ネゲントロピー

 眠気からくるラズリの深遠な思考を阻害し、アズールがリモコンを押した。ブン、とモニターが一瞬の光を発し、真っ暗な画面を映し出す。


「……えっと……なにもやってないの?」

「残念ながら放送局ってもんがねぇからな。自分でつくりたがってるのもいるけど……まあ難しい。拾ってきたので良けりゃ映画やらミュージックビデオやらがいくつかあるよ」

「……見るんだ? 意外」

「俺はほとんど見ない。わざわざ俺の家まで持ってきて見たがる奴がいるんだよ」

「ブルー?」

「は、めったに無い。他のやつがほとんどだ」


 ジルコと、ごく稀にドクと、あと数人。置いていくのはジルコだけだ。

 アズールはソファーから身を乗りだし、棚に並ぶ映画やらなんやらの背表紙を眺めた。


「なにか見てもいい?」

「好きにしてくれ。あとは飯食って風呂入って寝るだけだからな」

「……全部見たことないや。おすすめある?」

「……一番左に置いてあるのが俺のおすすめだ。俺にはすごいグっときたよ」

「どんなの?」

「街に得体のしれないバケモノが現れて、スーパーマーケットに追い詰められる」

「……それから?」


 アズールの胡乱げな眼差しに、ラズリはソファーの肘置きに躰を寄せながら答えた。


「色々トラブルがあって、神に祈るやつがでたり、英雄になりたがるやつがでたりして、またトラブルがあって、最後は一致団結、バケモノを一匹倒したところで、全滅する」


 アズールの瞳から期待の色が褪せていく。


「……なにそれ? ホラー? アクション?」

「どっちでもあり、どっちでもない。少なくとも俺にはおもしろかったよ」


 持ってきたジルコはあんな救いのないオチだとは思わなかったと言い訳してたが、別に怒りは湧かなかった。少し息が楽になった気がしたのだ。言わなかったが。

 アズールはしばらくパッケージを眺め、躰を伸ばして棚に戻した。


「……つまんなそう。なんか別のがいい」

「パッケージの裏にあらすじが書いてあるから、それ見て選んだらどうだ?」


 ラズリはアズールにもらった煙草を出した。まったく見たことないデザイン。ニコチンとタールの量がすごい。もらったんだし吸ってもいいかと思いかけた瞬間、真剣に映画を選ぶ小さな背中が気になりローテーブルに置いた。


 子どもがいるってのは大変だとラズリは思った。オフェリアが生きていたら煙草も酒もやっていなかったのだろう。手を伸ばせば届く距離にある酒瓶。アズールがなにがしかの円盤を再生機器にセットした。目があった。視線が酒瓶に滑った。


「ダメだよ。ブルーに飲ませるなって言われてるし」


 淡々と言いつつ、アズールは右腰のキャロラインに手をかけた。


「……止めかたが怖ぇよ。いちいち銃で脅しかけないでくれ」


 ラズリは酒瓶をアズールに手渡し、ソファーにそっくり返った。

 ええ、ええ、飲みませんとも、飲みませんとも。と、静かに瞼を落とす。映像の再生をはじめたモニターから、派手な銃撃音が響いた。


「……音は抑えめにな。あと、終わったら起こせ。メシ作ってやるから」

「え? 見ないの?」

「眠気がひどいんだよ。ドクも言ってたろ? 眠気が出たら周りがケアしろって」

「……わかった」


 なんで寂しそうな声だよ、と思ったら、すぐに「って、フルールが」とつづいた。

 ラズリは聞かなかったことにして呼吸を深くしていく。

 映画が佳境に入ったところで意識が戻り、けっきょくラスト間際は一緒に見た。外が暗くなってきていたので両手を叩いて電灯をつけ、ラズリは夕食の準備にとりかかる。

 用意するのは誘雷塔で生成された合成肉(牛肉フレーバー)と、ジルコの畑で収穫されたジャガイモ、それにサプリメント。いささか色の少ない食事になりそうだが、素手で触らないようにするのが面倒すぎて冷蔵庫がない。つまり生野菜の備蓄に乏しい。


「……ねぇ、ラズリ?」


 鍋に湯を沸かしジャガイモを投入したところで、アズールが本棚を眺めながら言った。

 ラズリはマッチを擦ってコンロに点火、フライパンを温め始める。


「あー? なんだ?」

「マンガとか、小説とかないの? 雑誌でもいいんだけど」

「マンガも小説も歯抜けになるのが嫌だからつづきものは読まない。一番下の段は美術書と写真集、百科事典、外で拾った雑誌。次の段は技術書と職能マニュアルとテキトーに拾ってきた雑学本。四段目は街の外で拾った読み方も分からない謎の本たち」

「四段目は読みかたわからないんだ?」

「ああ。アズールは読めるのか? 俺にゃ何語なのかもさっぱりだよ」


 ラズリはニンニクをフライパンに投入、焼き色をつけつつ合成肉を並べた。アミノ酸の鎖が解けて新たな集合をつくる音がし、食欲を刺激する香りを含んだ煙があがった。


「三段目は、お望みの小説になってるよ」


 ラズリは換気扇のナイロン紐をひっぱり世界のエントロピーを増大させる。換気扇のスイッチに紐をつかうという発想は、人類の発明のなかで最も優れたもののひとつだ。沸騰し、激しく気化しはじめた水にジャガイモを入れ熱交換させつつ、ステーキ化しつつある肉をひっくり返す。ネゲントロピーを自らの手で実施するのは久しぶりだと気づく。


「なんかどれも分厚くてつまんなそう」


 アズールがライフルを背負ってキッチンに入ってきた。銃は置いてこいよと思う。けれど名前のついた友だちと一緒なのだと考えると――それでも置いてこいよとは思った。


「せっかくキッチン来たんだ、ネゲントロピーを手伝ってくれよ」

「ねげんとろぴぃ?」

「料理と食事。生命活動の維持。エントロピー増大則へのささやかなる反逆だ」

「なにそれ?」

「冗談だよ」


 まだ本当に小さかったころ、妹と言い合っていたたぐいの。


「僕、肉はあんまり好きじゃないんだけど」

「……いまさら言うなよ。体質的に食えないんなら考えるけど、苦手なだけなら今日のところは我慢してくれ」

「フルールはお肉好きだって」

「あー……」


 ラズリは返答に困った。


「じゃがいも茹であがったら潰すの手伝ってくれ」

「わかった」


 なんか懐かしいな、この感じ、とラズリは口元を緩めた。

 共同生活をしているときの食事当番は、ブルーが六でラズリが三、オフェリアが一だった。いまより少しお淑やかだったブルーのレパートリーは豊富で、ラズリが担当するとだいたい肉で、オフェリアはとにかく芋だった。潰すのばかり熟達していった。

 一瞬、涙腺がヒリつくのを感じ、ラズリは慌ててコンロの火を消す。


「そこの皿とってくれ。潰すの面倒だし、そのまま食っちまおう」

「え? 食べにくそうだよ。潰そうよ」

「……じゃ、潰してくれ」


 理不尽を承知で思った。融通の利かないやつだ。

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