揺り籠
甘えてんな、とラズリは思う。
煙草の臭いが嫌いだの、面倒がらずに外に出ろだの、おせっかい極まる文句を聞かされると知っていながらコンビを組むし、こうしてまた忠告を無視する。
ブルーはラズリがガキ大将だったころからの幼馴染で、妹のオフェリアとも仲良くしてくれていた。
ほんとにちっちゃなころは人見知りするところがあって、少し大きくなったらひとの背中に隠れて文句を言い、気づいたらガキ大将の参謀になっていた。
ガキのころ、オフェリアが先に寝てしまった夜、星を見ながらブルーは言った。
じゃあ、私はトレインの運転手になるよ。
三年前、バカの無茶に付き合ったせいで、望んでいたのとは違う形で夢を叶えた。
煙草を深く吸い込むと、チリチリと先が赤熱した。
「マンガのひとつくらい落ちてりゃいいのに、ここらは全部古代だわ」
『……けっきょく吸ってるし……こっちはそこそこかな。資料関係はここの……会社? のやつっぽいけど、探せば薬くらいはあるかも。まとめたらエレベーターシャフトで――』
「了解。いつものやつな。俺はもうちょっとこっち見て回るわ」
『はいはい。気をつけてね。……あ、それから――』
「例のやつだろ? 四巻? 七巻だっけ?」
『どっちも見つかった。今探してるのは一二巻! それが最後の一個前!』
「アイアイ、マム。見っけたら確保しとくよ。この感じじゃ望み薄だけどな」
お願い! といつになく子供っぽいブルーの声を聞きつつ、本棚を照らした。当然、あるのは読み方の分からない文字で書かれた古書ばかりで、彼女の探す小説はない。
ブルーが探しているのは、いつの時代に作られたのかよくわからない小説だ。ポケットに入るくらいの、いわゆる文庫サイズというやつで、状態がいいのはアニメっぽい絵柄の表紙がついている。内容はいたって普通の娯楽小説……より、やや軽いかもしれない。
その手の本を蒐集しているブルーに言わせれば、軽いなかでは重いほうらしいが、正直ラズリには意味も違いもわからない。なんだって昏くて辛くて厭んなることばかりの世界で生きていながら、似たような世界の話を読むのかも理解りゃしない。
でも、とラズリは思う。
自分のような無趣味でつまらない人間とは比べものにならないほど健全だ。
死ぬまで終わらない地獄で生きつづけるなら、寄す処がいる。数十巻にわたるコミック収集でもいいし、好きな俳優のでている映画を集めるのでもいい。音楽でも絵画でも、ようは、とにかく死ぬまで終わらなそうな寄す処がほしい。
前に一度そんな話をしたら、ブルーは言った。
『そうじゃない! わかってない! 終わらないのがどんだけ辛いか……いいから読め!』
酒を飲んだり『ディープ・シー』を吸ったり色々しながらなんとか読んだが、なにが違っていたのか結局わからず、しかも匂いがついたと怒られた。
以来、深く追求するのはやめ、ラズリは探すのだけを手伝っている。
終わりを見届け、なお前に進む。その気力の源がなにか、ラズリは未だに分からない。
……なんか、ムカつくな。
ラズリは開けようとして引っかかった扉にイラだち、床に踵で円を描いた。魔法だ。魔法陣で万能鍵を描いて鍵穴を蹴る。ガン! とちょっぴりキツい音を立て錠前が外れた。
ふっ、と短く息をつき、扉を引き開けたラズリは、
「うわ、マジか」
『どうしたの!? なんかあった!?』
「や、大丈夫」
慌てた様子のブルーの声に、ラズリは絶縁グローブを引っ張りなおして答えた。
「初めて見た。二枚重ねのドアだ。材質は……アルミか? にしちゃ温かいか?」
木製の扉一枚を隔てて全自動スライドドア。街でも塔など一部にしか存在しない。これは時代と文化と建物の重なり合いと違って、本当に稀な現象だ。
稲妻の混沌の力は、あらゆる次元の座標を巧妙に混ぜ込む。扉は一枚のみで、開けたら異世界みたいな感じが普通。しかし、扉を開けたらほぼ同位置に別の、という場合、稲妻に干渉するなにかがある。当然、電気は通っていないので力押しで開けるしかない。
「ふっ……! ギギギギギギ……ッ! ぬぁ! 無理だわこれ!」
扉は異様に重かった。雷の光跡を真似たようなジグザグの切れ目に、指や道具を入れられそうな隙間はない。表面はつるつるしていて絶縁グローブだけでは摩擦力が足らない。
『ラズリ?』
分かってるよね? と続きそうなブルーの声。
もちろん分かってますよ、とラズリは足元に円形の魔法陣を引いた。
「大丈夫だよ。ちゃんとやるよ、ちゃんとな」
言って、ハイキックの要領で片足を上げ、打音を響かせながら金属扉を四回蹴った。蹴られた四点が淡く発光し、それぞれを頂点とした正方形を描く。《扉》の魔法の応用だ。
ラズリは蹴り足を宙に浮かせたままその場で旋回、描いた正方形の中心を蹴った。
同時。
炸薬の破裂を思わせる音とともに光の線が輝き、正方形に切り抜かれた鉄塊が重く大きな音を響かせながら向こう側に抜け落ちた。ラズリは耳から入って頭を揺さぶる反響音に顔をしかめながら、扉に穿った正方形の穴にカンテラを突っ込む。
「……ぬはぁ……薬くせー……なんだこれ……?」
穴から覗ける範囲、カンテラの光が届く範囲は、理化学系の研究室のようだった。
壁棚にならぶ謎の薬品、得体のしれないチューブ、古めかしい大型の機械類。魔法の箱――いわゆるパーソナルコンピュータのブラウン管型モニターがみえるので、ほぼ間違いなく中世ではなく、おそらく未来でも現在でもない。
「……とりあえず、あぶねぇのはいなさそうだから入ってみるわ」
『わかった。気をつけてね、ラズリ、武器もってないんだから』
「失礼な。俺の武器はこの逞しい躰だよ」
ラズリはブルーのくぐもった笑い声を聞きながら正方形の穴に頭を入れた。カンテラはいったん扉のすぐ近くにおき、躰をねじりこみ、ほとんど落ちるようにして部屋に入る。
舞い上がった埃に咳払いをひとついれ、カンテラを掲げて奥に進んだ。
「……げ、マジかよ……」
『どうしたの? なんかあった?』
「……ああ……いや……ちょっと待て……」
最悪だ、とラズリは思った。
部屋の最奥に、それはあった。大人の男がすっぽり入れそうなガラスの筒を、斜めに立て掛けるようにして保持する、ひときわ大きな機械。
ステイシス・シリンダーだ。
この世界にいる三つの人種のうち、稲妻の影響にひときわ敏感で、落下衝波を受けるとひとたまりもなく死に至るシリンダーズを守るために産まれた、揺り籠である。
かつて、妹のオフェリアも使わざるをえなかった、棺桶ともいえる。
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