おままごと
トン、トン、とペンでノートを叩きながらドクは言った。
「数時間が数百時間に感じられるとして、あの子はどれくらいシリンダーで寝てた?」
「……んなの、俺が知るかよ」
「だろうね。だから、僕が聴いてやらないといけない」
ドクはペンをノートのノドに寝かせて微笑んだ。
「あの子を呼んでくれ。話してみるよ」
「銃も一緒に呼ぶか?」
ラズリは意趣返しのつもりで言ったが、しかし、ドクはそうだなと頷く。
「子どもはぬいぐるみに名前をつけて友だちにしたりする。知ってるかい? ブルーは青いクマのぬいぐるみを持っててね。ラズリって名前をつけて可愛がってたよ」
「……マジかよ」
そういえば、ブルーは昔クマのぬいぐるみを抱っこしていた。
黙っといたほうがいいだろうかと思いつつ、ラズリは踵を返す。その背に、
「ラズリ。許してくれとは言わない。でも、僕を信じてくれ。今度こそしっかりやる」
「……許すもなにも」
ラズリは肩越しに言った。
「最初っから怒ってねぇよ」
手術すればオフェリアは死ななかったかもしれない。しかし、三年前のドクには勇気も技術もなかった。手術をしたら失敗して死んだ可能性もある。試さなかった可能性の話はするだけ無駄だ。なにを試さなかったのか覚えておけば、それでいい。
「だいたい、生き死に語るほどおおげさな話じゃねぇよ」
ラズリは後ろ手にドアを閉め、待合室でミルクコーヒーに顔をしかめるアズールに診察室へ行くよう言った。相手をしていたブルーの隣に腰を下ろし、天井に息を吹きかける。
「……ドクのこと、もう許してあげなよ」ブルーが言った。
「……ブルー、お前もか」
言って、ラズリは小さく吹き出した。
「謝るとしたらこっちだよ。悪いとは思っても恨んだことは一度もねぇ」
「それをやめてあげたら、って言ってんの」
ブルーは唇を尖らせ、明後日の方向に視線を投げた。
「ついでにラズリも診察すれば? 煙草と、お酒と、あのくっっっさいのの中毒について」
「そうだな。考えとく」
ラズリがそう答えると、ブルーが弾かれたように顔をあげた。信じられないものを見るような目をしていた。なんとなくムッときて、ラズリは言った。
「ところで、クマのラズリは元気にやってんのか? 青い顔してるって聞いたぞ?」
「なっ!?」
ブルーは頬をさっと紅潮させて立ち上がり、右手を震わせながら診察室に青い眼光を投げた。
「ドク、あいっつ……守、秘、義、務ぅぅぅぅぅ……!」
クマのぬいぐるみに守秘義務もないだろと、ラズリは気分良く口笛を吹いた。ブルーはそのまま診察室に突撃をしかけるだろうと思っていた。
だが、ブルーはボスン! と腰を下ろし、ラズリに肩を寄せた。
「もっっっちろん、クマのラズリは元気にしてるよ?」
「……あ?」
「彼は同じ名前のバカと違って紳士だからね。お酒は飲まないし、煙草は吸わないし、特にくっっっさいのの中毒じゃないし。物静かでカッコよくて聞き上手なクマだから」
「あっっっそ」
ラズリは苛立ちを隠さず音にした。
「なら今度ご挨拶しねぇとな。こんな口うるさいやつと一緒に住んでて辛くねぇのか、って、差し入れ持ってよ」
「謹んでお断りいたします。教育に悪い」
ふたりはどちらともなく顔をそむけあった。直後、診察室からほがらかな笑い声が聞こえ、両者は顔を見合わせた。あいかわらずドクは子どもウケがいい。
気抜けし、ラズリはブルーの手からマグカップを受け取った。ドーモと軽く返して生ぬるいコーヒーに顔をしかめ、ひとまず瞼を下ろす――
「――ほら、ラズリ、起きて。ドクが呼んでるよ?」
なにやらいつもより甘ったるいブルーの声に、ラズリは「……んあー?」と目を瞬いた。
「なんか早く――ね?」
視界が傾いでいた。というか、廊下が真横を向いていた。いかに稲妻がもたらす混沌の力が強大であっても垂直方向と水平方向を入れ替えるような無茶はしない。重力があるからだ。もちろん、建物が横倒しになったのでもないだろう。
ラズリは目線を下――すなわち左方向へと滑らせる。日焼けした健康的な肌。膝小僧。ついでに髪の毛をさわさわ撫でる手の感触。枕が膝、否、膝枕である。
「えーっと……なんか、なんだ」
ラズリはできるだけ肌に触れないように躰を起こした。すばやく視線を走らせよだれやなんかを垂らしていないかチェック。完了。
「……悪ぃ」
「目ぇ閉じたら一瞬だったね。あんま無茶しないほうがいいよ?」
ブルーが発した小さじ一杯ほどの上から目線に、ラズリのうちで反発衝動が生まれた。
「煙草も酒も入れてねーかんな。そのせいだろうよ」
「そう? じゃあもうちょっと頑張ってつづけてね」
ブルーは効いた素振りも見せずに立ち上がり、手を差し出した。
「ほら、ついでだから、そっちの相談もしよ」
蒼く光るブルーの右目。あ、これマジなやつだ、とラズリは思った。
診察室兼用の書斎に入ると、ドクはさっきよりも穏やかな笑みを浮かべていて、ソファーに座るアズールはほんの少しだけ不服そうに腕を組んでいた。
「いやあ、実に面白かった。みんな個性的で素敵だけど、あえて一番気に入ったのは誰かと言われたら僕はセリーヌを推しておこうかな」
楽しげに言い、ドクはラズリとブルーをソファーに促す。ふたりはアズールを挟むように座った。途端にドクがくつくつと肩を揺らした。
「なに? どうしたの、ドク」
と、ブルー。少し怒っていた。おそらく
「いや、ごめんな」
ドクは口元を隠し、空いた手を左右に振った。
「そうやって座られると親子面談をしているような気分になるもんだから」
「俺(僕)はこんな息子いらねぇ(ない)」
ラズリとアズールの声が重なり、ドクは腹を抱えて笑った。見れば、ブルーまで顔を背けてぷるぷる肩を震わせていた。
「……どう考えても、お前がオヤジ役は変だろ」
「そんなことない。ばかですけべなラズリが父親だなんて、僕だったら最悪だ」
「じゃあお互い様だわな」
ラズリはぺっと吐き出すように言った。地味に嘘つきを抜いてきたのがムカついた。
アズールは一瞬、ライフルのセリーヌを見、すぐにドクに向き直った。
ドクは笑いが治まるのを待つようにしばらく間を取り、穏やかな声で言った。
「アズールくん。セリーヌはなんだって? なにか言ってたんだろ?」
「えっ、あ、その」
アズールは恨めしげな視線をライフルに送った。
「セリーヌは、ひどいことを言ったんだ」
「なんて言ったんだい? 大丈夫、僕も、ラズリも、ブルーも、みんな笑ったりしないさ」
「ほんとに?」
アズールの睨めあげるような視線に、ラズリは両手をあげて降参のポーズを取った。
「悪いけど、俺は笑う可能性大だよ。――けど、さんざん人のことイジったんだ、イジられんのも我慢しないとな。そうだろ?」
「……ムカつく」
呟くように言ったアズールだったが、ため息交じりに話した。
「セリーヌが言ったんだ。フルールがラズリを気に入ってるから、僕が嫉妬してるって」
「……すげえややこしいな」
ラズリは鼻を鳴らした。自然と眉が寄っていく。すぐにブルーが「好かれてるんだからいいじゃん」とニヤニヤして、「それで――」とつづけた。
「先生、うちの子、どこか悪いんでしょうか?」
「そうですねぇ……」
ブルーの冗談めかした口調に、ドクも合わせた。
「健康面の心配はなさそうです。普通より元気なくらいで、お母さん似ですかね」
「おい、ドク、勘弁してくれ」
ラズリは即席ままごとにうんざりして言った。
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