ラッキーナンバー

『でも、いまになって、たまに思うんだよね、私』


 ブルーの声は落ち着いていた。


『あいつ、目の前で事故が起きたから、慌てて様子を見に来たんじゃないかな、って』

「おい、ブルー――」

『あ、違うよ? ラズリの判断が間違ってたって言ってるんじゃないから。あのままだったら死んでたし、感謝してる。でも、それだけじゃなくって、ほら、見て』


 ブルーに促され、ラズリは遠くの観光客に目をやった。いつの間にか足を止め、まるで長旅で凝り固まった背筋を伸ばすように、大きく伸び上がっていた。


『いまだって怖いしさ、びっくりして撃ったこともあるし、それで追っ払った――っていうか逃げてくれたのかな? まぁどっちでもいいけど、とにかく向こうは向こうで急にこんな世界に放り出されてビックリしてるのかも、とか思ったりするんだよね』


 楽観的な観測だ。

 アズールもラズリと同じ感想をもったようで、冷えた声で答えた。


「怯えてる獣のほうが怖いものだよ、ってセリーヌが言ってる」

「……まさか俺とセリーヌの意見があうとはね」


 たっぷりと間があった。


『そうかもね。でもとりあえず、あの観光客は違ったみたいよ?』


 遠くにいた観光客が、すぐそばの建物を圧し壊しながら街中に消えていく。


 ――ちょっと嫌味っぽい言い方だったかもな。


 ラズリはため息をついた。トレインが動き出す。

 死にながらにして、稲妻が墜ちるたびに装いを異にする街並み。表層にある風景はいつだって不規則で、そのくせ奇妙な統一感がある。


 ご先祖様――魔術師たちは、可能性の墓場と呼んだ。

 同じ座標に、いつかはあったかもしれない風景。けれど存在しなかった光景。無軌道な稲妻に縫いつけられてアトランダムに噴出する。無作為に選ばれたとはいえ、同じ場所にあったかもしれない光景だけに、不思議とある種の規則性が生まれるのだろう。死んた街とは、そういう場所だ。


 多種多様な生活の残滓が見え隠れする道は、進んだ先で他方向からの道と合流するたびに太くなり、やがて大通りといっても差し支えない道幅となる。

 

 かつて道に車線があったと示すとぎれとぎれの白線。中央分離帯でしきられた片側五車線の道路。転がる車両や馬車の残骸から進行方向が限定されていたのだとわかる。


 数多の時代と場所で生活の要所だったであろう道の先に、役場はある。

 秋あるいは冬らしい乾燥した空気。雲と空の違いもわからない灰色。周囲の建物が溶け込んでしまうなかでも、役場だけは厳かな気配を放っている。


「なんだかすごいですね、ってフルールが」

「わかる。なんかすごいよな」


 一見すれば神殿のような、あるいは教会のような。砦か、美術館か、博物館か――中央にそびえる尖塔が中世の城を思わせたりもする。無数の可能性が混在するなかで、外見はともかく機能だけは変わらない。


「どんなところなの?」

「役場な。簡単に言うと、名簿があるところだな」

「めいぼ?」

「名前のリスト。略歴つき。ここら一帯に住んでた人たちの記録が詰まってるんだよ」


 今を生きている人々ではなく、はるか昔、稲妻が猛威を奮っていなかったころの人々の生活記録だ。確認されているかぎりで最も新しい記録は百二十年前のものになる。


「あんまりデータが多すぎるもんで街に持ち帰れない。見たけりゃ、ここに来るしかない。ただ、来てみたところで狙った記録を見つけられるかどうかは運しだい」

「……なんで? あの真ん中の塔って、誘雷塔ってやつでしょ?」


 アズールが指差す尖塔を見て、ラズリは首を縦に振った。


「よく気づいたな。そのとおり。あれで記録を守ってるらしいんだが――守られてるのは記録だけでな。記録の保存形式までは守られてないんだ、これが」

「……どういうこと?」

『――中に入ってみれば分かるよ』


 スピーカーから聞こえる声だけで、ブルーの苦笑する顔が目に見えるようだった。

 トレインは役場の敷地に入り、正面入口の前で停車した。降車したラズリとブルーは念のためにいつもと同じ装備を身につける。例によって逆ストリップを鑑賞しようとしたラズリはブルーにすけべと言われ、アズールにも追撃をかけられた。


「んじゃ、入ってみますかね」


 足元に緊急避難用の扉の魔法陣を描き、ラズリは呼応石のイヤーカフスをつけた。


「入れるといいんだけどねー」


 右耳に呼応石、左耳にインカムをつけ、ブルーは同型のインカムをアズールに手渡した。


「はいこれ。耳につけてね」

「……無線? 僕はそっちの宝石みたいなのはつけなくていいの?」

「うん。呼応石はシリンダーズにとってはただの石だからね。ま、今日は別れて探索ってこともないだろうけど、いちおうね」


 言って、ブルーは足取りも軽くアプローチ階段を昇り、二枚扉に右手をついた。

 ギッ、と扉の蝶番が軋んだ。


「おっ? いけそう。この感じからすると当たりかな?」

「当たり?」


 アズールは尋ねながらラズリの服の裾を引っ張った。


「扉を開けるのに認証がいらないパターンってことだよ。最悪なのは未来建築パターンでな。扉のロックが死んでてこじ開けないといけない。まぁウィーザーズの俺が触ればぶっ壊れるから開けられはするんだが――なかで困るんだよな」

「なかで?」

「そういうときは機械のなかにデータがある。ウィーザーズの俺には触れない。ならマージナルスにってなるだろ? でも認証がいる場合だとシリンダーズじゃないとまともに操作できない機械のことが多いんだ。場所が場所だし、連れてくるのも簡単じゃない」

「……僕は簡単についてきたけど?」


 ほんのり自慢を滲ませるアズールに、ラズリは苦笑した。


「だな。途中にいた観光客も無害だったし、稲妻も予報通り。運がよかった。しかも役場の様子もまずまず。大当たりだな」

「そりゃそうだよ、と!」


 ブルーは体重をかけて扉を引き開けた。


「ラズリ、到着時間ちゃんとみてた? 二十五分五二秒、ラッキナンバーだよ」

「……なんだって?」


 眉間に深々と皺をつくるラズリの横で、アズールが拳銃を撫でた。


「ルート七かける七たす七で二五.五二〇二……スリーセブンから生まれた数字ね! ってキャロラインが」

「お、さっすがキャロライン。分かってるね」


 と嬉しそうに振り向くブルー。


「平方根の七は七のあつかいでいいんですか? ってフルールが」

「……フルールはちょっとカタいところあるよね」


 温かな既視感をおぼえるやりとりに、ラズリは笑いながら中に入った。

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