観光客
ブルッと寒気に身震いし、ラズリはスピーカーに言った。。
「綺麗な空だよ。雨も降りそうにない。これならシリンダーから出しても大丈夫だろ」
通常なら軌条を外れた状態でシリンダーを開けるなんてありえない。しかし、同乗しているシリンダーズは記憶喪失で、なにをきっかけに記憶を取り戻すか分からなかった。
ドクの所見とアドバイスに基づく、今回だけの、アズールだけの特別な処置だ。
『了解。じゃあ少し行ったところでいったん停めるね』
「おう」
応じてしばらく待っていると、シートの足元からにゅっと頭が突き出した、
「――うお!?」
「僕も外を見ていいんでしょ?」
「……いいけど、脅かすなよ」
すぐに観測者席正面のスピーカーがノイズを発した。
『ごめんラズリ! そっちにアズール行った!』
「知ってる。もう目が合ったよ」
心配性なブルーに苦笑しながら手を伸ばし、ラズリはアズールを引っ張り上げた。肩にかけていたバカでかいライフル――セリーヌがいかんともし難い邪魔くささを発揮している。手放させるのも難しそうだから仕方がないが。
「あー、悪いけど、狭いんでな。アズールは俺の膝に座ってくれ」
「……え」
アズールは鼻がぶつかりそうな距離で露骨に嫌そうな目をし、頬を赤らめた。
「恥ずかしいから嫌だ、ってフルールが」
「あー……いや、そこはどっちも我慢してくれ――っていうか、俺の膝に座らないと背が足らないんじゃないか?」
アズールは首を振り、下を向き、死ぬほど嫌そうな目をして縮こまるように膝に座った。
「……重ぉ……」
アズールが、ではない。担いでいるライフルが、である。
しかしアズールは、ぐりんっとラズリに水っぽくなった瞳を向けた。
誰だ、とラズリは思う。
誰が怒っているのか。アズールの感情は目と言葉に現れやすいが、少年が自分の体重を気にするだろうか。ない、とは言い切れないがしかし彼の性格ではありえない。
「えーっと……違うぞ? フルールじゃなくて、セリーヌが重いって話――」
「もちろん、分かってるさ」アズールがちょっといい声で言った。「これでも気にしてるんだ。デブで悪かったね。って、セリーヌが」
「…………」
銃が体重を気にするのかよ!? と、ラズリは内心で叫びつつ、慎重に言葉を選んだ。
「あー……あれだ。フルールよりスリムだろ? だから単位面積あたりの重量が――」
誰になんの言い訳をしてるんだろうか。
アズールは水っぽくなった瞳に元の輝きを取り戻し、いそいそとセリーヌのウッドストックをシートに突いた。代わりとばかりに、
「痛って!?」
ラズリの太ももをつねった。
「あ、いまの僕じゃなくてフルールだからね? 僕はなにも言ってないから」
『――ま、体型を比べられたらいい気しないよね、フルールだってさ』
スピーカーから聞こえてきたブルーの楽しげな声に、ラズリはとてつもない面倒くささを感じた。セリーヌに、キャロラインに、フルール、それにアズール。しかもスピーカーの向こうにブルー。女が四人に男がふたり、うちひとりは味方として期待できない。
ラズリはギリギリでため息をこらえ、アズールの腰に腕を回した。アズール――いや、フルールがびくっと震えた。
「……キモイ、って、キャロラインが」
「そっちか」
まことに難しい。
「――ベルトとかねぇんだよ。あぶねぇだろ? 勘弁してくれ。つか、すぐに銃に手をかけるのやめろ。昨日みたいなのはごめんだぞ」
「昨日……ああ、それ。フルールが、ごめんなさい、だって」
「ああ、まぁ、あれは入る前に声かけるべきだったから、気にすんな」
言いつつ、ラズリはすぐ脇に立つリーヌを見つめた。座っているとはいえラズリの頭のさらに上にくる銃口に無骨なマズルブレーキ。対照的にスリムなグリップ。そして使い込まれてはいるが見惚れるほど美しい木目の、グラマラスな銃床――
「お目が高い」
外を見ているアズールが、ラズリには顔も向けずに、ちょっといい声で言った。
「セクシーなチークピースだろ? ほら、狙うときに頬を付ける部分さ。モンテカルロ・ストックなんて呼ばれてる私の自慢なんだ。撫でてみるかい? ――って、セリーヌが」
「……ああ、セリーヌが……?」
背中に目でもついてるのかと思わせる反応。音か、身動きか、筋肉の動きを感じたか。
――まさか、本当に意識があって話してたりとか……ねぇよな?
絶対にないとは言い切れないのが辛い。
「ええと、もし失礼じゃなければで――セリーヌは、なんキロあるんだ?」
「うん。聞き方が丁寧になったから特別に教えあげようか、少年」
少年? と苦笑するラズリに、アズールの口から滔々といい声が流れた。
「身長は一メートルと少し。体重は――まぁ、五キロはないと言っておこうか? って」
「セリーヌが、だろ?」
身長に、体重。目の前にライフルがなければ人と話すのと変わらない。声はアズールの口を通して届けられるが、顔をどちらに向けておけばいいのか迷ってしまう。
「――にしても、アズールはよく撃てるよな、このサイズ」
ままごとをしたいんじゃない。ラズリはアズールの後ろ頭に囁きかけた。
アズールは肩越しにちらりと振り向き、すぐに混沌を代弁する街並みに視線を戻した。
「僕は狙ってるだけ。引き金を引いてるのはフルールだよ」
「おんなじ――じゃないな」ラズリはごく軽い調子で、悪ぃ、とつづけた。「けど最初に見たときはビビったよ。あの弾のデカさな。俺が撃ったら肩抜けんじゃねぇか?」
「いえ、マズルブレーキがついているので、そんなに大変じゃないですよ――」
「――って、フルールが?」
「……そう」
アズールは憮然として、いい声を出した。
「威力には自信があるよ。少年が生まれるずっと前は象撃ち銃なんて呼ばれたくらいで――ああ、そう、あそこのデカいのくらいは一撃で倒せるだろうね」
「あそこの? どこのだよ」
と、アズールを見ると、彼あるいは彼女がまっすぐ前を指差していた。馬車や車や壊れたなにかの残骸と、それらを取り巻くぐっちゃぐちゃな街並みの、なかに。
一滴の
それと黒。
白と黒の縞模様で灰色の街に溶け込む一匹の異形。ラズリはスピーカーに呟いた。
「ブルー、一一時方向、観光客だ。いったん停めろ」
『――了解。確認した。停めるね』
土と、石畳と、鋼の入り乱れる道の真ん中で、キヤタピラがゆるりと回転を止める。
「観光客って? なんかヤバいの?」
「ああ、めっちゃくちゃヤバい」
ラズリの脳裏に三年前の光景が過ぎった。
ひしゃげた車両、右腕を押しつぶされ、右目から血を流すブルー。早く逃げろと叫びながらトレインの前方を指差していた。その先にいたのが観光客だ。
稲妻に乗って異世界から現れる、別次元の生命体。
いま、トレインの遙か先で建物の陰から姿をみせたのは、白と黒の縞模様。普通の生き物と同じように進行方向を正面とするなら、頭らしき場所に昏い穴が七つ。その巨体は頭から尻まで目測で一〇メートル近く、傍の建物から高さは四階建てに迫るとわかる。
ラズリは乾いた喉を鳴らし、スピーカーに言った。
「まだこっちにゃ気づいてないか――興味はなさそうだ」
『そう祈ってる。下がったほうがいい?』
「……いや、もうちょっと様子をみたい。もしかしたら、どっか行くかも」
ラズリは観光客の丸太のような七本の脚を睨んだ。奇数本の多脚がかれらの特徴だ。同じ世界の住人ではないという証。気づかれず、気づかれても関心を持たれなければ、人畜無害である。しかし、ひとたび狙われたら――、
「あれ、強いの?」
アズールは呟くように言い、セリーヌを構えた。
「私だったら一撃でいける――と思うけど、どうかな? ってセリーヌが」
「ああ。もしかしたらいけるかもな」
「もしかしたら?」
アズールはセリーヌ自慢のモンテカルロ・ストックに頬付けして言った。
「あいつら、そんなに強いの?」
「わからない、ってのが正解だな」
記録上、観光客は銃弾で倒せるとされている。しかし同時に、倒すには多大な犠牲が必要だとも言われている。最古の街のひとつ、五番からもたらされた情報によれば、ブルーも使用しているリボルバーの一撃で死んだ個体がいるという。けれど、
十三番に現れた個体は、街の住民六四パーセントをすり潰した。
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