寝付けぬ夜

「……とに? ラ……が!? …………ない」

「……だよ? ……ズリは…………だったんだよ?」


 バスルームから聞こえてくる、どう考えても自分の話らしい会話に耳をそばだて、ラズリはソファーにもたれた。煙草か『ディープ・シー』を吸いたい。ブルーの家では百パーセント無理だ。そもそもポケットにない。躰が執拗にアルコールを求めた。冷蔵庫を開けてみたいが触れない。電化製品が多すぎてうかつに動けない。横になりたい。ソファーを専有したら怒られそうだ。眠気。寝るな。瞼が重い。オフェリアの顔が脳裏を過ぎった。


 お兄ちゃん? お兄ちゃんってば、こんなところで寝たらダメだよ。


 記憶の不意打ちに、意識が半覚醒した。


「――ラズリ? ラズリってば! ほら、眠いのは分かったらさ――」


 オフェリアの顔が滲み、ブルーになった。


「さっさとシャワー浴びてきなよ」


 左手の親指を立て、ドヤ顔をしていた。子どものころにも見た顔だ。


「あー……分かった……」


 霞がかった脳が電池切れの躰を動かす。視界を真っ白に染める湯気。華やかな香り。浴槽に身を沈めると湯と躰が同化した。溶ける。息苦しさ。無音。躰の硬化。痙攣。窒息。


「――だぁがばっ!」


 ザバン! と水音を立て、ラズリは躰を起こした。寝落ちだ。


「……ヤッバいな、離脱症状とやら」


 ラズリは冷水で顔を洗い、用意されていたバスタオルを腰に巻いて居間に戻った。


「ちょ、もうちょっとちゃんと拭いてきて――っていうか、着替え置いといたよね? なんで素っ裸ででてくるかな?」

「悪ぃ、気づかなかったわー……つか、アズール……ふわぁ?」


 あくびがでた。冷水の無力っぷりに涙がでそうだった。

 ブルーは浴室から着替えを持ってきて、タオルをラズリの髪にかぶせた。


「とりあえず私の部屋で寝てもらうことにしたよ。さすがに男の子と同じベッドはね」

「男の子って、躰は女の子だろ?」


 ぐしぐしと濡れ髪を拭かれているのが可笑しく、ラズリは苦笑する。


「いやー……面倒かけたわー……んじゃ、俺は――」

「なにいってんの? もう遅いし――っていうか、男の子とふたりきりにさせる気?」

「それ言ったら俺もいたら男ふたりだぞ? もっと危なくないか?」

「ラズリは平気」


 ブルーはくすくす笑いながらラズリにシャツを着せ始めた。


「なんか手のかかる子どもっていうか、でっかくておばかなペットみたいだし」

「子どもとペットを同列に扱うなよ」


 言いつつラズリはシャツの袖口を見た。サイズぴったり。なぜ。聞いていいものか。いや聞くな。最悪のパターンがあるかもしれない。最悪なのか? 口が動いた。


「……あー……ブルー……?」


「んー?」と、ブルーはラズリに下を渡し、「ばか」と眉間に細かな皺をつくった。


「前にラズリが置いてったやつ! ほら、中世風のおもしろい服があったとかいって――っていうか、変な想像するな!」


 ブルー・トレインでの探索は数え切れない。持ち帰ったものの一部は探索者がもらっていいことになっている。危険を負って探索に出た者の特権だ。

 そんなこともあったかも、とラズリは起きながらにして寝ぼけかけの頭で思った。


「まったくもう。明日は役場に行くから、頭すっきりさせてよね?」

「んー……」


 ラズリは下を履きタオルケットを羽織った。


「……ブルーはどこで寝るんだ?」

「どこでって、そこのソファーだけど?」


 ブルーが両手を腰におき、顔を近づけてきた。


「……ひとりが嫌なら一緒に寝てあげてもいいけど?」


 試すように淡く光る右の瞳。水気を切ってもまだしっとりとした髪、ほんのりと色づく日焼けした肌――花びらのような唇が、微かに動いた。


「……する?」

「…………しない。多分、途中で寝ちまう」


 答えた瞬間、気配が変わった。銀色の義手がラズリの胸元に伸び、そして、

 トーン、と思いのほか強い力で押し放した。


「……また? 最悪。本当に最悪。私、もう寝るから」

「お、おい? ブルー?」


 ラズリは慌てて呼びかけるもブルーはいっさい足を止めずソファーに飛び込んだ。


「お、や、す、み!」


 顔を向けずに投げられた夜のお祈り。


「……おやすみ」


 ラズリはタオルケットを躰に巻いた。『また』っていつだと横になる。


 ――ああ、はじめての、ときの。


 凄まじい眠気を感じていながら、しかし、寝つくのに時間がかかった。

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