昔話

 誘雷塔最上部にある展望台は、ちょっとしたデートスポットになっている。見えるのは死んだ街並みと灰色の空ばかりだが、塔より高い建物がないために、明け方、夕暮れ、夜遅くと、訪れた時間によって表情がまるで異なるのだ。


 明け方、昇る太陽をみながら予定を立てるために。

 夕暮れ、赤光を浴びながら愛を囁くために。

 夜、満天の星の下、夢を謳うために。

 三四三番に暮らす男女は意中の相手を連れ、ドキドキしながらエレベーターに乗る。


 ――もっとも、展望台はがっつりウィーザーズの職場なのだが。


 たとえば、いま、中央に敷かれた魔法陣にラズリが立ち、仲間数人の協力を受けてウィーザーズ・ネットワークにアクセスしているように。


「えーっと……猫の家ってのの記録はなし? あいつらの名前も?」


 接続者はラズリで、南にある三四二番とつながっている。

 ウィーザーズ・ネットワークは一対一の会話で行われるため、よその街に情報照会したい者が通話者を担当するのが通例だ。


「……無……フル……家…………! ……聞こえ……? ……ーい?」


 魔法陣を包む大気が震え、稲津の遠鳴りにも似たおどろどろしい音が聞こえた。いちおうは言葉らしき形をとっていると分かるのだが、『話す』というにはほど遠い。


「ああー……悪ぃ、もうちょっとはっきり、大きく、ゆっくり頼めるか?」

「こ……か!? ……こえる!? ……おーい!?」


 ブワッ! と急に音が大きくなり、ラズリは思わず首をすぼめた。音が遠のく。顔をしかめて精神を集中。音をあらためて聞き取っていく――が、ぜんぜん遠い。


「だぁ! ダメだ! 悪い! 誰か代わってくんねぇか!?」


 ラズリは鋭い耳鳴りに頭を揺さぶられながら仲間に言った。仲間たちは深いため息をつきながら肩を落とし、ひとりが俺が変わるよと手をあげた。苦笑していた。


 ラズリは、ウィーザーズ・ネットワークに関してだけは同情されるほど下手だった。


 どんな人間にも向き不向きがあるとはいえ、三年前の事件の後すぐに教育と称して仕事を与えられてから今日まで、よっぽと調子がよくないとまともに会話にならないとは――


 つくづく内勤向きじゃねぇんだなぁ。


 ラズリは自らの不甲斐なさに小さくなりつつ、仲間が通話を終えるのを待った。

 しばらくして。


「――まぁ、次はうまくやろうや」


 そう励ます仲間のウィーザードに、ラズリは頷きを繰り返す。


「いままさにそう決意してたトコだよ。で?」

「はは」


 と仲間は軽く笑った。


「まず名前な。こっちは全滅だそうだ。向こうさんも役場にも当たろうとしたらしいんだけど、状態がな。調べるなら変化待ちって感じになるとさ」


 役場に稲妻が落ちたなら仕方ない。向こうにしてみれば余計で危険な面倒事だ。


「猫の家ってのはどうだった?」

「そっちは――なんか売春宿の俗語じゃないかってさ」

「――売春宿? なんだそれ?」


 見たことも聞いたこともない単語だった。

 仲間の男は困ったように眉を寄せ、少し言いづらそうに口を開いた。


「なんってーか、こう、金を払って一晩だけの自由恋愛をする場所、らしい」

「なんだそりゃ? 意味わかんねぇな」

「な。まぁ調査は続けるらしいし、アズールだっけ? 本人にも聞いてみたらどうだ?」

「だな。そうする。悪いな、個人的な頼みごとに付き合ってもらって」

「個人的なことって」誰かが笑った。「それを言ったら手伝うのも個人的な理由だろ」


 それをきっかけに仲間たちが笑いあい、また別のひとりが言った。


「ラズリにもウィーザーズ・ネットワークを使えるようになってもらなきゃだしな」


 うへっとラズリが口の端をさげると、仲間たちは一段と大きな声で笑った。

 会はお開きとなり、ラズリ以外は本来の仕事に戻るため展望台の封鎖を解いて出て行った。入れ代わるように三組ほどの幼いカップルが姿を見せ、それぞれがちょうど最大距離を取るように分散、甘酸っぱい会話に花を咲かせる。


「若いってのはいい――というか、怖いもの知らずっていうか――」


 我ながら爺臭い感想だと思いつつ魔法陣の処理をして顔をあげると、ニヤニヤしている女がいた。ネリーだ。


「えらっそーに。ラズリだって昔はそうだったぞー?」

「……いたのかよ。てか、聞いてたのかよ」


 アズールと出会った日に交代勤務を頼んできたウィーザーズだ。ラズリにとってはふたつ上の先輩――だが、塔で働くようになると年齢も性別もあまり意味をもたなくなる。


「俺もそうだったって……職場でデートなんてしないだろ、普通」

「そりゃ、あのころのラズリにとっては仕事場じゃなかったもんねぇ?」


 ラズリは窓の外に視線を逃した。灰色の空。まだ日は高い。デートには不向きだ。


「あのころの俺なら、もうちょっと時間を選んだかな」

「だよね。ラズリはマセてたし」


 ネリーはコーヒーの入った紙カップを差し出した。


「こないだは代わってくれてありがとう。これ、お礼ね」

「お礼にしては軽い……つか、俺、マセてたかぁ?」

「まぁね。少なくともちょっとミステリアスな子だったかなー」


 そう言って笑いつつ、ネリーは窓辺の一角を指差す。

 ラズリはコーヒーに口をつけた。ミルクと砂糖たっぷりで甘ったるかった。 


「……んで、なんか用? まさか、ほんとにお礼をしたかっただけ?」

「やー……ちょっと聞いてもらいたかっただけで……理由、覚えてる?」

「理由って……」


 ラズリは記憶をたどる。アズールと会ってから騒がしい記憶が増えすぎていて思い出すのに十秒近くを要した。たしか、ピンク色の便箋に『生理きちゃった』と。


「……遅れてたからさー、今度こそーって思ってたんだけど、ねー」

「ああ、そういう……」


 延々とつづく灰色の世界を見つめるネリーの横顔はどこか寂しげだった。女性のウィーザーズというだけで余計なプレッシャーを感じていたのかもしれない。


「気にすんなって。ジルコとか、そういう話するとキレるんだぜ?」

「ハハッ、ジルコ」


 ネリーは口元を隠して笑った。


「すっかりラズリの次のお兄ちゃんになったねー。昔は女の子イジメてばっかだったのに。シメられたのが効いたんだねー」

「シメられたって……俺はんな暴力的なことはしねぇよ。あいつが勝手にやめただけ」


 ラズリは遥か下に広がる三四三番の家並みを見つめた。

 ずっと昔、三年前よりさらに昔。ジルコだけは、いつになっても女の子をイジメようとし、つどジョブ・ウォッチでやりこめていたが、あるとき彼の不満が限界に達した。


 いつもどおりの宣言に、ボクサーを提案したのだ。

 三四三番にそんな役職はない。具体的にどうしたいのか尋ねたら殴り合いでケリをつけると言った。普通だったら断った。だが、ラズリは受けた。


「痛かったなぁ、あれ」

「そりゃそうだよ。ジルコ大っきかったし」

「いや、拳の入ったトコがな? 足にきてさ」


 ラズリは昔を思いだしながら顎を擦る。

 三四三番という狭い世界、塔も不調、大人の手をわずらわせたくなかった。医者の数にも医療にも限界があり、大怪我につながりかねない遊びには細心の注意がいる。


 ラズリは交互に殴るというルールにして、まず自分とジルコでやった。

 一発もらった瞬間を覚えている。当時読んでいた本に『火花が散る』という表現があったが本当だった。気絶しなかったのが不幸中の幸いだ。


 さぁ次はラズリのターン――だが、殴るわけにはいかなかった。

 チビどもが見ている。殴り合いが楽しいだとか、力で解決できるとか、そんな学びを与えてはいけない。三四三番はみんなで助け合う。それを教えるのが使命だと思っていた。


 ラズリは自分の分を省略し、ただ耐えようと力を入れただけだ。

 火花どころか頭が爆発したかと思ったが、代わりにジルコは拳を痛めた。

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