閉じていた

 ラズリは両頬をゆっくり擦った。汗はなかった。ブルーが静かなので首を振ると、


「……どした?」


 ブルーはモニターの放つ光を浴びながら、アズールの背を擦っていた。


「死んでたよ。ジョー・ホッブス」


 だろうなと思いつつ、ラズリはそれを隠してアズールの背に近づく。


「記録が残ってたんだし朗報だろ? なんか暗くねぇか?」

「……死んでたんだよ?」


 アズールが肩越しに潤んだ瞳を見せた。


「僕が殺したんだ」

「……なんだって?」


 ラズリは眉をしかめ、モニターを覗きこんだ。略歴が表示されていた。

 ジョー・ホッブス。通称、面食いジョー。デブだ。顔写真がついているときは必要以上に人相が悪くなるのが通例だが、それにも増して凶悪なツラをしたデブだ。


 出生地は映画で見たことがある。映像では牧歌的で住みやすそうだったが、登場人物はクソみたいな場所だとボロクソに罵っていた。


 歳は四七。若い女を好むには絶妙に気持ちの悪い年齢だ。五七でも三七でも気持ち悪いが、四七はかなり絶妙に気持ち悪い。同じくらいの歳のボスボスはひとつ年上の奥さんと暮らしているのに、こいつは一七の少女を殺して食った。


 一七はブルーと同じだ。より正確にはブルーより数ヶ月早く生まれた少女。


 殺して、食う? 


 なんのためにとラズリは思う。

 ジョー・ホッブスは今は亡き街で大きなホットドッグ屋を経営しており、少女の肉でソーセージをつくり、特別なホットドッグを提供していたという。クソ以下では足りない。


 けれど、それより重要なのは、すでに死んでいるジョー・ホッブスの死因だ。

 もう少し下を見せてくれ、とラズリはブルーに合図を送る。

 ブルーの手がキーを叩いた。画面上の情報が読書速度と二人三脚でスクロールする。


 直接の死因は窒息。喉を革のベルトで締められた『らしい』とある。死後に頭を吹き飛ばされていて、同じように陰部が損失していた。他に二一発の小口径弾を受けている。死体発見の当日に一八人の少女が救出され、みなが一様に証言している。


 大きなライフルを担いだ女の子が助けてくれた。

 助けてくれたという少女の名前も姿も残っていない。


「……これが、アズールか?」

「たぶん、そう。でもセリーヌもキャロラインも、フルールもなにも教えてくれない」


 アズールはぽつぽつと言って、自分の手を見つめた。

 ブルーがキーを叩き、関連情報を呼び出した。当時の新聞だ。

 悪徳の街に秩序の兆し、と見出しがついていた。もともと治安の悪い街だったらしい。


 ジョー・ホッブスが死んだ日の前日、街で騒ぎがあった。犯罪集団がもつ事務所のひとつで大量虐殺があり、自警団が出動した。二十を超える死者はすべて組織の人間。生存者はひとりもなく、やったのはひとりの少女となっている。


 ラズリはアズールの横顔を窺った。

 探索者というより殺し屋。凄腕のガン・スリンガー。

 モニターの発する青い光を顔にうける彼は、泣いているようにも見えた。


「ま、昔は昔だしな。今のアズールと昔のアズールにゃなんの関係もないさ」

「……今と昔は関係ないとか、そんなの変だよ」

「変なことあるか。街の外とおんなじだよ。塔みたいなピンで留めておかなきゃ稲妻一発で別物になっちまう。なんにもおかしかない。だろ?」

「……ラズリ、もしかして僕を慰めようとしてる?」


 アズールに射抜くような眼差しを送られ、ラズリはうっと呻いた。どんな辛辣な言葉が飛んでくるのだろうと身構えたが、しかし、


「……ありがとう」


 アズールは寂しげに笑った。


「ま、わかったこともあるんだし、いいじゃん」


 ブルーはモニターを操作し、新聞の日付を指差した。


「暦が分かればだいたい同じころの情報を探せばアズールまでつながるかもよ?」

「……そっか……そっか! そうだよね!?」


 アズールの顔がぱっと明るくなった。

 どうやって? そう問いたくなったが、ラズリは黙ってアズールの肩を叩いた。


「そんじゃ、俺はあっちにいるから、手が必要になったら呼んでくれ」

「うん、ありがとう!」


 やけに素直な返事に肩を竦め、ラズリは先ほど寝ていたベンチに腰を下ろす。


「人を引っ張り起こすのが上手いな」


 呼応石のイヤーカフスを叩き、囁くように言った。

 すぐにブルーが振り向き、ジト目を送ってきた。立ち上がり、別のモニターを操作するついでに口元を隠して言った。


「ラズリもちゃんと手伝ってよね」

「俺はウィーザーズ。できることがないだろ」

「頭は使えるでしょ? 次の手と、次の次の手と、次の次の次の手を考えて」

「……りょーかい」


 あらゆる可能性で満たされた世界の系。

 混沌に一本の視線を通し読みとる眼。

 それがウィーザーズ。

 無限にある可能性をたったひとつに収斂してしまうクソ野郎だ。

 ラズリはアズールの小さな背中に思う。 


 本当に次の手なんかいるのか?


 年号と街の様子からしてラズリたちと同じか似通った系の二、三百年前だ。ただし可能性の広がり方が違うため、科学技術のレベルはアズールのいた世界のほうが上にある。


 では、なぜ死んだ街の一角にアズールは現れたのか。

 決まってる。アズールのいた世界の系が閉じたからだ。つまり滅んだ。

 滅んだ世界になにがある? 滅んだ世界にはなにがいる?

 死んだ街にあるのは墓標。眠るのは死者。


 ラズリは息を潜め天井を見上げた。青白い光に照らされた乳白色の天井。小さな白点が動き回っている。巨大なガラス筒に収まるブレード・ジャグラーとやらの、忙しく振り回される機械の腕が、筒内部の光を反射している。


 人工的な偽物の夜空に、眠らせておけばよかったんじゃないかとラズリは思う。

 死んだ街のシリンダーは棺桶だ。棺桶で眠るのは死者だけだ。

 安らかに眠っていた死者を叩き起こしただけじゃないのか。


 俺はやめろと言ったぞ、ブルー。


 ラズリは胸のうちで呟いた。肚の底のほうで、そうじゃねぇだろうと誰かが言った。


 ブルーは閉じようとしていた系を開いただけだ。可能性を広げた。

 次はもう少しまともな閉じ方を探してやらないとな、とラズリはアズールが三四三番でできそうな仕事を考え始めた。微かな違和感があった。無視した。

 


 ブルーたちの調査は芳しい結果を得られなかった。猫の家につながる情報はなし。個人名もダメ。唯一といっていい成果はアズールが思い出したことだ。


 アズールは、ジョーを追って、北上してきた。

 だから、もともと暮らしていたのは、きっと南だ。

 それが役場で得られた成果のすべてだった。

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