テスター

「自分で始めたくせにすげぇビビってたんだよななぁ、あいつ」

「そんなの当たり前じゃん。殴られっぱなしで鼻血まで吹いて、なのに笑ってるし。手は痛いし、なのに続けようとか言ってくるし。怖いでしょー」


 ネリーはクスクスと笑った。笑いごとじゃなかったんだよ、とラズリは応じる。

 痛いしクラクラするし立っているのもやっとで、でも絶対に負けられなくて、さぁもう一発こいと言い。ジルコが痛んでるらしい拳を引き絞ったとき、こいつマジかと思った。


 爆ぜるような衝撃と音に、最初は自分の頭蓋骨が割れたかと焦った。

 ジルコの手の甲から折れた骨が飛び出していた。

 いま考えてみれば、頭がのけぞらなかったのだから、ほとんど全部の衝突エネルギーがジルコの拳骨に吸収されたのだ。ちょうどそのとき、オフェリアが息を切らして大人を呼んできてくれ、事態は収束した。


「ま、あれ以来ケンカはないし、鼻血まみれになった甲斐はあったな」

「ケンカがなかったのはラズリがめちゃくちゃ怖かったからだと思うけど……まぁ、そんな子が下にいたんだから私たちはプレッシャーだよねー」


 ん? と顔を歪めるラズリに、ネリーは淡々とつづけた。


「街のためにとか、みんなのためにとか、それからもちろん、オフェリアのためにも。あんまり一生懸命だったからさー。この三年間はちょっと必死だったねー」

「……意味わかんね」


 誰かが三年と口にしたとき、たいていはオフェリアの話だ。それは分かる。だがヨソの家の家族計画とつながるのは謎だ。


「よくわからねぇけどさ、そんな理由なら考え直したほうが……っていうか、なんで俺? そんな話、普通は彼氏にしないか?」

「やー、ま、そこはね。狙ってることバレたくないっていうか」

「……え? それって……」


 ラズリは嫌な予感を覚えながら顔を横に振った。ネリーが歯を見せた。


「言うなよ?」

「……怖っ」


 ラズリはネリーの相方に同情した。数日前にブルーにかけられた言葉の意味が少し変わった気がし、灰色の世界がより暗くなったように思えた。

 ネリーはラズリの横顔を覗き見ながら言った。


「まぁ、いちおう? 昔は好きだった人になら話してもいいかなって思って?」

「あ? 今度はどんな話だよ?」

「――なんでここがデートスポットになったか知ってる?」

「さぁ……? 伝統じゃねぇの?」


 ラズリは首を振った。最初は三組だけだったカップルが四組に増えていた。彼らにはラズリとネリーもカップルに見えているかもしれない。あるいは、浮気と誤解されるやも。


「ラズリさ、子どものころ、女の子片っ端からここに連れてきてたでしょ」

「……そうだっけ?」

「うん。そうなんだよ。まだデートスポットじゃなかったころね」


 ネリーは地平線の先まで見通しそうな目をした。


「あのころのラズリはかっこよかったー。みんなの兄ちゃん。頼りになって、平気な顔して無茶して、失敗してもさぁ次だって感じでさー」

「単にそういう役回りだったってだけだろ」

「そうそう、そういうふうに拗らせてなくって、そのくせたまーに遠い目なんかしてさー。あの目、ずるいわー。あれで女の子はみんなやられちゃったもんだよー」

「……なんか躰がむず痒くなってきたから、俺、行くわ――」

「まぁ、聞きなって」


逃げようとするラズリの肩を、ネリーががっしり掴んだ。


「『今度とっておきの場所に連れてってやるよ!』なんて言われてコロっと着いてってさー。ドキドキさせられてさー。『んじゃ、また!』って。あのころのラズリ、ふざけてたよね?」

「い、いや……ふざけてたわけじゃ……」


 ただ本当に、普通に、元気なさげな子を見つけたらとっておきの場所に誘って励ましていただけだ。無邪気にも自分が好きな場所は他人も好きだと思い込んでいただけ。


「ちょっと年の差も越えてギスったりしてさー、まぁでも、すぐに解決したんだけど」

「へ、へぇ……?」

「ラズリ、ブルーを誘うときだけ時間とかすっごく選んでたよね」

「どうだった、かな……?」


 無駄を承知で分からないフリをした。こっ恥ずかしい話だ。まだ引っ込み思案だったブルーはひとりでいることが多く、自然と声をかける機会が増えて、素の彼女が活発なのだと知ったときにはすでに。しかし、当時は誰にも気づかれていない、はずだった。


「ブルーから聞いたとき、私らンなかで納得がいったねー。あ、ラズリのやつ私らで練習してやがんな? ってさー」


 もはやなにもいうまい、とラズリは顔を横に向けた。


「まーでも?」


 ネリーはふっと鼻を鳴らした。


「実際ここで見る世界は毎回違うし? 私らから後輩たちへと受け継がれる恋の聖地になったわけよ」

「……あのさ、俺にそんな話を聞かせるためにわざわざ待ってたのか?」

「そうだよ?」


 平然とのたまうネリー。ラズリはコーヒーの甘ったるさが感じられなくなっていた。


「ブルーがさー、すっごい嬉しそうにしててさー? ラズリが『ディープ・シー』やめてくれたーとか、昔みたいに笑うーとか、惚気だよね? 惚気けられてるよね? 私」


 ネリーはやたらに真剣な目をしていた。


「あー……彼氏とうまくいってない、とか……?」

「いまはその話してないから。ラズリの話だから」


 あ、やっぱうまくいってないんだ、という言葉は飲み込み、ラズリはハイと頷いた。次はどんな責め句が待っているのかと身構えたが、しかし、ネリーは懐かしそうに笑った。


「まぁでも惚気けるのも分かるわー。ドキドキさせられてた、あのころの感じに戻ってきてるかも。けっきょく、最後まで信じて待ってたブルーの勝ちって感じだなー」

「……そんな変わってねぇと思うけど」

「いやーぜんぜん違うよ。アズールくん、だっけ? あの子のおかげかもね」

「いやもう苦労させられてばっかだよ」


 役場から戻ってきてしばらく、アズールは落ち込んでいるようだった。いまは調査の続行を約束して街で暮らすための準備をさせている。いわゆるオリエンテーションだ。


 三四三番では、十四歳になるまでに適性検査を受け、本人の希望を加味してあらゆる職場で見習いをはじめる。アズールにも同じことをしてもらおうと、適性検査の結果を待つ間にあちこちの仕事を体験してもらっている。


「昨日とか、塔の食料生産設備のプログラムがどうたらつって、俺が怒られたんだぜ?」


 コードを書き換えれば生産効率をあげられると思ったらしく、勝手にそれを実行してしまったのだという。その主張自体は正しく、実際に生産効率はあがった。


 だが、アズールは塔の不調をごまかすための必要な無駄を省いてしまったのだ。

 保護者としてラズリが怒られたのは言うまでもない。

 ただ、怒る側も相当に言葉を選んでいるようではあったが。

 ため息をつくラズリの手から空になったカップを受けとり、ネリーが言った。


「――でも、嬉しそうだよね。もうちょっとって感じかなー」

「喜べばいいのか、困ればいいのか」

「どっちも、でいいんじゃない? 少なくとも昔のラズリならそう言ってた」


 ネリーはカップを口に運び、ぐいっと飲み干した。


「さて。私も仕事に戻らないと」

「……けっきょく、なにしに来たんだ?」

「だから言ったじゃん。十連勤だとは知らずに頼んじゃったから、そのお礼――と、思ってたんだけど、なんか楽しそうにしてたからコーヒーは貸しね」

「だったらせめてミルクだけにして欲しかったんですけど?」

「なんか悔しいからざまーみろだねー」


 ネリーは手をひらひら振りながら背を向け、思い出したように肩越しに振り向いた。


「と、そうだ。そのアズールくん、今日はどちらに?」

「……今日はドクんとこだよ。診察と、手伝いができるかどうかのテスト」


 ラズリは両手を腰に、窓の外はるか下にあるドクの診療所を見つめた。

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