生存者
どうか生きていませんように、と内心で願いながら、ラズリはシリンダーに近づく。壁に沿うようにして置かれた機械類から十数本のコードが伸び、シリンダーを支える台座に繋がれていた。履きなれた靴が重い。
稀によくあることでも、稀なことでもない。
記録にはあるが、実際に目にするのも、目にしたやつも知らない。
ラズリは埃の積もったガラスの筒に震える手を伸ばし、ざっ、と払った。
「マジかよ……生きてやがる……」
シリンダーは誘蛾灯を思わせる青白い光を放っていた。中に、綺麗なままの人の姿。シリンダーズで間違いない。彼ら以外が入ったところで安全機構がはたらくだけだ。
『なに? なにが生きてるって?』
とつぜん聞こえた、ブルーの緊迫した声に、ラズリは弾かれたように振り向く。呼応石が届けた音だということを忘れるほどに動揺していた。
「……な、なんでもねぇ。見間違いだ」
しまった、と思った。なんで否定する。素直に報告しろ。胸のおくで警鐘が鳴った。しかし、ラズリは自分の言葉と脳裏にこびりつく妹の幻影に押し流されるようにして、
「なんにもなかった。もうちょっと探したら、俺も上に戻るわ」
『……ラズリ?』
問いただすような声音。怪しまれている。けれどラズリは言葉を重ねた。
「大丈夫だって。本当になんもねぇから。そっち、何階だ?」
『ラズリ。そこ動かないで。いまからそっち行く』
やっぱりダメか、とラズリはその場にへたりこんだ。靴の踵で床を押し、壁に背を預け、こっそり持ち込んだ『ディープ・シー』を咥える。ねっとりとした煙をぼんやり眺め、見なかったことにしようとした自分に内心、唾を吐く。
ごくごく稀に、街の外でステイシス・シリンダーが見つかることがあるという。
九九パーセントは壊れており、中の人は死んでいる。
残り一パーセントは、機械は生きているが無人。
街のシリンダーズにとっては方舟の予備ができたようなもので、見つけた探索者はほとんど英雄扱いを受けるという。実際は知らない。シリンダーを発見したのは初めてだ。
では、ステイシス・シリンダーが生きていて、中の人も生きていたら、どうなる?
ラズリは『ディープ・シー』の煙で深海の底に沈んでいくような感覚を得ながら、ほのかに輝く命の方舟を見つめた。
そもそも、なぜステイシス・シリンダーが生きているのか。
シリンダーは稲妻の力で機能している。時間、文化、空間をかき乱す混沌の力を利用し、筒内部の時間の流れを極端に遅滞させ、空間を固定する装置だ。
必要なエネルギーは膨大で、シリンダーズに影響をおよぼす稲妻の力は、すべて機能維持に消費される。そうやって彼らを守っている。いいかえれば、稲妻の力を供給する誘雷塔か、塔から伸びる軌条がなければ、動かないはずなのだ。
「昔はここに塔があったとか? いやまさか。じゃあ飛び地? んなことあんのかよ」
粘着質な煙で頭がぼんやりしていて、まともな思考は期待できない。感覚はゆっくり鈍麻して、感情が平板になり、穏やかな倦怠が躰を包む。まるで日向のうたた寝だ。
壁伝いに、足音が聞こえた。
「――クッッッッッサ!! あーもう、最悪!」
第一声がそれかよ、とラズリは引きつるように笑い、つづくであろう雷声に備えた。
だが、想像していた説教はなく、粘着質な煙を手で払ったブルーは真剣な目をしてシリンダーを覗きこんでいた。
「なんでとか、どうしてとか、聞いてやんないから」
いつになく――いや、いつも以上にトゲトゲしい声で言われ、ラズリは立てた膝上に両腕を投げ、首をたれるしかなかった。
「黙って、見なかったことにしねぇか?」
するわけない。わかっていながら言葉を投げた。
ブルーは何も言わずに躰を起こし、黙ってラズリに歩み寄り、彼が指に挟んでいたディープ・シーを蹴り飛ばした。パッと火の粉が散った。
「いじけてないで、立って、準備して」
「準備って、連れて帰んのかよ? 起こすのか? 寝てたほうが幸せだろ、こんな世界」
「いじけんなって言ってんの。幸せかどうかは起きたこの子が決める。ラズリじゃない」
ブルーは黒手袋に覆われた右腕でラズリの襟を掴み、軽々と引きずり起こした。
「まだいじけてたいんなら、そのクッサイの拾って、トレインで吸ってなよ。手伝う気があるんなら、そこに〈扉〉開いて、ジャッキとドリー持ってきて」
「ジャッキとドリー? シリンダーごと持ってく気か?」
「そうだよ。
ブルーは左手首の時計を見た。
「あと一時間ちょっとで稲妻がくる。運搬と軌条に戻る時間まで考えたらそっちのほうがいい」
「……連れて帰ってどうすんだ?」
ブルーは苛立たしげにため息をつき、右目を蒼く光らせてラズリを睨んだ。
「それも、ラズリが考えることじゃない。ボスボスに相談して、どうするか決める。まだなにか言いたいことある?」
「……アイアイ、マム」
ラズリはブルーの手を払い、シリンダーから数歩の距離をとって魔法陣を踏んだ。
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