのか、分離させる途中だったのかわからないんだ」

「……ドクはどっちだったと思う?」


 ドク以外に調べている人間がいないのだから、ドクが街で一番その手の話に詳しい。判断を人に任せ、責任を押し付けようとしているようで気に入らなかったが、


「聞いてくれて嬉しいよ。ラズリ」


 意外にも、ドクは穏やかに笑った。


「僕だったら治療という言葉は人格の統合をいうね。これは想像だけど、人格と記憶を分散させることで、猫の家とかってのを隠そうとしてたんじゃないか?」


 ドクは資料を閉じ、コーヒーポットを指差した。ラズリは首を横に振った。


「いいかい? 僕の仮説はこうだ。フルールは目的を達し、猫の家とやらに帰る途中で捕まる可能性を考慮して、仲間の手で人格と記憶を分散させられた。そのあと、捕まった」

「捕まえた連中は猫の家の場所を聞き出そうと治療を始めた」

「あるいは、ただの善意かもしれない。どう考えても正常な状態ではないし、あの子の生きていた時代にもそういう人がいたと信じたいからね」


 お人好しのマージナルスらしい回答だ。稲妻を通して世界とつながるウィーザーズは知っている。閉じた系はそんなに甘ったるくない。だから系が閉じたのだ。


「……ドクはどうしたらいいと思う?」

「まぁ僕なら町の外に連れてくよ」


 らしからぬ発言に、ラズリは思わず躰を起こした。ドクは手を広げて制し、つづけた。


「放り出せっていうんじゃない。他の街を見てみるべきだと思うんだ。少なくともアズールには三四三番にとどまるメリットがない。彼が求めるような居場所はここにはないよ」

「作ってやりゃいいじゃねぇか」

「簡単に言うね。でも、兵士ってなにをするんだい? なにと戦う? 三四三番に敵なんていない。ケンカが起きたら銃を抜いて脅してやめさせる役をつくるのかい?」

「……それを決めるのはボスボスだろ?」

「ボスボスがそんな役をつくると思うかい?」


 ――ない。断言できる。

 三四三番にも銃器をはじめとする強力な武器の類は充分すぎるほどある。が、そもそもマージナルスは調和を重んじる傾向があるので、余計な武力を嫌う。


 たまには若き日のジルコのような事例もあるが、彼にしても内省の果てにいまがある。銃器とは、言葉が通じない野生動物や観光客に対する最後の自衛手段でしかないのだ。

 ラズリは拳骨で額をコツコツ叩きながら尋ねた。


「アズールはそんなに悪いやつじゃないし、ダメなやつじゃないだろ?」

「ああ、いい子だよ。一生懸命やってる。頑張ってる。でも、それだけ無理をしてるんだ」

「無理してるかどうか分かるのかよ? 決めつけんな!」


 声を荒らげた瞬間、ラズリは片手で口を押さえた。視界の端にドクが入り、慌てて、待ってくれと手をかざす。自分の声の強さに自分で驚いていた。

 ……俺はなにに怒ってる? なにイラついている? 胸のうちに問うても答えはない。


「あー……悪い。離脱症状、だっけ? あれが――」

「とっくの昔に一番キツい時期は抜けてるよ」


 ドクは苦笑し、両眼を鋭くした。


「ちょうどいいから、言っておこう。ラズリ、これは君の話でもある。よく聞いてくれ」

「あ? 俺の話?」

「僕や、みんなのせいにしてもいい。オフェリアの死を受け入れて、前に進むんだ」

「……なに言ってんだ?」


 ラズリは質の違う怒りをおぼえた。羞恥にも屈辱にも似た感情。アズールを連れて役場に行った日に感じた違和が、おぼろげに輪郭をつくる。


「いい加減に立ち直ってくれって言ってる。もう三年経ってるんだ。ふて腐れてるラズリを見てるとイライラする。そんな君にブルーがつきっきりなのもね」


 とつぜん飛びだしたブルーの名に、ラズリは前のめりになり拳を固めた。


「今度はブルー? いまはアズールの話だろ?」

「ブルーは一生懸命ラズリを引っ張ってるんだ。君が動き出さないとブルーはいまに壊れてしまうよ。そうなったら、アズールも行き場を失くす」

「ドク!」


 ラズリは声を荒らげ、詰め寄った。拳を引き絞り、狙い――息を吐きながら拳を開いた。

 ドクはパッと目の力を抜き、降参というふうに両手を肩の高さにかかげた。


「……そこで殴らないのがラズリのいいところだね。だけど殴ったほうがすっきりすることもあるんだよ?」

「……じゃあ、ドクが殴ってくれよ」


 ドクは苦笑交じりにうなづきを繰り返し、ラズリの手をそっとどけた。


「アズールに今日はもう上がっていいって伝えてくれ。うちで働きたいなら歓迎するよ」

「……失敗したばっかりのやつに、んなこと言うのか?」

「失敗なんて誰だってするさ。僕なんか未だに失敗してばっかりだよ」

「医者が失敗ばっかちゃダメだろ」

「どんなにうまくいっても次はもっとうまくと思う。成功しても未来からみたらまだ失敗かもしれない。成功は小さな失敗、失敗はのちの成功。ラズリが教えてくれたことだろ?」

「……俺がそんなカッコいいこと言ってたとは知らなかった」


 ラズリはアズールの検査結果を手に腰をあげた。


「頭の回転の速さはさすがだと思うよ。嫌味だけどね」

「嫌味かどうか分からない程度にゃ鈍いよ。またな、ドク」


 ラズリは検査結果を小脇に抱え、診察室を出た。アズールは膝を抱えたままだった。よくもまぁ小さなことで悩んでいられる。棚を倒そうが機械を壊そうが挽回は簡単だ。


 ――ま、自分のことで悩んでられるくらいが幸せか。

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