死人

 今回の役場は、まるで高級ホテルのラウンジのようだった。

 ただでさえ滑るのに埃まで積もった大理石の床に、見上げるばかりの天井。薄型モニターが並ぶカウンターの奥に、ガラス筒に収まる巨大な機械がそびえる。見渡す限りの名簿ファイルをいちいち手でめくって探すより数千倍はマシだが、問題がありそうだ。


「……ブルー、あれの使い方分かるか?」

「……ちょっと分かんないかも……」

「じゃあ――」


 大外れじゃねぇか、とつづけようとした矢先、


「ブレード・ジャグラーだ!」


 叫ぶように言い、アズールがまるで野に放たれた子犬のように駆け出した。


「ブレード・ジャグラーだよ! 見たことある! 動かしかたも分かるかもしれない!」


 アズールは正面のモニターに飛びついた。まるで初めて塔に入った子ども――子どもではあるが、それにしても珍しいくらいのはしゃぎようだ。


「……記憶が少し戻った、とかか?」

「ふっふ~ん」


 ブルーが楽しげに鼻を鳴らした。


「ラズリ? 私になにか言うことない?」

「はいはい、大当たりでしたよ。ラッキーナンバーのご利益かもな」

「ん~? あんまり気持ちがこもってさそうだぞ~?」


 とブルーがこれみよがしに躰をくねらせている間に、アズールがモニターに触れた。


 ブ、ゥゥゥゥゥゥン……と、低く唸るような音が館内に響き、カウンター奥にあるガラス筒の内部で青いLEDライトが点灯し、おばけのような機械を見せつけた。


 鋼の巨人。あるいはオベリスク。上は天井ちかく、下は床をぶち抜き闇の底まで伸びている。上から見るに地下二階あたりで機械の構造が変わっているらしく、暗闇の底で鈍色に輝く腕が複数本うごめいていた。


「……なんっつーか、レトロすごいな。さすがにこんなんは初めて見たぞ?」

「ね。世界って広いよね」


 誘いかけるようなブルーに、ラズリは思わず顔をあげた。ニマーっと、嬉しそうにニヤついていた。符丁、といってもいいだろう。ふたりの間でしか通じない台詞だ。


 いつのころだったか、塔の上から地平線を眺めて言った。

 あの向こうまで全部を見てみたいんだよ。

 だったら私がドライバーになって見せてあげるよ。

 そんな旧い記憶。


「ねぇ!? いちゃついてないでよ!」


 興奮した様子のアズールが、もどかしそうにキーボードに手を乗せていた。


「誰を調べればいいの!?」

「……いちゃついてはねぇよ!」


 ラズリは声を大きくした。しかし、助けられたような気分だった。

 ブルーはつまらなそうなジト目になった。


「アズール? 誰を探してるんだっけ?」

「――! 面食いジョー・ホッブス!」


 ダダダッとキーを叩く音が響き、巨大な機械が唸りをあげた。ガラス筒の奥深くで鈍色の腕が忙しく動き回りはじめ、ブルーが大げさにため息をついた。


「……ジョー・ホッブス、生きてたらどうしよっか?」

「おまっ、考えてねぇのかよ……!?」


 ラズリは小声で叫んだ。


「まさか。考えるだけ考えたよ? でも分かんなかったから出たとこ勝負。昔のラズリもそうだったじゃん。いまだって好きだけど、あのころのラズリも私は大好きだよ」

「お、ま……!」 


 いまも好きだけど、じゃねぇだろ、とラズリは目頭を揉んだ。

 検索が始まればウィーザーズにできることはない。機械に愛されているシリンダーズ特有の技術と、それを見て学び実践できるマージナルスを眺めるだけだ。


 転がっていたマニュアルを拾い読み、やり方だけは知っておき、漫然と見守る。手持ち無沙汰すぎて煙草が吸いたくなったが持ってきてない。酒はもちろんない。同行するメンツからして『ディープ・シー』などもってのほか。


「……暇だわ」


 ラズリはひとり離れてラウンジテーブルに片肘をつく。


「ちょっと、ラズリ」


 アズールから色々と聞いていたブルーが迷惑そうに顔をあげた。言わんとする文句はすべて手にとるように分かる。それでも答えは変わらない。


「いや、俺は暇だろ。まだ出ねぇの?」

「データが多すぎるし、古いんだ」


 アズールが困ったように言った。


「並列処理していい?」

「消去だの廃棄だのじゃなけりゃ好きにしてくれ。つか俺はそれに参加できんの?」

「……いくつか同時に動かすだけだから、ラズリには無理」

「だろうな」


 ラズリは豪奢な革の背もたれに躰を預けた。


「ブルー、トランプないか?」

「そんなの持ってきてない」


 ブルーは苦笑した。


「サンドイッチはあるけど、食べる?」

「魅力的な提案をどうも。でも後だ。俺は寝てっから、終わったら起こしてくれ」


 ラズリは腰を上げ、ラウンジに転がるベンチをおこして横になった。ブルーの小さなため息が聞こえた。機械のやかましい作業音が音を高くする。


 なんにもできないんだからしょうがねぇだろ? とラズリは瞼を落とした。

 ドクのいう離脱症状だ。強い眠気と倦怠感。『ディープ・シー』の煙が恋しい。アルコールで思考も鈍らせたい。どれもできないなら物理的に意識を切るしかない。


 眉間に皺をつくるようにして、閉じた瞼に力を込めて、ぎゅっっっと瞑る。

 ちょっと残酷すぎやしないか? とラズリは思う。

 アズールはおそらく古代人だ。いや、古代は言いすぎかもしれないが、旧い時代の人間なのは間違いない。入っていたシリンダー、語彙、訓練で身につけた戦闘技術。最悪、千年とか前だ。そう予想して、ブルーは役場にアズールを連れきたのだろう。


 自分の目で、己が何者か知ってもらうために。

 俺はどうだったかな、とラズリは胸元のポケットを撫でた。『ディープ・シー』を入れるために自前で用意した柔らかい箱の感触。引きずりだす。口に咥える。


 三四三番では、生まれてすぐにシリンダーズかどうか判別する血液検査を受け、四歳になると呪具庫と呼ばれる部屋でウィーザーズの適性検査を受ける。


 呪具庫には無数の道具が乱雑に収められていて、ウィーザーズだけが稲妻の幻影を目にして呪具を見つける。適正がない子どもは真っ暗な部屋に怯えるばかりで検査を終える。


 暗闇に光るタップスを取ったとき、どう思ったんだっけか。

 すでに親はなかった。寂しくもなかった。一歳の妹がいたのもあるし、同じ親なしが何人もいて同じ家で暮らしていたのもある。


 ラズリはポケットからライターを出し、咥えたものに火を灯す。深く吸い込み――、


「っっっっどぅわ!?」


 吸っちゃダメだろ!? と煙草を吹き出す。否、吹き出す仕草をした。唇に『ディープ・シー』は挟まれていなかった。当たり前だ。持ってきていないのだから。

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