触れちゃいけないもの
ドクは苦笑しながら続けた。
「ごめんごめん。でも本当に健康の心配はないよ。あるとしたらアズールの健忘――記憶喪失だけど、しばらく様子を見るしかないね」
「他には?」
「なにがきっかけで戻るかわからないから常にどっちかがそばにいたほうがいい。記憶が戻ると、逆にそれまでのことを忘れたりもするから、注意するように。いいかい?」
ドクの子どもに接するような口調に、ラズリはへーへーと気のない返答をした。
ブルーが微かに右目を光らせ挙手した。
「ドク、ついでに聞いてもいい?」
「ああいいとも。なんだい?」
「ラズリの依存症はどうやったら直る?」
ラズリは思わず顔をあげた。待合室でした話は冗談じゃなかったらしい。
ドクは一瞬きょとんとし、神妙な顔で頷いた。
「真剣に克服しようと思うなら、周りのみんなで協力することだね。聞いている感じからすると幸いまだ深刻なレベルにはないようだし、対処するなら早ければ早いほどいい」
「具体的には?」
「そうだな……とにかく吸わせない、飲ませない。これに限る。離脱症状で眠気を感じたり、震えたりとか……あと鬱っぽくなるから、これもそばにいるのが大事になるね」
ふたりの有無を言わさぬやりとりに、ラズリは辟易とした。
「おい! 冗談にしちゃちょっと――」
「冗談なもんか」
ドクは真剣な目をして言った。
「ラズリ。お前は体質的にアルコールやら例の煙草やらに強い。放っとくと際限なく摂取量がふえて、いずれは命に関わるぞ」
ぐうの音も出なかった。部屋にひとりなら死にたいだの早く終われこの人生だの好き勝手に言っていられるが、人目があれば許されない。一分一秒でも長く贖罪しなければ。
「それじゃ」
ブルーがアズールに笑顔を向けた。
「今日はアズールが監視役ね?」
「えっ? 僕?」
アズールは信じられないとばかりに自分の顔を指差した。
「なんで? というか、今日はって――」
「だってほら、アズールは今晩、ラズリの家に泊まるから」
「はあ!?」
決定事項かのような宣告に、ラズリは抗議すべく理由を探す。秒で気づく。ない。強いていうならアズール自身はともかく彼の躰たるフルールは少女なことか。
しかし、ライフルのセリーヌに拳銃のキャロラインにフルール本人――本体の能力は、離脱症状を抱えるラズリごときどうとでもなるだろう。
「それに私、持ち帰った探索物を処理しちゃわないといけないし。トレインの整備もしないといけないとだし。なんだかんだ言ってもアズールは男の子だし。ね?」
ブルーの言い分も、もっともすぎて反論の余地がない。詰みだ。
「……アイ、アイ……」
ラズリは首を垂れた。横目で覗くと、アズールも不満そうに唇を尖らせていた。
そして。
「うわ、きたな……くはないのかな?」
もう最初からそう言おうと心に決めていたかのように口を開いたアズールだったが、家の中に首を突っ込んで思い直したらしい。
すぐにアズールが家にあがろうとしたので、ラズリははっしと襟首を掴んだ。
「待て。俺の家では靴を脱げ。脱いであがれ」
「……え……なんで?」
「掃除するのが面倒だからだよ。あとあがる前に服と鞄についた埃をはたけ」
「……意外に神経質なんだね、ラズリって」
「意外でもなんでもなく神経質だよ。だらけることに関しちゃ妥協は許さん」
掃除をしたくないから掃除をしないですむように生活する。整理するのが面倒だから最初から整理しておく。脱いだ服を投げておいていい場所は決まっているし、空き瓶やら食べ残しやらを放っておいていい場所と期間も厳密に定められているのだ。
「――で、お前の生活動線だが……」
「せいかつどうせん?」
「この家で生活するにあたって頻繁に通るであろう道筋。動線がかぶって揉めたらダラける時間が減るだろが」
「えっ……それ本気? そこまで決まってるの?」
アズールの上ずった声に満足し、ラズリはニヤリと口元を歪めて手を左右に振った。
「冗談だよ。物を出したら出したところにしまう。できるだけ汚さないようにする。汚したらすぐに綺麗にしておく。それだけ守ればあとは好きにやってくれ」
妹と暮らしていたころのルールだ。当時は親なしの子どもを集めた共同住宅だったのでハウスルールと言ってもいい。
家にあがりこんだアズールは、さっそく目につく扉を片っ端から開けては閉め、ついで本棚をざっと眺め、顔を輝かせた。
「あ、これがラズリの妹の?」
その声にラズリは視線を走らせ、叫ぶように言った。
「それに触るな!」
一瞬びくんと躰を震わせ、アズールは伸ばしかけていた手を引っ込めた。
ラズリは自分の口から飛び出た声の大きさに自ら驚き、両手を小さく上げた。
「悪い。脅かすつもりはなかった。それは妹の遺品だから、触らないでくれ」
「……このアルバムが?」
本棚の一角、ウィザーズのために作られた街の仕事マニュアルやら、拾ってきた読めない本やらが並ぶ段の、一番端。古ぼけた本の列から十センチほどの空間をおき、見方によっては小さな祭壇のように、水色の小さなアルバムが数冊おかれている。
アズールはアルバムとラズリの間で視線を往復させ、少し気まずそうに言った。
「……よく話に名前が出るから、気にしてないのかと思ったんだ」
「そのとおりだよ。気にしてない――」
言いかけて、自嘲気味に笑った。
「……いや、気にしてるか。俺の妹は三年前から行方不明でな。場所が場所だけに捜索してないし、状況が悪すぎたから、たぶん、もう死んでるんだ」
ラズリは無理やり口調を柔らかくあらためた。
「なんせ三年だ。物は古いものからなくなってくだろ? 貴重品なんだよ、それは」
物は言いようだ。実際には、共同住宅を出る際に遺品の大半を寄付してしまった。手元に残しておいたのはアルバムくらいで、それも、あれ以来一度も開いていない。
「……じゃあ、他のならいい?」
「ああ。他のならなんでも好きにしてくれていいよ」
慎重に尋ねられる感覚がなぜか嬉しかった。
アズールは忙しく首を巡らし、不思議そうに言った。
「ねぇ、テレビは? テレビはないの?」
「あぁ? ソファーの前にあんだろ」
「えっ……これ? でっか……これ、ものすごい古いやつだよね……?」
ソファーの正面に、でん、と置かれたブラウン管風のテレビ。シリンダーのあった部屋にも同じ見た目のモニターがあったはずだが、形式が違うからわからないのだろうか。
薄っすらと頭にはりつく眠気を感じ、ラズリはソファーに腰を下ろした。
「見た目だけな。中身は板っきれみたいなモニターだよ。ガワだけデカくしてあるんだ」
「……え、なんで? スペースが無駄すぎない?」
「そこがいい。贅沢品だし、なにより人気がないから貰い手が少ない。競争いらずだ」
「へぇ……って、なにこれ、リモコン、テーブルに固定されてるし」
「俺はウィーザーズなんでね。絶縁グローブがないと電化製品に触れないんだよ」
リモコンはソファーの前に据えられたローテーブルの端に、ネジで固定されている。持ち運べないから持ち運ばないし、持ち運ばないからなくさない。
「で、これって――」
アズールは動かざるリモコン横に揃えて置かれている二本の細長い棒をとった。
「チョップスティックス! ようは箸だな。直接手を触れなきゃ大丈夫ってわけだ」
「……不便じゃない?」
「……ああ、正直、不便だな」
妹がいたから、共同住宅で育ったから、不便だとわかる。操作方法を知っていても触れない。指図するような形になるのが嫌で電化製品から距離を置く。間をつないでくれたのはオフェリアやブルーだ。ひとりで生きていれば不便だなんて思わなかっただろう。
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