次の一日

三年目が終わり、四年目に向けた一日が始まる。


「ラズリ、起きてよ。起きてくれないと困る。ブルーに頼まれたんだ」


 ゆらりゆらりと揺すぶられ、ラズリは瞼を開けた。まるで寝た気がしない。寝たのは間違いないが、昼間にうつらうつらとしすぎたせいか、長めの瞬きをしたら朝だった。

 もうちょっと寝かせてくれ、と昔もさんざん口にした定型句を紡ごうとして、やめた。

 朝食の香りだ。誘雷塔で生産された『ベーコン』という名のベーコン、自然な卵、塔で生産された小麦粉とジルコのジャガイモを混ぜたパン。ハイブリッド・モーニング。


「ほら、ラズリ!? 今日は役場に行くんだから早く起きて!」


 朝から元気なブルーの声。おたまでフライパンを叩くような性格でなくてよかったとラズリは思う。と、同時に、


「はぁ!? 役場!?」


 ラズリは飛び起きた。驚き、アズールが仰け反った。エプロン姿のブルーはフライパンとフライ返しを持ったまま目をパチクリさせている。


「誰が? なんのために? なにしに行くんだ?」

「――呆れた。昨日の夜、私ちゃんと言ったよ? 役場に行くって。もう許可取ったし」

「……許可って……いつ誰に取ったんだよ」

「昨日、家に帰ってすぐ。メールでボスボスから許可とった」


 それがあったか、とラズリは頷く。自分が使えない技術には想像がおよばないものだ。

 メールとは、パソコンで文章を作成し、別のパソコンとやりとりをする技術だ。当然ウィーザーズには使用できない、街中限定の通信技術である。よく似たシステムに電話という音声伝達法もあるが、電化製品であるためこちらもウィーザーズは使えない。 


「許可でてんならいいけど……いや、よくない。あのへんの稲妻予報って――」

「それももう送ってもらった。ウィーザーズ・ネットワークの二点観測だけど、不満?」

「……いや、うん、わかった……」


 ラズリはため息ひとつ、腰を上げた。


「メールはわかるけど、ウィーザーズ・ネットワークってなに?」


 アズールがタオルケットをたたみながら言った。


「俺たちウィーザーズだけが使える秘密の――糸電話?」

「糸電話?」


 眉を歪めるアズールとともに、ラズリは食卓についた。


「塔と塔の間――ようは街と街は軌条でつながってるって話したろ? 軌条には整流した稲妻の力が流れてるから、それを使って他の街と話すんだよ」

「……無線を使えばいいんじゃ?」

「使えるならそうしてるさ。電波が誘雷塔と干渉するから難しいんだとさ」


 ラズリはじゃがいもパンを割ってかぶりつく。


「つまりウィーザーズ専用の糸電話って――言ってるのはラズリだけだけどね」


 そうつけ加え、ブルーは前に探索で得たインスタントコーヒーをラズリの前に、オレンジ風味のジュースをアズールの前に置いた。

 目の前に食べ物が揃って興味が移ったのか、アズールはカリカリに焼かれたベーコンと呼ばれている謎の肉をかじり、目玉焼きを一口、オレンジ風味のジュースを飲んだ。


「美味しい! 昨日のラズリのと違ってずっと美味しいよ!」


 ぱぁっと輝く少女の顔。唇の端に卵の黄身がついていた。

 ブルーは小さく吹き出すように苦笑し、ナプキン代わりのハンカチを渡した。


「ありがと。でも、比べたりしたらダメだよ?」

「だってぜんぜん違うし! ラズリはお肉を焼いただけだよ? あれなら僕にもできる」 


 アズールはジャガイモパンを噛みちぎった。


「ひょれに」


 ごくんと飲み下して言った。


「じゃがいもを潰したのは僕なんだよ?」

「そーな。手伝ってくれてありがとよ」


 ラズリはテキトーに相槌を打ち、コーヒーに顔をしかめた。眠気は覚めるが美味しいと言える飲み物ではない。


「ちょっとラズリ。まさかとは思うけど、私の家であのくっっっさいの吸う気?」

「へ?」


 ブルーに言われ、ラズリは無意識のうちにポケットを探しているのに気付いた。弁解の意を込めて探っていた手を挙げ、とりあえず目玉焼きをつついた。


「……あー……いや、吸う気はないんだが……習慣ってのはこえぇな」

「そっか。やめてくれる気になったんだ?」


 ブルーはなにやら嬉しそうに言い、頬杖をついた。意味ありげな視線と『やめてくれる』という言いまわしにどきっとさせられた。


「ごちそうさま!」


 朝食を平らげ、アズールは残りのオレンジ風味ジュースを飲み干した。


「あれだね。ブルーは、いいお嫁さんになれるってやつだね」


 なんの気なしに発せられたであろう言葉に、ブルーがパチパチと瞬く。まぁ、それについては俺も同意しとこうか、と内心で呟きながらラズリはコーヒーカップに口をつけた。

 それを横目でちらと見て、ブルーはにまーっと唇の片端をあげた。


「ありがとー。でも、どうかなー? 貰い手の候補がはっきりしないんだよね」

「――ン、グッ……!」


 ブルーにからかうような眼差しを送られ、ラズリはコーヒーを吹きそうになった。はっきりしないと言われても、それ以前の段階にある――はずだ。たぶん。

 アズールは「ふーん?」と不思議そうに相槌を打ち、


「貰い手の候補って誰? どんな人?」

「んー? 誰だと思う?」

「ボスボスじゃ年が離れすぎだし、ドク……も違いそうだし……あ! もしかして僕!?」

「――ブゴッ!」


 二発目の不意打ちには耐えきれなかった。


「もー、汚いなぁ。なにやってんだか」


 雑巾を取りに席を立つブルーは、久しぶりに、なんの屈託もない笑みを浮かべていた。

 普段に比べれば早すぎるくらいの朝食を終え、ラズリたちは車両基地に入った。乗り込むのは昨日と同じ真っ青なトレイン、車両番号五三九。名前の由来を聞いたとき、アズールは難しい顔をし、七かける七かける一一だから七七七じゃないとするフルールの主張をブルーに伝え、ちょっとした議論になった。


 ステイシス・シリンダーを積み終わるまで激しくつづいた議論に、ラズリは既視感をおぼえた。妹のオフェリアもブルーと真剣に話し合っていた。

 感傷はいつだって不意に襲いかかってくる。

 ラズリは潤んだ瞳を早起きのせいにして、ギロチンシートに座った。

 車両基地を出たトレインは、塔から南北に伸びる中央線を尻目に、東へ進む。街との境界を示す軌条を踏み、乗り越えた瞬間から、気温が一気に下がった。


「あー、くっそ……冬っぽいな」


 時速二十キロ程度の低速運行だが、風にのった冷気が容赦なく耳にかじりつく。


『――大丈夫? あんまり寒いようならカーゴに毛布があるけど』

「いや、まだ大丈夫だ。ありがとさん」


 スピーカー越しに礼を言い、ラズリは胸元から予報表を出す。午前六時に行われた三四三番と三四四番による二点観測。役場までの主要ルート三本は終日、危険度ほぼ〇パーセント。役場の座標では振れ幅があり、正午まで安全、午後から夜にかけて二〇パーセントまで緩やかに上昇するとある。


「朝早くから悪いな、俺らのせいで」


 誰に言うでもなく呟き、時代と文化の入り乱れる死んだ街並みに目を向ける。

 神経を集中し、空の、未来を読む。

 雲が流れ、灰色の空に太陽が浮かび、傾き、赤く染まる。

 進行方向に稲妻の気配なし。クリアだ。

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