久方ぶりの相方との会い方

 事件は食事を終えてしばし睡魔と戦い、風呂入って寝ようという話になったときだった。嫌がるアズールを説得し折衷案として銃を脱衣場に置かせた後だ。


「ああもう! なんでさ! しょうがないだろ!?」


 響いてきた声に、ラズリは重くなる一方の腰をあげた。


「おーい? どうした? 今度はなんだ?」


 と、ドアに手をかけると、すぐになかから、


「待って! 開けるなってフルール――が……」


 半裸のアズール……もとい、彼を内包する半裸のフルールがいた。真顔なのに、少し涙目になっていた。ごくごく薄っすらと曲線を描く子供用の下着に覆われた双丘。アズールの手が洗面台におかれたキャロラインに伸びる。早い。


「待て待て待て待て!」


 ラズリの必死の制止も虚しく、パパパパン! とキャロラインが火を吹いた。銃声は数え切れないくらい聞いたし、映画の音と実音が違うのは知っている。しかし、人生で最も恐ろしくも軽くてささやかな音だった。壁の向こうで隣人が悲鳴をあげた。壁に豆粒ほどの穴が開いている。室内とは色の違う光。貫通だ。マジか。


「待ってって! フルール!」


 アズールが(おそらく)自分の躰たるフルールに叫びながら飛び出してきた。

 ……この状況、飛び出してきたのはフルールってことになるのか?

 ラズリが混乱した頭で鈍った思考をしているうちに銀色に輝く銃口が動いた。


「ダメだってフルール!」


 ブン! と右手を振り上げ、天井に三発撃った。空薬莢が床に転がり、おそらくフルールがしゃがみ込み、彼女の躰にいすわるアズールが呆然とラズリを見つめていた。


「……な、なにがどういうことか、教えてもらおうか?」


 緊張で胃がきゅうっとした。


「ご、ごめん……フルールが、僕に裸を見られたくないって……」

「フルールが。裸を」


 マヌケすぎるオウム返しをしながらラズリは考えた。アズールは少年だ。フルールは見ての通り少女な躰だ。少女な躰に少年がいて、別の人格を有し、風呂に入るならば、


「……お前ら、兄妹とかじゃないの……?」

「違うよ」アズールは顔を真赤にしてすんすんと鼻をすすった。「ていうか泣くほど?」


 泣いているのはフルールで、困惑しているのはフルールのなかのアズールか。

 部屋のドアが叩かれ「ラズリ! なにがあったかしらんが早まるな! 入るからな!?」と、普段はおくびにも出さないが世話焼きなところがある隣人が怒鳴った。


「自殺じゃねぇよー……」


 言い訳がクソ面倒だった。


「『ディープ・シー』と酒のやりすぎでブルーに愛想を尽かされて狂ったと思った」と隣人に言われ、「誰だその子は」となり、「二股はいかんぞ二股は、というかその子まだ子どもじゃないか」に至って、ラズリは渋るアズールを連れて逃げるように家を出た。


 月明かりと記憶を頼りに歩き、ラズリの住んでいる集合住宅とは比べるまでもなく洒落た雰囲気を放つ家の扉を叩く。ブザーもあるが、押せない。


「はいはいはーい、誰ー? こんな時間にさー」


 と、迷惑そうだがすでに相手をする気になっているブルーの声がした。

 ガチャン、と出てきたちょっと可愛い部屋着な相棒に、ラズリは疲れた顔を向ける。


「悪い、ちょっと上がっていいか?」


 言ってから、話の前段をすっ飛ばしたと気づいた。ブルーの顔がサッと赤らみ、


「な、ななな、なに? なに? ちょと、ちょっとまって、えと、私いま手袋してなくて」

「――手袋? 大丈夫。気にしない。っていうか、上げてほしいのはこいつ」


 言って、セリーヌ、キャロライン、フルールとアズールのセットを前に出す。


「は?」


 ブルーの眉が歪み、右目が蒼く光った。


「どういうつもり?」


 昼間があって、いま。ガチギレに違いない。話せば長いんだよ、とラズリがむにゃむにゃしていると、アズールが首を傾げた。


「手袋って?」

「え? あ――っと、それは」

「義手の手袋だよ」


 ブルーが言いよどんだのをいいことに、ラズリはそれをとっかかりにした。


「えっ?」


 アズールはラズリとブルーの間で忙しく首を振った。


「義手だったの!?」

「……まさか置いてくつもりじゃないよね?」

「……俺は風呂に入ってもらおうとしただけなんだよ……説明するから、上げてくれ……」


 ラズリは両手で顔を覆い、ブルーのジト目から隠れた。

 入る前に服の埃をはたくこと。靴を脱ぐこと。共同生活で培われた生活の知恵だ。けれど、久しぶりに足を踏み入れた相棒の――幼馴染の部屋は、仄かに甘い香りがした。

 なんか物が増えたなー、とリビングに正座させられているのも忘れてラズリは思う。

 本棚が増え、家具も新調され、室内には耳をすませば聞こえるくらいの音量で、いつの時代に誰が歌ったのかもわからない音楽が流れていた。


「……あんまりキョロキョロしないでほしいんだけど」


 ソファーに座して事情を聞いていたブルーは、女王のごとく足を組んでラズリを見下ろしてこそいるが、しかし、態度を決めかねているようでもあった。


「……かっこいい……」


 傍らに控えるアズールが、ブルーの鋼鉄の右手をつついた。


「昼間は手袋で隠してたよね? なんで? かっこいいのに」

「……さー? なんでだろうねー?」


 ブルーは右目を蒼く発光させてラズリを睨んだ。

 言えってことか、言っていいってことか、それとも黙ってろってことなのか。

 稲妻の力を利用した機械の腕と、それに連動する右目を見ても、正解はわからない。

 ラズリは時間にして五秒ほど迷った末、舌先で唇を湿らせた。


「俺のためにだよ」

「ラズリの? なんで? ラズリはブルーのこの手、嫌いなの?」

「嫌いなもんかよ。じゃなくて、気を使ってくれてるんだ」

「……そう」


 ブルーは微笑を浮かべた。


「私の腕を見ると借金を思い出すんだよね?」


 ラズリは口を噤んだ。違うと言えるのか分からなかった。

 三年前ラズリがオフェリアを諦めたとき、ブルーは右手の二の腕から先と右目の光を失った。不幸中の幸いか、三四三番の遺産に適合する義手と義眼があった。ラズリは当然の責任として移植にかかるすべてのコストを負った。


「――ま、そんなことはいいんだけどさ」


 困ったように息をつき、ブルーは右手をいじくるアズールに目をやった。


「目隠ししてお風呂は危ないもんねぇ……でも」


 ブルーの右目が仄かに放つ蒼い光がラズリを射った。


「目隠しするにしてもさ。ラズリは私に男の子と一緒にお風呂に入れっていうんだ?」

「うぇっ!?」


 ラズリは頓狂な声をあげた。


「えっ、いや、んんっ!?」


 アズールには目隠しをして、必然的に視界が塞がれるフルールを、同性のブルーに風呂にいれてもらう。いい案だと思ったが、言われてみればそうである――のか?

 アズールは少年だ。言動とフルール(躰)の反応からして間違いない。撃たれたし。その彼に目隠しをして風呂に入れるということは、子どもとはいえそこまでトシの離れていない異性を風呂に入れろ要請しているわけで、そう考えた場合は不埒――か?

 徐々に直角に近づいていくラズリの首を見、ブルーが苦笑した。


「まぁ、しょうがないかな。目隠しして、一緒にお風呂だね、フルールちゃん」

「え? あ、うん。お願い」


 こともなげに言うブルーと、素っ気なく返事をするアズール。瞬間、


「ちょ、ちょいまち!」


 ラズリは自分自身でもわけのわからないまま止めていた。なんかムカつく。違う。なんとなくひどいことを言っているような、でもなく。なんだ、これは。

 と、混乱のなかに落ち込んでいくラズリに、ブルーは頬を緩めた。


「まぁただ? 万が一ってこともあるし? ラズリはここで待っててくれるんだよね?」

「へっ? でも僕――」

「もちろんだ」


 ラズリはアズールが答えるより早く言った。


「なんかあったらすぐ呼んでくれ」

「……ふーん?」


 ブルーは猫のように笑いながら立ち上がった。


「呼んでないのに来たりしないだろうなー? ラズリはすけべだからなー?」

「……ブルー、なんか変だよ?」


 アズールは発言を無視され、アイマスクとスカーフによって厳重に目隠しされた。

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