三年前の昨日

「……あいつはどう? いけるの? いけないの?」

「試さないとわからない。見た目が同じでタフさが違うってのも報告にあるからな。刺激に対する反応も個体によってマチマチだ。まったく気にしないやつ、怒るやつ……」

『十三番が戦ったのは気にしない奴だったっていうよ』


 ブルーが静かに話し始めた。

 観光客は稲妻とともに現れる。多くは無害だ。そこにいる人には興味がなく、ただうろついて、稲妻とともに消える。


 しかし、十三番に現れた個体は違った。いや、同じかもしれない。うろついていたのは間違いない。ただ、街に向かってフラフラと歩いていただけだ。


 進行方向をそらそうと囮になった住民はあっさり踏み潰された。ふたり目は道端で見つけた野草のように食され、三人目は暇つぶしとばかりに吹っ飛ばされた。進行方向は変わらない。塔も軌条も観光客には無力だ。


「十三番は、街にある銃器と弾を片っ端から集めて、キルゾーンを決めたらしい」

「キルゾーン……待ち伏せしたんだ」

「あくまでデータ上の話だ。実際に見たわけじゃない」


 ラズリは、刺激しないように、そっとアズールに銃口をあげさせた。

 緊張に負けた誰かが五〇口径重機関銃の引き金を引いたという。別の誰かもつづき一〇発に一発の曳光弾が尾を引き殺到する。秒間一〇発に迫る高速連射が一分――

 抜けた弾は一発もなかった。

 観光客は集中砲火を浴びながら平然と歩みを進め、住民たちは重機関銃の焼き付いたバレルを交換し、半ば恐慌状態に入りながら攻撃を再開した。そして、


 一発の弾丸が抜けた。


 それとわかったのは観光客が叫んだからで、次の瞬間、銃座のひとつを巻き込むように半径五メートルの空間が陥没したからだ。


「観光客はブチ切れた。瞬きする間もなく銃座に飛んで、噛み殺していったらしい」

「らしいって――」


 アズールは訝しげな目を観光客に向ける。わかるよ、とラズリは小さく頷いた。

 観光客はまっすぐこちらに歩いてきている。ときおり首を振るように躰を蠕動させ、まさに観光しているかのように、死んだ街並みを観察している――ようにみえる。


 かつて、とある街の探索者が話しかけられたという。探索者の鼓膜は破れた。正気を失い、うわ言を繰り返す人形になったとされている。


『観光客がどうしたいのか、私たちにはわかんない』スピーカーが虚しく震えた。『戦ってみたいとか、倒したいとか、そういうのはラズリが決めるから、お願い』

「……らしいけど、どうするの? 僕は倒しちゃえばいいと思う。もう近いんでしょ?」

「役場か? ああ、近いよ。だからぶっ放したくねぇんだよ」

「どうして? 一発で倒せるかもしれないし、足らなくても僕なら絶対――」

「絶対なんてない。安全第一。よっぽど時間がかかるんなら迂回する。それが正解だよ」


 ラズリは付け加えた。


「――なんでこっちが気ぃ使わなくちゃいけないんだか。ムカつくよ」


 本音を言えば、見かけたら即座に殺してやりたい。

 あの日、あのとき、ブルーが指差す先にいなければ――。


「危ないやつなら一匹ずつでも減らしたほうがいいじゃない!」


 アズールが脳天から抜けるような声で言った。すぐにスピーカーが鳴り、


『ちょっと!? いまの誰!?』

「たぶん、キャロライン。だろ?」


 キンキン声で口が悪い拳銃、それがキャロラインだ。

 アズールはセリーヌの銃口を構えたままぼそりと言った。


「そう。キャロライン。僕も同意する。意思の疎通が取れない危ないやつは殺すべきだ」

『ち、が、い、ま、す! そういうときは話ができないか試すの!』


 顔は見えないが、ブルーは明らかに怒っていた。


『ダメならいったん離れる! で、落ち着いたら、また試す!』

「マージナルスらしいお人好しな回答だけどな。あんときだって――」


 つい口にしそうになり、ラズリはぐっと息をつまらせた。だが、遅かった。


「あのとき?」


 アズールはストックから頬を離して肩越しにラズリを見た。


「……あー……いいんだよ、別に」『三年前の話だよ』


 話を切ろうとするラズリにブルーがかぶせた。


『ラズリの妹の、オフェリアって子を三四二番に運んでたときの話』

「おい、ブルー!」

『隠すような話じゃないでしょ? アズールだって知っておいたほうがいい』


 ブルーにはっきりとそう言われ、ラズリは灰色の空に息を吹きかけた。

 アズールはスピーカーとラズリを見比べ、ためらいがちに尋ねた。


「なにがあったんですか? って、フルールが」

『フルールちゃんだけじゃなくてアズールもちゃんと聞いてね?』ブルーは言った。『オフェリアはシリンダーズで、躰の弱い子だったの』


 なかなか過去にできないでいる話だ。

 オフェリアが躰の調子が悪いと言ったのは、あの日の三日前だった。一日経ってもよくならなくて、まずはドクに診せた。当時のドクは医師としてはまだ未熟で、病気を特定できなかった。すぐに塔で診断し直し、緊急手術が必要だとわかった。


 ドクは手術に踏み切れなかった。

 自分で診断できなかった病気が相手。見立てででは成功率十パーセント。だが、三四二番のベテランなら、百パーセントは無理でも助けられる公算が高いという話だった。


 街に稲妻が迫っていた。

 当時の予報誤差は大きく、オフェリアを安全に移送できる保証はない。

 ラズリはボスボスに相談した。すぐに出発すれば間に合っていたはずだ。


『――ラズリは三四三番の誰よりも正確に空を読めるから、すぐに出れば間に合うと考えてたの。でも、ボスボスは安全策を取ったんだ』

「……稲妻が去ってから運ぼうとしたの?」

『うん。ドクの見立てでは、手術に踏み切るよりは可能性があるって話だった。でも、オフェリアの症状はどんどん悪くなっていって、ラズリは決断した』

「どんな決断?」


 アズールの素朴な疑問に、ラズリは遠くをフラフラ歩く観光客を見ながら答えた。


「ブルーと、ジルコって腐れ縁の奴に声かけて、トレインを盗んだ」


 ――お兄ちゃん。私、頑張るから、無茶なことしないでね?


 そう言ってオフェリアが意識を失ったのが、直接のきっかけだったと思う。

 大人はボスボスにしたがうのが目に見えていた。運転手見習いとして車両基地で手伝っていたブルーに声をかけ、当時ラズリにおびえていたジルコを脅した。


 時間がない。計画は簡単――というか大雑把なものだった。

 ラズリは予報表を、ブルーが車両、ジルコがシリンダーを盗む。時計を合わせ、実行した。扉の魔法を駆使した盗難計画はうまくいった。大人が飛び出してきたころ、ラズリとブルーは軌条の上だ。ジルコが囮になっている間に緊急避難用の扉をつくり、街を出た。


『でも、近道しようと軌条を離れたところで稲妻が墜ちてね。私たちのトレインはぐちゃぐちゃになっちゃった』

「……それで、腕と目を失くしたの?」

「ああ――」


 俺のせいで、とラズリがつづけようとした瞬間、ブルーが遮るように言った。


『失くしてないよ。ちゃんとついてるじゃん。見たでしょ?』


 アズールが観光客から視線を切り、スピーカーを見つめた。


『色とか形は変わったけど、ちゃんとついてる。大事なのは死ななかったってこと。私はトレインのコンソールに右腕を潰されちゃって動けなかったの。右目もガラスの破片が刺さって見えなくて。しかもそのとき、トレインの先に観光客がいたんだよね』


 白と、黒と、赤と、黄と、紫と、まだら模様で、脚は三本だった。


『ぼーっと突っ立ってたと思ったら、近寄ってきてさ。すぐにラズリが、私の挟まれちゃった右手を切り落として、背負って逃げてくれたんだけど――』


 アズールがぎょっとして振り向いた。ラズリは目を合わせず、鼻で息をつく。

 必死に首を巡らせ、救助用の手斧を見つけ、ブルーに言ったのを覚えている。

 俺のこと、恨んでくれていいから。

 手に感触が残っている。押し殺したような悲鳴が、いまも耳の奥でこだましている。躰を引きずり出し、傷口を縛り、背中におぶってトレインから這いずりでた。


 観光客が目の前に迫り、おどろおどろしい唸りをあげた。奇妙な形をした歯が、寒さに震えているかのように小刻みに上下し、ラズリは恐怖で足が竦んだ。


 昨日のことのようで、ラズリは我知らず身震いした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る